白坂宿~白河宿~女石の追分。その4。(「奥州街道」をゆく。第5日目。)
(11:54)宿内には、他にも明治期の歴史的建造物が残されています。ただ、この地域は戊辰戦争の激戦地だったため、明治以前の建物、史跡等はほとんど残っていないようです。旧奥州街道の道筋のみがかつてを知る手立て? 歴史風致形成建造物 大谷家住宅建造物群 大谷家は、元々味噌醸造を営む商家であった。明治後期に本町大谷忠吉本店から味噌醸造店として分家・創業し、昭和52年頃まで営業していた。...
View Article白坂宿~白河宿~女石の追分。その5。(「奥州街道」をゆく。第5日目。)
(12:07)交差点の右の角に新しくて大きな道標があります。 道標(複製) 建立年 嘉永2年(1849) 高さ 2.05㍍ 本町にある奥州街道と棚倉・石川方面の街道が交わる交差点、通称「四ツ辻」に建てられていた石造の道標です。...
View Article新宿(にいじゅく)~松戸~小金。その1。(「水戸街道」をゆく。第1日目。)
先日、長年お世話になった方が亡くなり、土浦まで出かけました。初めて知ったことでしたが、その方のおうちは旧水戸街道沿いのお宅でした。旧家の方というお話しは聞いておりましたが。 ふとした思いつき。これを機会に「水戸街道」を歩いて行ってみようか、何日かかるかわかりませんが、ま、冬でも晴れ間なら歩くのはそれほど大変ではないのでは・・・。...
View Article新宿~松戸~小金。その2。(「水戸街道」をゆく。第1日目。)
鋭意、工事中の「外環道路」(「外かん葛飾大橋」)の下をくぐります。次の写真は公開されたときのようすです。 (HPより) 金町からは渡しで対岸の松戸へ向かいました。「金町関所」跡碑が「葛飾橋」先、「東京都水道局東金町ポンプ場」のところにあります(10:51)。 金町関所跡...
View Article新宿~松戸~小金。その3。(「水戸街道」をゆく。第1日目。)
「春雨橋」を過ぎた、その先、左に剣豪千葉周作の実父、浦山寿貞の墓と、周作の剣の師である浅利又七郎の供養碑がまつられている「宝光院」があります(11:39)。 「宝光院」の入口には、「千葉周作修行之地」(右)と記された標柱が建てられています。 千葉周作居宅跡・浅利道場跡・浦山寿貞墓所...
View Article強い者に気に入られるそうだ、アベさんは。
安倍首相「信頼築けると確信」=トランプ氏と初会談―1時間半、再会で一致 誰よりも早く、イの一番に駆けつけたアベ。機を見るのに敏であることは認めます。 トランプ氏は強烈な個性の持ち主ですが、安倍首相と個人的にウマが合うとも言われています。首相自身も「ワンマンタイプの大統領や首相に好かれる」と周囲に漏らしたことがあるそうです。 (HPより)...
View Article新宿~松戸~小金。その4。(「水戸街道」をゆく。第1日目。)
(13:35)「旧水戸街道」は「6号線」から斜め右に入って行きます。 水戸街道 江戸と水戸を結ぶこの街道は江戸時代には諸大名、旗本の往来で賑わっていました。松戸市内は大部分が国道6号線として整備され、大きく変貌しましたが、現在地から北方の6号線との交差点までの約900mは当時の道形を残しています。 緩やかに曲りながら下り、JR武蔵野線のガードをくぐります(13:38)。...
View Article「福島第一原発事故」の現状を現地で学ぶ。その1。(じじばばがゆく。学習編。)
11月13、14日。両日とも晴時々曇り。 福島に行って来ました、かつての仲間と共に。全国からは北海道から沖縄まで40名以上の参加者。 初日は飯坂温泉「公立学校共済・あづま荘」で学習会と交流会。翌日は、バスで現地を案内してもらいました。...
View Article「福島第一原発事故」の現状を現地で学ぶ。その3。(じじばばがゆく。学習編。)
高台に小学校があります。もちろん、閉校中。 平日の月曜日、5年前なら元気な子どもたちの姿で賑やかだったでしょう。今は、子どもや先生の姿は皆無で、閑散としています。いつ再開できることやら。そして、何人の子どもたちが戻ってくることやら。...
View Article「福島第一原発事故」の現状を現地で学ぶ。その4。(じじばばがゆく。学習編。)
「国道6号線」を南下します。この先は、津波の被害にも遭ったところだそうです。場所によっては「6号線」を越えて津波が押し寄せたとも。地震と津波と原発と三重苦に見舞われたわけです。 海岸側には広大な放射能汚染物質の集積場所と沿岸堤防工事と数軒、取り残された家屋と、・・・。 勇壮な相馬馬追いの絵柄も何となく元気がなさそう。...
