熊谷宿から本庄宿まで。その3。(旧中山道をゆく。第5日目。)
さて、後半です。 「国道17号線・原郷」の交差点を渡って「中山道」に入ると、すぐ右手にあるのが「常夜燈」。ここからが「深谷宿」となります。東海道では宿場入口や街道筋には道しるべも兼ねて、「常夜燈」が多くありました。中山道ではその役割を「庚申塔」がしていました。ここに来て、宿の東と西の出入口に「常夜燈」があることに(「深谷宿」は東西に連なる宿場町)。...
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「深谷宿」を出て、次の「本庄宿」へ向かいます。「深谷」には渋沢栄一さんに因んだ名所コースがあるようですが、街道筋にはなさそうなのでスルーします。 古い教場のような建物。左手奥にはJR線。 しばらく道なりに進むと、「国道17号線」と交差します(「宿根」交差点)。その先には「龍宮神社」。 (14:28) 中山道はすぐG・Sのところで「国道17号線」に合流し、そのまま国道沿いに進みます。...
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旧中山道は「17号線・深谷バイパス」でとぎれるので、「岡(西)」交差点から「滝岡橋」に向かいます。 案内板があります。振り返る。 しばらく進むと、(15:38)「滝岡橋」。 改修工事中のため工事用のシート・足場が設置され、全容を見ることができなかったので。 滝岡橋...
View Article「ヴィオレット-ある作家の肖像-」(岩波ホール)
今年初めての、というか久々の映画鑑賞でした。誘われて「岩波ホール」へ。ほとんどが中年以上の女性達。中には男性の姿もちらほら。老夫婦の方々も。平日の午前11時なのに、けっこうな人出。 2時間20分ほどの上映時間でしたが、時間が経つのも忘れて映画にひたる、なんて、本当に久々の体験。 パンフレットでは、...
View Article本庄宿から新町宿まで。その1。(旧中山道をゆく。第6日目。)
2月2日(火)。午後からの予定がなくなって、せっかくの晴れ間。11時少し前の上野発高崎行きに乗って「本庄」までやってきました。到着は12時20分過ぎ。車内で弁当を食べて、準備万端、のつもり。 ところが、降り立ってみると、かなり風が冷たく吹く昼下がり。時々雲がお日様を遮り、体感的にはけっこう寒い!...
View Article本庄宿から新町宿まで。その2。(旧中山道をゆく。第6日目。)
「本庄宿」は町としての奥行きが深く、まだまだ見どころはたくさんありそうですが(たぶん横町に入ったならよけいに)、機会があったらじっくりと見て回ることにして、先を急ぎます。 (13:15)「本庄宿」の西の出口にあるのが「金鑚神社」。その神社に沿って街道は右に曲がります。歩道には中山道の67の宿場名と絵図(ただし、絵図は、武蔵国のみ)のパネルがはめ込まれています。...
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先に進みます。屋根に小さな屋根のついた吹き出し口が目に付く家があります。おそら養蚕を行っていたおうちなのでしょう。この付近も養蚕が盛んだった地域。かつてはこの辺りには桑畑が多くあったと思いますが、今は一本も見当たりません。 (14:52)「国道17号線」に出る右手前の祠の脇に「勅使河原一里塚跡」碑。日本橋から23里目。 そこから来た道を振り返る。...
View Article新町宿から藤塚一里塚まで。その1。(旧中山道をゆく。第7日目。)
中山道歩きも、もう第7日目。新町から倉賀野、高崎へ。さらに板鼻へと進みます。前の2回はそれぞれほぼ半日の行動だったので、今回は少し家を早めに出て何とか5~6時間くらいは、と。 2月6日(土)。天気予報ではあまりよくない、とのことでしたが、朝方の予報で群馬は「☀」マーク。2月は来週、再来週と予定が込んでしまうので、思い切って出かけました。...
View Article新町宿から藤塚一里塚まで。その2。(旧中山道をゆく。第7日目。)
土手に上がります。かつての中山道は「烏川」をこのあたりで「舟渡し」によって向こう岸に渡っていたのでしょうか? 現在はもう少し上流にある「柳瀬橋」を渡って行きます。 川の中州に棒杭のようなものが点々と立っています。 1880年代のようす。当時の橋(明治になってから架橋された)は旧中山道に架かっていた。 これ以降、大がかりな堤防整備などが行われている。...
View Articleぜひ線路跡を有効活用に。河川敷、森、鉄橋、・・・。魅力的です。
「安比奈線」復活せず 西武鉄道、車両基地計画を中止 南大塚駅から入間川河川敷まで続く「休止」路線。ようやく結論が出たようです。一度歩いたことがありますが、今後、どう活かすか? 線路や電柱なども完全撤去になっていくでしょう。今のうちに探索した方が宜しいのでは。 出かけた時の記事と写真を数点紹介して、「安比奈線」のお別れに。 西武・安比奈線をたどる。西武新宿線・南大塚駅下車。...
