右に行くと、名鉄の「名電赤坂駅」。その交差点にちょっとした広場があります。祭などの伝統行事の解説板も。

しゃれた地名「赤坂紅里」。

かつて御油宿と赤坂宿の客引き合戦は熾烈だったとか。このあたりもそういう曰く・因縁のある、あだっぽいところであったのでしょうか? 小学生がサッカーに行くのか、大勢、自転車で信号を渡って行きます。
交差点の右手にある「尾屋」。

古い店構え。軒下の看板には「曲物・民芸品製造卸問屋」と書かれてあります。今では珍しい「曲げ物屋」さんです。
「曲げ物」は、「ワッパ」ともいいます。ヒノキ、スギなどの薄い板を円形や楕円形に曲げて,合せ目をたがを使わずにヤマザクラやシラカバの皮で綴り、底を取付けた容器。製品としては、弁当を入れる輪っぱ、ひしゃく、せいろう、飯櫃、ふるいなどがあります。
「大館の曲げわっぱ」が伝統工芸品として全国に知れ渡っています。



・・・
なかなか売れない曲げわっぱを東京や大阪などへの販路拡大を目指すなかで新商品開発が盛んになり、曲げわっぱにウレタン樹脂塗装を施すようになりました。需要が伸びるにつれてあらゆる商品にウレタン塗装をするようになって秋田杉の効能が活かされなくなりました。
秋田杉が本来持っている吸湿性、芳香、殺菌効果によってご飯の味を生かすということよりは、汚れず扱いやすくスポンジと中性洗剤で洗えるような曲げわっぱになっていきました。
私自身もそのようなことに迷いを感じなかった頃、こどもの運動会に持参した、周りが羨むほど華やかな自慢の曲げわっぱに詰めたお弁当をいざ口に入れたらウレタン塗装の臭いで食べられませんでした。
自分で作っておきながらこの日この時までその臭いに気付かなかったのです。
そこで改めて本来の白木の大切さを痛感し、ご飯を入れる器は「白木」でなければならないと肝に銘じました。
白木の曲げわっぱはご飯の水分を程よく吸収し、冷めても美味しく、天然秋田杉の香りが食欲をそそり杉の殺菌効果でご飯が傷みにくくご飯を詰めてから常温で一昼夜も痛まず持つほどです。
まずこのことを大切にし、素材と仕上げは曲げわっぱを使用する場面によって適材適所を常に考えながら、日々制作しております。
柴田慶信
(以上、

続いて左手に「大橋屋」。


旅籠 大橋屋 豊川市指定建造物
本陣・脇本陣以外の武士や庶民などの宿泊施設を旅籠屋(はたごや)という。
享保18年(1733)の赤坂宿は、町裏を合わせて家数四百軒のうち、八十三軒が旅籠屋であった。
大橋屋は、旧屋号を鯉屋といい、正徳6年(1716)の建築といわれる。赤坂宿の旅籠屋の中では、大旅籠に属し、間口九間、奥行二十三間ほどであった。入り口の見世間・階段・二階の部屋は往時の様子を留める。
豊川市教育委員会
この解説板に載っている広重の絵。

同じく、

(以上、

その先の右手には、「高札場跡」。


右手には「赤阪陣屋跡(三河県役所跡)」。

赤坂陣屋跡(三河県役所跡)
陣屋(じんや)とは代官所ともいい、年貢の徴収や訴訟などを取り扱ったところであった。 赤坂陣屋は、三河の天領支配の中心であり、当初この奥の大薮地内に設けられたが、元禄2年(1689)神木屋敷(現赤坂保育園附近)に移された。
幕末に三河県役所と改められた。手狭になったため明治2年(1869)再び大薮地内へ新築移転された。
廃藩置県後、明治5年に廃止となった。
豊川市教育委員会
しばらく進むと右手に「見附跡」。


しばらく行くと、左手に「常夜燈」。

「八王子」地区で「東名高速」から分岐した「三河湾オレンジロード」を横切ります。
しばらくして「長沢一里塚」に到着です。右手の草むらにぽつんと立てられていました。

と、ここを撮ったら携帯の電池切れ。これから先はどうする? 最寄り駅は? 「本宿」駅まであと1時間ほど。しかたがないのでこのまま進みます。(このあとは、うろ覚えです)
少し行くと右手に説明板「長沢城跡」。 周囲は宅地化されて、堀の一部をわずかに残すのみだそうです。
ちょうど田植えの時期。爽やかな緑が一面に。
右に「常夜燈」を見て・・・。
目の前の橋を渡り、左側に。
道なりに進んで「関屋」で国道1号線と合流します。あとは道なりに。
いよいよ岡崎市に入り、間宿の「本宿」となります。道路脇にはモニュメント広場風。大きい説明板があります。「これより西 本宿村 藤川宿へ壱里」。
「本宿」は、赤坂宿と藤川宿の中間に位置する間の宿としての役割を果たしていたようです。
「冠木門」をくぐって行くという趣向。「国道1号線」の右手には名鉄線。その向こうは「東名高速」。
しばらく進んだ交差点が「新箱根入口」。
道は分岐点に差し掛かり、「東海道」という道標の示す左の道に進みます。
道なりに進むとすぐに左手に大きなお寺が現れます。 ここが家康さんゆかりのお寺、「法蔵寺」です。
ここからは天下人・徳川家康さんに敬意を表して、明日、しっかりと写真を撮ることにします。ということで、旧「東海道」の家並みを横目に、名鉄「本宿」駅まで歩きます。国道1号線を越えると、駅前。
こうして今日の行動は終了。名鉄「本宿」駅から「東岡崎」駅まで。汗はかくし、足元は何だか豆が出来たようで痛いし、さっさとホテルに入って疲れを癒やそう、と。 膝にはほとんど疲れはないのですが・・・。
明日は、足元の調子と相談して、どうするか? 今日。朝は雨、昼前から薄日で、午後は暑い陽ざしの下での久々の長距離でした。しかし、アップダウンがないし、すてきな松並木もあったし、なかなかの道のりでした。
明日は快晴の予想、とても暑くなりそうです。
JR二川駅から出発して、「吉田」、「御油」、「赤坂」と宿場をクリアしたことに。明日は、再び「本宿」から「藤川」、そして「岡崎」です。
宿泊先の「岡崎セントラルホテル」は、南口を出てすぐの所にありました。駅前で食事をとも思いましたが、まずはチェックインを。シャワーを浴びて缶ビールを飲んで、さて、外出するか。
結局、駅のコンコースで買ってきた値引きのお寿司を食べて、バタン! でした。