小石川後楽園。(「じじばばがゆく」シリーズ。そして、お茶でも。その4。)
トイレに行こうよ、トイレ。 秋頃がいいよね、あのあたりは。 実に奥が深い庭園ではある。「寝覚めの滝」。 内庭池水が滝となって木曽川に落ちるところで、木曽路の名所「寝覚の床」にちなんで呼ばれている。園内は、遊び心(風流心)が満載だ。 「延段(のべだん)」。 大小の自然石と切石を巧みに組み合わせた中国風の素朴な石畳、とのこと。 「木曽山」。...
View Article党利党略。それならばとことん。
維新混迷、官邸誤算=野党再編が加速―「大阪都構想」反対多数(時事通信) - goo ニュース 橋下手法の限界でもあった今回の結果。策におぼれた結果でもあるか。 不利だと直感が働くや、連休中に信濃町に泣き言を言いに言ったとか、真偽は定かではないが、そのあげく、公明党支持層は反対に回った。彼らが賛成に回れば、大幅に賛成多数だったはず。ことによると、学会内部での権力抗争が背景にあるのでは?...
View Article飯村一里塚。吉田宿東総門。曲尺手。・・・(JR二川駅から名電本宿駅まで。その1。)
いよいよ日帰りでは時間的に無理になってきました。今回から「1泊2日」コースにしました。この場合、事前に宿の予約が必要です。今までは天気を見ながら予定を立てていましたが、そうもできない。台風も近づいているし、さてどうしたものか? また、前日の予約だと空きがあるかどうか? あれこれ心配していても仕方がありませんので、とりあえずホテルの予約を。...
View Article吉田宿本陣跡。えびくずし。西惣門。芭蕉句碑。豊橋。・・・(JR二川駅から名電本宿駅まで。その2。)
路面電車が行き交う大通り。「札木」。その角にあったのが「吉田宿問屋場跡」碑。 吉田宿問屋場跡 宿駅には、必ず道中奉行所支配の問屋場が設けられ、ここで人馬継立ての業務が行われた。 吉田宿の問屋場は、札木町のこの地に置かれ、人足百人、馬百疋が貨客のために用意され、問屋を筆頭に、年寄、帳付などの問屋場役人によって支配された。 通りを渡った先にある鰻屋「丸よ」。その店先に本陣跡の碑。...
View Article下地一里塚。伊奈村立場跡。伊奈一里塚。・・・(JR二川駅から名鉄本宿駅まで。その3。)
豊橋を渡ったら、川沿いの道を左に進みます。右手に道標。 「右 御油道」。 今度は、左手の土手沿いにあった記念碑。 「豊川」の洪水を防ぐための先人の労苦の跡。 しばらく進むと、右手に「下地一里塚跡」。江戸・日本橋から74里目に当たります。 右にカーブすると、道幅が狭くなります。昔のままの道幅のようです。古い家並みが続きます。...
View Article御油一里塚。御油宿。ベルツ花夫人。・・・(JR二川駅から名鉄本宿駅まで。その4。)
喧噪の国道から離れて、いよいよ次の宿場、御油に向かいます。しばらく進むと、右手に「常夜燈」。 秋葉山常夜燈 形式は神前型、高さ二〇五糎、造立は寛政12庚申(1800)為村中安全 秋葉山 秋葉山三尺坊大権現はその昔し、越後国蔵山(蔵王権現)より白狐に乗って遠江の秋葉山に飛来した...
View Article御油の松並木。赤坂宿。芭蕉句碑。・・・(JR二川駅から名鉄本宿駅まで。その5。)
さて、いよいよ「御油の松並木」。国の天然記念物にしていされるだけあって、なかなか見事です。それにしても他のところでは「松食い虫」の被害や道路拡幅などで失われてしまったケースも多い、東海道の「松並木」。よく保護、保存、手入れがなされています。 御油宿と御油の松並木...
View Article尾屋。大橋屋。長沢一里塚。・・・(JR二川駅から名鉄本宿駅まで。その6。)
右に行くと、名鉄の「名電赤坂駅」。その交差点にちょっとした広場があります。祭などの伝統行事の解説板も。 しばらく休憩。 しゃれた地名「赤坂紅里」。 かつて御油宿と赤坂宿の客引き合戦は熾烈だったとか。このあたりもそういう曰く・因縁のある、あだっぽいところであったのでしょうか? 小学生がサッカーに行くのか、大勢、自転車で信号を渡って行きます。 交差点の右手にある「尾屋」。...
View Article本宿。本宿一里塚。麦秋。・・・(名鉄「本宿」駅から「矢作橋」駅まで。その1。)
翌 5月20日(水)。 早朝からすでに明るい陽ざしが。 さて、行動開始。暑くなりそうだし、足元の具合はあまりよくない、豆ができたせいで。せっかくここまで来たのに、岡崎を制覇せずして何の目的があったのか! 途中でリタイアしたら身も蓋もないので、まず、岡崎宿を制覇して、その後は足の調子を見ながら歩いてみることに。...
