汐見坂。江戸見坂。霊南坂。菊池寛実記念 智美術館。・・・(虎ノ門~麻布台の坂。その1。)
5月18日(月)午後。約2時間の探索。最寄り駅では「溜池山王」~「六本木一丁目」~「麻布十番」。地域では、首都高都心環状線が頭上を覆う「国道1号線」の東側、「桜田通り」との間。 この地域は「アメリカ大使館」、「ロシア大使館」、「スペイン大使館」などの大使館や「ホテルオークラ東京」、「アークヒルズ」、「サントリーホール」など文化施設の立ち並ぶ区域。その建物群の間を縫いながらの坂道探訪です。...
View Article桜坂。スペイン坂。道源寺坂。御組坂。偏奇館跡。・・・(虎ノ門~麻布台の坂。その2。)
霊南坂から西南付近は、けっこう坂道が入り組んでいて、「桜坂」、「榎坂」、「鼓坂」、「三谷坂」、「新榎坂」などと名づけられているようです。「桜坂」の標識のみ確認できましたが、他は・・・。そこで、不明なところは、『江戸東京坂道事典』コンパクト版 石川悌二著(新人物往来社)を参考にさせていただきました。 「霊南坂」を右折したところにある坂道。「榎坂」?...
View Article行合坂。落合坂。三年坂。雁木坂。狸穴坂。・・・(虎ノ門~麻布台の坂。その3。)
小休止して、再開です。再び「六本木一丁目」駅地下街の坂(「エスカレータ」を利用してですが)を上がって地上に。「麻布通り」を少し「飯倉」方向(南)に進むと、行く手の先で上りと下りになる坂が「行合坂」。 「行合坂」。 双方から行き合う道の坂であるため行合坂と呼んだと推定されるが、市兵衛町と飯倉町の間であるためか、さだかでない。...
View Article島崎藤村旧居跡。鼬坂。永坂。更科。・・・(虎ノ門~麻布台の坂。その4。 )
「外苑東通り」に向かう坂道「鼬坂」の途中には、 「島崎藤村旧居跡」。 「メゾン飯倉」の下には、(株)東京楽天地が昭和48年4月3日に建てた石柱と説明文を彫った石板があります。 藤村は71才の生涯のうち文学者として最も充実した47才から65才(大正7年~昭和11年)までの18年間 当地麻布飯倉片町三十三番地に居住した。 大作「夜明け前」 地名を冠した「飯倉だより」 童話集「ふるさと...
View Article左内坂。中根坂。浄瑠璃坂。芥坂。・・・(市ヶ谷駅から飯田橋駅まで。その1。)
6月6日(土)。午後2時頃から4時頃。JR「市ヶ谷」駅で下車して、「左内坂」から。・・・上がったり、下ったりで「神楽坂」まで。新宿区のエリアですが、町の名称も由緒あるものが入り組んで存在している町並み。前回の六本木付近に比べて、昔ながらの坂道が続きます。 「市ヶ谷橋 」を渡って、まずは案内図で確認。ここは、一部を除いて標識が建っています。 「左内坂」。「外堀通り」を渡ったところにある。...
View Article鼠坂。「浄瑠璃坂の仇討ち」。払方町。鰻坂。・・・(市ヶ谷駅から飯田橋駅まで。その2。)
「芥坂」を戻って、今度は左に曲がります。 「芥坂」上から下を望む。 西に向かって急角度で曲がりながら一気に下りていく坂。「鼠坂」。 鼠坂(ねずみざか) 細くて狭い坂だったから、まるで鼠がとおるほど狭かったからそう名づけたのであろう。 坂の途中から見上げる。...
View Article歌坂。逢坂。「さねかずら」。「掘兼の井」。・・・(「市ヶ谷駅から飯田橋駅まで。その3。)
上がって右に折れ、突き当たりを右折すると、「歌坂」。 歌坂(うたさか) 雅楽(うた)坂ともいう。一説には「善告鳥(うとう)(海鳥の一種)」の口ばしに似た地形であることからともいう。「うとう」が「うた」になり、歌坂に転じたものであろう。...
View Article庾嶺坂。新坂。地蔵坂。神楽坂。三年坂。・・・(市ヶ谷駅から飯田橋駅まで。その4。)
「外堀通り」を進み、「家の光会館」の脇からすぐ左に上る坂。 庾嶺坂(ゆれいざか) 江戸初期、この坂のあたりが美しい梅林であったため、二代将軍秀忠が中国江西省の梅の名所大庾嶺に因み命名したと伝えられる。別名「若宮坂」「行人坂」「祐玄坂」とも呼ばれる。...
View Article鳥居坂。於多福坂。暗闇坂。・・・(麻布十番駅周辺。その1。)
6月24日(水)午後。ちょっと出かけた帰りに、大江戸線「麻布十番」駅で途中下車して、さっそく坂道探索と。「永坂」から少し西へ入って、それから南に下って、と時間もないが、ぐるりと回ってみようという魂胆。...