View Article「福島第一原発事故」の現状を現地で学ぶ。その5。(じじばばがゆく。学習編。)
浪江町に入って行きます。ここも無人の町。解体作業と除染作業と、その関連の作業員とトラックと。信号は点滅していても、通る人間はいません。ただ、車が行き来するのみ。地震と津波と原発事故で今や建物もそのまま放置され、あるいは解体中、そしてすっかり整地された区画が点々とあるだけ。 建物が並んでいても、人っ子一人もいないというのは、実に不思議な、というより不気味な様相。...
View Article「福島第一原発事故」の現状を現地で学ぶ。その6。(じじばばがゆく。学習編。)
公園の片隅に放射線の線量電光掲示板。誰もいないのに、間断なく流れるように表示しています。 公園は荒れ放題。遊具もベンチも・・・。 「ちょっとの間ですぐ雑草が生えてきちゃうんだよな」とつぶやきながら、黙々と公園の草を抜いたり、枯れ葉を集めている一人の老人の姿。作業員にも見えない、いったいどういう方か? 左手には「浪江小学校」。...
View Article型通りの猿芝居。何度も何度も見せられる国民。
カジノ法案審議入り=自民、今国会成立の意向 いつものパターン。アベもそれを見越して、強気の態度。「たかがこんな法案ごときで、与党から離れることはないでしょ。」「君たちが賛成しなくても、維新の会が賛成するから」 この法案、「日本維新の会」への恩を売る法案。ここで恩を売れば、ますます改憲の際には大賛成する。他の法案も、思い通りに。...
View Article小金~我孫子~取手。その1。(「水戸街道」をゆく。第2日目。)
11月23日(祝)。曇り。風冷たし。水戸街道第2日目となります。 我孫子に知人がいるので、うまくしたら飯でもご馳走してもらおうかと、そんな魂胆で。 北小金駅を降りて前回の「道標」のところまで。「小金宿」から「国道6号線」に向かいます。 (9:28)今日はけっこう肌寒い。イチョウ並木。 国道6号線との交差点が「根木内」。左側の丘陵が「根木内城跡」。...
View Article小金~我孫子~取手。その2。(「水戸街道」をゆく。第2日目。)
(10:52)「柏神社」前を行きます。北柏から我孫子へ向かいます。 柏神社脇の解説板。 水戸街道の木戸 江戸時代、柏市域の一部は小金牧といわれた幕府直轄の馬の放養地、供給地であり、当時の水戸街道はこの牧の中を通過していました。その情景は下の「水戸土浦道中絵図」から探ることができます。...
View Article小金~我孫子~取手。その3。(「水戸街道」をゆく。第2日目。)
この先、旧水戸街道は、「国道356号線」となります。しばらく進むと、JR線に分断されてしまので、跨線橋を渡ります。「我孫子市立第4小」の脇を進むと、「我孫子宿」に入ります。 来た道を振り返って望む。 この先から「我孫子宿」。 (12:14)宿場らしい鈎型に曲がった道になります。...
View Article小金~我孫子~取手。その4。(「水戸街道」をゆく。第2日目。)
「我孫子宿」を出て、この先、いよいよ「利根川」を渡って、「取手宿」へ向かいます。 しばらく進むと「成田街道」との追分(分岐点)。 三叉路のところに「成田道」道標など石塔が建っています。 直進する道が「成田街道」。 左斜めに進むのが「旧水戸街道」。 「追分」を振り返って望む。...
View Article小金~我孫子~取手。その5。(「水戸街道」をゆく。第2日目。)
(14:34)やっと渡り終えそうです。対岸は、取手市。 振り返って望む。対岸は我孫子市。 取手市。 1880年代のようす。明治に入って渡し場の位置が上流の方に移動したようです。 現在のようす。 橋を渡り終えると、右に進みます。常磐線のガード下。 その先で「取手宿」に入ります。「宿場通り」。...
View Articleすみだ北斎美術館。(じじばばがゆく。鑑賞編。)
お持たせ、何とか間に合ったわ。なんだかんだ家から出てくるのって大変なのよ、主婦は。 さて、ここからどう行くの? 両国駅の近くだって言うじゃない、タクシーで行きましょ。 このあいだ、新聞に出ていたわよね、「北斎美術館」のこと。墨田に関係あるの、葛飾北斎さん。 へえ、この通り「北斎通り」って言うんだ。やっぱり関係があるのかしらね。...
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