View Article読書「人類が永遠に続くのではないとしたら」(加藤典洋)新潮社
人は思索することで人間としてより深く変容する。とは思うが、突き詰めれば、言語活動としてとりわけ他者に向けて発信することによって、必然的に生じるアクション、リアクションの関係でより思索が深化する、という実に当たり前のことを思う。それはまた、外界の事物・現象に向かう(対処する・思索する)自らの体内作用、そして体外への発露としての言語活動ということになるのだろう。...
View Article読書「猫キャンパス荒神」(笙野頼子)河出書房新社
一昨日の揺れは、すぐに20011年3月11日の大地震を思い出させた。不気味な長い、ゆったりとした横揺れ。 当時、都庁の31階で、あの地震に遭遇した。立っていられなくて、いすに呆然と腰掛け、窓外の高層ビルの揺れ、微妙に違う、その揺れに気分が悪くなったことを。...
View Article読書「猫を拾いに」(川上弘美)マガジンハウス
相変わらず洒脱なショートショート(といっては失礼ですか)。川上さんの感覚・アンテナはどういう張り巡らし方、構造をもっているのだろう。というのも、この中の「ひでちゃんの話」。その導入部。...
View Article藤川宿。東棒鼻。むらさき麦。問屋場跡。・・・(名鉄「本宿」駅から「矢作橋」駅まで。その2。)
さて、次の藤川宿に向けて出発です。沿道には松が。その脇には「東海道」という石碑。 「国道1号線」を横断してしばらく進むと、大きな石碑。「御開運御身隠山」。 左手に広がる森が「山中八幡宮」。境内には家康が命拾いをしたという「鳩の窟」があります。...
View Article本陣跡広場。からむし。蛸。西棒鼻。芭蕉句碑。・・・(名鉄「本宿」駅から「矢作橋」駅まで。その3。)
右手に「本陣跡」。明るく開けた広場になっています。昨年春に完成したばかり、ピカピカ。 「東海道と藤川宿」。...
View Article「道の駅・藤川宿」。藤川の松並木。大平一里塚。・・・(名鉄「本宿」駅から「矢作橋」駅まで。その4。)
時刻も1時過ぎ。ここで、昼飯タイム。ところがコンビニを含め、沿道には何にもありません。そこで、「藤川」駅近くの小さな踏切を渡って、その先にある「道の駅・藤川宿」へ向かいました。ここは、2年ほど前にできた国道1号線沿いの「道の駅」。 愛知県内の「国道1号線」では初の「道の駅」らしいです。 学校帰りの高校生や運転手などで、「食事コーナー」もけっこう賑わっています。...
View Article「反対の声は聞かない。聞かせない。知らない。知らせない。思い通りにやる。やらせる。」・・・
安保関連法案 谷垣幹事長「隙間ない整備を」 ①NHKのニュース。谷垣の演説を全面的に紹介、以下の内容はまったく報道せず。 「街頭演説では、安保法案反対のプラカードを掲げるグループがビラを配り、谷垣氏らに「帰れ」と怒号を浴びせる場面もあった。これに対し、谷垣氏は「『帰れ、帰れ』と叫ぶだけでは平和は来ない」と反論した。」・・・ ますます、自民党・アベの広告塔になり下がったNHK。 ②...
View Article岡崎宿冠木門。岡崎城下二十七曲がり。・・・(名鉄「本宿」駅から「矢作橋」駅まで。その5。)
さていよいよ「岡崎城下二十七曲り」ですが、先達のレポートでは、けっこう迷いやすく、不明な曲がり角も多い、とのこと、心して、という忠告も。気持ちを引き締めて、さて出発! 時間は、8時30分前。人々の出勤や小学生たちの登校もピークを過ぎて、住宅街は落ち着きを取り戻した、静けさの中での探索でした。...
View Article旧岡崎銀行。籠田総門跡。唐弓弦。・・・(名鉄「本宿」駅から「矢作橋」駅まで。その6。)
「伝馬町1丁目」交差点を左折します。 「西本陣前角」。 その先の交差点で、今度は右折します。「へ」。 角の左手に道標。 「東 京みち 西 京いせ道 きらみち 明治二年己巳(つちのとみ)年十二月建立」。 右手に赤レンガ造りの建物。 旧商工会議所...
View Article八帖歩道橋。八丁味噌。矢作橋。・・・(名鉄「本宿」駅から「矢作橋」駅まで。その7。)
「案内図」通り、橋を渡り、 側道を下りると、案内の矢印が三つ。①「↑」。②「←」と「¬」が組み合わさったもの。③「←」。 ①と②は、道の左脇にあり、③は右上の電柱に。 左折の道はすぐの道と、少し先にある二つの道。もちろん、①、②に素直に従えば、二つ目の道を行くのが、正解。 でも、ご丁寧に先の方まで同じ赤いコーンが道案内のように並んでいる。う~ん?...
View Article「旧額田郡公会堂」。殿橋。名鉄市内線。JAZZ。・・・(名鉄「本宿」駅から「矢作橋」駅まで。番外編。)
「岡崎」は、さすが東海道第3番目の宿場町で、家康さんのお膝元。ただ、太平洋戦争末期の米軍の空襲によって壊滅的な被害を受け、戦前の(それ以前の)建物など、ほとんど失われ、また、復興計画により、中心部の区画整理や道路の拡幅・整備などで旧東海道に因んだ施設、史跡などもほとんど残っていません。...
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