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Channel: おやじのつぶやき
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「福島第一原発事故」の現状を現地で学ぶ。その5。(じじばばがゆく。学習編。)

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 浪江町に入って行きます。ここも無人の町。解体作業と除染作業と、その関連の作業員とトラックと。信号は点滅していても、通る人間はいません。ただ、車が行き来するのみ。地震と津波と原発事故で今や建物もそのまま放置され、あるいは解体中、そしてすっかり整地された区画が点々とあるだけ。

               
 建物が並んでいても、人っ子一人もいないというのは、実に不思議な、というより不気味な様相。

 JR常磐線・浪江駅前で下車します。

    
                                     荒廃したままの商店。

          駅前広場。1.21μ㏜/時。ここも、高線量。

常磐線「浪江駅」。そこにいるのは私たちだけ。

《被災後の常磐線について》(以下、「Wikipedia」参照)

竜田 - 原ノ町間
 この区間は大半が原発事故後に警戒区域とされたことから詳しい被害調査ができず、富岡駅の津波による流失、大野駅の駅舎一部損壊や大野駅 - 双葉駅間の第一前田川橋梁上り線の崩壊の被害などが確認されている程度だったが、2015年2月までにすべての被害調査が完了した。
 代行輸送については、並行する国道6号も許可車両以外の通行が規制されていたため行われていなかったが、2014年9月15日からは自動車のみ自由通行が可能となったこともあり、2015年1月31日には 竜田 - 原ノ町間にてバス2往復による代行輸送を開始している。当初途中停車は設定されなかったが、2016年7月12日に小高 - 原ノ町間の運転が再開されたことを受け、利便性から運行区間は竜田 - 原ノ町のまま、小高駅のみ停車を開始し小高駅からいわき駅方面への乗り継ぎを可能にしている。

竜田 - 富岡間
 避難区域の再編後大半が避難指示解除準備区域となったが、富岡駅付近を中心に津波による被害が発生した区間である。2015年3月の国土交通省発表では、運転再開目標は竜田 - 富岡間は「3年以内」(2018年春まで)とされた。再開目標の提示以前から、津波被災区間について路線自体に津波対策などを施した上で現在位置で復旧させる予定が2013年に発表されており、富岡町のまちづくり計画では、拠点性の向上のため富岡駅を復旧に当たって現在位置よりやや北側に移設させる予定であるとされていた。その後、2016年2月には富岡駅の移設協議が進んだことを受け、運転再開時期を2017年末に繰り上げることが明らかにされた。

富岡 - 浪江間
 避難区域の再編後も大半が帰還困難区域および居住制限区域とされた区間である。この区間については高い放射線量の区間があることから、2015年3月の国土交通省発表では「除染や異常時の利用者の安全確保策を完了した後」の開通とされ、具体的な時期は明示されなかった。被災区間では最後まで再開目標が明示されていなかったが、2016年3月10日、国土交通省より2020年3月までに運転を再開する見通しが発表されている。
 これに先立ち、2015年8月に富岡駅 - 浪江駅間で除染の試験施工がJR東日本により行われている。2016年2月の報告によるとこの区間における帰還困難区域相当の空間放射線量であった区間は1割程度であり、試験施工についても効果が見られたと報告されている。
 なお、上り線が倒壊した第一前田川橋梁については、再利用が困難として、下り線も含め2015年6月29日から撤去工事を行った後、2016年3月18日に復旧工事を開始している。

浪江 - 原ノ町間[編集]
 避難区域の再編後大解除準備区域となり、2015年3月の国土交通省発表では、運転再開目標は浪江 - 小高間は遅くとも2017年、小高 - 原ノ町間は2016年春とされた。
 2016年7月12日には南相馬市小高区に出されていた避難指示が帰還困難区域を除き解除されることを受け、同日から除染・復旧工事が完了した小高 - 原ノ町間の運転を再開した。列車は原ノ町 - 相馬間の列車を一部延長するような形で設定となったが、相馬 - 浜吉田間が復旧する2016年12月10日以降は上り1本を除き仙台方面との直通は行われない予定である。

原ノ町 - 相馬間
 この区間は南相馬市内の一部が緊急時避難準備区域となったが、前後の区間と比較し被害が比較的少なかったため、区域指定が解除されていない2011年5月23日から相馬駅 - 亘理駅間のバスを延長する形で代行輸送が開始され、同年9月30日の緊急時避難準備区域解除を経て、12月21日に運行を再開した。運行再開の時点では徐行運転とし、2012年1月10日からは本来の速度で運転している。この運転再開時には前後の区間から孤立しており、原ノ町 - 相馬間で取り残された車両では運用が困難であったため、701系3編成6両を勝田車両センターへ転属の上、2011年12月13日から15日にかけ陸送で搬入、原ノ町運輸区に常駐させて使用している。
 なお、2016年7月12日の小高 - 原ノ町間再開時には同区間との一体的な運用が行われているが、同年12月10日の相馬 - 亘理間の再開後は震災前と同様仙台方面への直通が実施され、系統も原則的に原ノ町駅で分断となる予定である。

相馬 - 亘理間
 この区間は駒ケ嶺 - 亘理間で津波による設備の浸水・流失が発生したことから、亘理駅の中線にホームを仮設し仙台方面への折り返し運転を行い、相馬 - 亘理間でバス代行が実施された。バス便は各駅停車のほか、途中新地のみ停車する便や、山下 - 亘理の区間便が設定されている。途中駅についてはバス停は旧駅とは異なる場所に設置されている場所がある。
 この区間についてJR東日本は国道6号線沿いの内陸部への移設も視野に復旧案を検討し、沿線自治体である福島県新地町・宮城県山元町ではそれぞれ常磐線の線路(駒ケ嶺 - 浜吉田間)と新地駅・坂元駅・山下駅の3駅の移設を含めた都市計画が立てられたこともあり、相馬 - 亘理間のうち、駒ケ嶺 - 浜吉田間については現位置より山側に移設、相馬 - 駒ケ嶺、浜吉田 - 亘理間は現位置で対策工事を行い復旧させることが、2012年3月5日に発表された。
 うち、浜吉田 - 亘理間については復旧・避難対策完了後の2013年3月16日に先行して運行を再開した。ただしバス代行の区間は従来通りとされ、列車交換がない場合の跨線橋利用を避けるため亘理駅の仮設ホームも存置された。

 JR東日本では2019年の復旧を目指しているようですが、まだまだ本格的運用には時間がかかりそうです。

  
                          (上の図は「福島復興ステーション」HPより)

無人のホーム。

周囲の建物も撤去され、閑散とした駅前広場。

「建物撤去中」の幟が各所に。

 一歩住宅地に足を踏み入れると、整地された土地が目立ちます。
    

居酒屋のショーケース。

大きな総合病院。再開には多くの時間と費用が・・・。

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