View Article新町宿から藤塚一里塚まで。その3。(旧中山道をゆく。第7日目。)
昨日、今日と春の嵐。だんだんと春が近づいてくる時節。このところ連続でお葬式があったりして、ばたばた。 間があきましたが、「中山道」歩きの続きを。 倉賀野宿の中心部に入っていきます。格調高く大きな古いおうちが目に付きます。上の写真は、「吉野家 叶家」。 続いて「大山家(大山小児科)」。どちらも見上げるほどの立派な造り。...
View Article新町宿から藤塚一里塚まで。その4。(旧中山道をゆく。第7日目。)
(12:19)街道の右手には「高札場」が復元されています。 高札場・上町問屋場跡 江戸時代を通じてこの辺りには高札場・上町の問屋場・二軒の脇本陣などがあり、倉賀野宿の中心街をなしていました。 高札場は、問屋役兼年寄の須賀長太郎家(須賀長)の前にあり、高さ3.6m、屋根付きの大きなもので、幕府の禁令や高崎藩のお触れなどの高札が十数枚掲げられていました。...
View Article新町宿から藤塚一里塚まで。その5。(旧中山道をゆく。第7日目。)
高崎宿は、城下町だったことで本陣や脇本陣もなかったようです。 高崎宿(たかさきしゅく) 中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸から数えて13番目の宿場。また、高崎宿から三国街道が分岐しており、その起点の宿場。 天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、高崎宿の宿内家数は837軒、本陣および脇本陣は設けられておらず、旅籠のみ15軒が設けられ、宿内人口は3,235人であった。...
View Article新町宿から藤塚一里塚まで。その6。(旧中山道をゆく。第7日目。)
(15:05)「君が代橋」を渡る手前の広場にあるのが「君が代橋」親柱。 君が代橋親柱 君が代橋という名は、明治11年9月、明治天皇が北陸東海御行幸のとき、馬車で木橋を渡られたことを記念して命名されました。...
View Articleどちらの記事が、読者をごまかしているか? あるいは馬鹿な男に振り回されているか?
時事通信の記事 自民党の丸山和也参院議員が17日の参院憲法審査会の質疑で、オバマ米大統領に関して「米国は黒人が大統領になっている。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ。まさか米国の建国の時代に、黒人奴隷が大統領になると考えもしなかった」と述べた。人種差別と受け取られかねない発言で、批判を招きそうだ。...
View Article「相模運輸倉庫専用線跡」その1。(JR横須賀線「田浦」駅下車。)
JR横須賀線「田浦」駅は「田浦梅林」の最寄り駅として今の季節は少しばかりの賑わいぶり。梅林には南側(山側・国道16号線側)へ向かいますが、北側(海側・長浦港側)に向かうと、倉庫街に。その中に廃線跡が点々とあります。けっこうマニアには知られたところ。 「田浦梅林」へ向かう人とは反対に駅の北口側へ。こちら側は人通りもなく、お店も一軒しか見当たりません。倉庫と自衛隊の施設が点在する地域。...
View Article「相模運輸倉庫専用線跡」その2。(JR横須賀線「田浦」駅下車。)
横須賀側のトンネルを抜けた線路跡はどこに行くのか? もちろん駅構内には入れないので、ぐるっと回って「吾妻橋」のところを右に折れて川沿いに進むと、朽ちた鉄橋を発見! 地図上だとそのままカーブして港沿いの倉庫群へ行く線路です。 田浦駅方向。 港方向。 どちらも草ぼうぼうで、当然、立ち入り禁止。架線は残っています。...
View Article「相模運輸倉庫専用線跡」その3。(JR横須賀線「田浦」駅下車。)
再び、「吾妻橋」まで戻り、西側に進みます。こちらも見所、満載です。上の写真は、西側から「吾妻橋」方向を望んだもの。 しばらくすると、線路が復活します。 振り返って望む。 工事中で、線路は撤去されるかも知れません。...
View Article「田浦梅の里」、「稲村ヶ崎」そして、・・・(じじばばがゆく。プチ旅編。)
「田浦」ってどこだか知らなかったわ。熱海の方かしらなんて。熱海なら温泉だから、このところ、あなたがえらくご執心な温泉に性懲りもなく、と思ったけど・・・。 「品川」集合というのがよくわからなかった。どこに連れて行かれるか分からない。まったく予備知識のないままに、ってね。 「横須賀線」か、久々だわ、この線に乗るの。...
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