View Article「虎の威を借る狐」。「憂国」家気取りの危険性。
「経団連に働きかけ、マスコミ懲らしめを」 自民勉強会 ここまで品格を下劣にさせたのは誰か? アベ親衛隊を自任する連中の集まり。たまたま敵失(民主党)のおかげとアベ効果で、議員の地位にいられる(程度の)人間が、自ら天下を取った気分で、高揚感で語る。それをもてはやす連中。...
View Article大黒坂。七面坂。一本松坂。さくら坂。・・・(麻布十番駅周辺。その2。)
「暗闇坂」の上で「大黒坂」と「一本松坂」と出会います。右に下りる坂が「大黒坂」。その坂を下りる途中、「七面坂」。 1880年代のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より) 中央付近の十字路が「暗闇坂」(北から上ってくる坂)、「大黒坂」(東から上ってくる坂)、「一本松坂」(南に上っていく坂)、「狸坂」(西へ下りる坂)とが交わる地点。今もほぼ当寺のままの道筋です。...
View Article読書「大衆の反逆」(オルテガ・寺田和夫訳)中公クラシックス
著者のホセ・オルテガ・イ・ガセーは、スペインの哲学者。1883~1955。 1930年(昭和5年)に発表された「大衆の反逆」は、文明批評家としての彼の名を広く世界に印象づけました。大衆化社会という20世紀の病理をえぐり出し、その指摘が今なお、80年以上経った現在においても多くの先見性があることに驚きます。...
View Articleまったくの内向き志向。だが、これで一件落着する魂胆見え見え。
大西氏発言で公明に陳謝=安保法案、今月中旬採決目指す―自民 堕落もここに極まれり。謝る相手が違うでしょ! 野党をなめきり、国会を軽視し、・・・。もともとマスコミなどに謝る気はまったくなし! これでよし! 一件落着。あとは採決のタイミングをはかるのみ。内容論議を避けて逃げ切ろうとしている。公明党もなめられたことを知ってか知らずか。 ここまでおごり高ぶっているアベ政権に付ける薬はないのか!
View Article読書「呪いの時代」(内田樹)新潮社
2011年11月発行の書。ということは、「新潮45」誌上に2008年11月から不定期に連載してきた内容にプラスして、「東日本大震災」以後のものが加わっているということ。...
View Article読書「未闘病記」(笙野頼子)講談社
「二〇代デビュー後持ち込み十年、論争積年の三冠ホルダー、大学院教授にして不屈の純文学さっか、そんな「私」をある日不意に襲う……(プ、女の一代記かよ、て、め、え)、難病、……。」(P5) 「そう、難病である。難病になったのだ、難病、と判明した。純文学難解派、と分類される難解文学の書き手のこの私がね、それは。」(P6)...
View Article出合之像。予科練の碑。尾崎一里塚。・・・(名鉄「矢作橋」駅から名城線「伝馬町」駅まで。その1。)
いよいよ今回は、「七里の渡し」跡まで。日程的にはちょっとゆとりのある行程のはず。かといって、一日では無理。そこで、今回も一泊。時々合流する「国道1号線」の標示ですと、《(日本橋から)330㎞ポスト付近から358㎞ポスト付近まで》。 6月16日(火)、17日(水)の2日間。...
View Article「明治用水」。松並木。「かきつばた」。・・・(名鉄「矢作橋」駅から名城線「伝馬町」駅まで。その2。)
少し進むと、「宇頭(うとう)茶屋」というバス停。 そこから10分ほどで、右手に「永安寺の雲竜の松」。 県指定天然記念物 永安寺の雲竜の松 永安寺は大浜茶屋(浜屋町)の庄屋柴田助太夫の霊をまつる寺です。 助太夫は1677年(延宝5)貧しい村人のために助郷役の免除を願い出て刑死したと伝えられています。...
View Article在原業平。芭蕉句碑。来迎寺一里塚。・・・(名鉄「矢作橋」駅から名城線「伝馬町」駅まで。その3。)
想像していたよりも手狭な「無量寿寺」境内。また「かきつばた」はほとんど刈り取られていましたが、芭蕉句碑などもあって、静かな散策を楽しめるところでした。 「謡曲『杜若』と業平の和歌」。 謡曲「杜若」は、在原業平が都から東へ下る途中、三河国八橋で美しく咲く杜若を見て都に残した妻を偲び「かきつばた」の五文字を句の頭に置いて 「唐衣 きつつなれにし 妻しあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思う」...
View Article知立松並木。引馬野。天竺豆。池鯉鮒宿。・・・(名鉄「矢作橋」駅から「豊明」駅まで。その4。)
いよいよ「知立」(池鯉鮒)の「松並木」に到着です。 歩道橋から望む。 来た道(東)を望む。 暗渠になった「明治用水」が松並木の左側の緑道となっている。 東海道松並木...
View Article池鯉鮒宿本陣。いずれあやめか、・・・(名鉄「矢作橋」駅から「豊明」駅まで。その5。)
中町の六叉路。正面の細い路に入ります。 この辻の角には趣のある建物があります。 来た道を振り返る。右手の電柱に「東海道」の標示。 右手にある「食品館・美松」の駐車場に「池鯉鮒宿問屋場之跡」。 「国道419号線」を渡ります。その右手に案内図。 その案内図をもとに本陣跡へ。東海道から少し南に入ったところにあります。...
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