この先、旧水戸街道は、「国道356号線」となります。しばらく進むと、JR線に分断されてしまので、跨線橋を渡ります。「我孫子市立第4小」の脇を進むと、「我孫子宿」に入ります。


来た道を振り返って望む。
この先から「我孫子宿」。

(12:14)宿場らしい鈎型に曲がった道になります。


我孫子宿(あびこしゅく)
水戸街道千住宿から4つ目の宿場町。現在の千葉県我孫子市本町・白山・緑・寿付近にあたる。
本陣・脇本陣が置かれた大規模な宿場町で、東西に1km弱の範囲に広がっている。宿場町東端から数百m水戸側に離れたところには、成田方面に向う街道筋との追分があり、石碑が建てられている。天保14年(1843)では家数114軒、本陣1,脇本陣1軒。常備人馬は10人、10疋。
旧道筋が拡幅されたこともあり、ほとんど古建築は残されていない。本陣跡も、説明が付された杭が立てられているだけである。

(12:25)さて、やっとJR我孫子駅前に着きました。それほど大きな駅ではないようす。さっそく、知人に電話。
「もしもし、今、我孫子駅前にいるんだけれど」
「あっそう、なんでまた? 」
「ほら、水戸街道歩きでここまで来たのさ。」
「それはご苦労様です。」
「飯でも一緒に食おうかと思って。」
「大変残念でしたね。今、銚子に来ているんですよ。銚子。」
「えっ、せっかくの休みの日なのに。」
「キノコの採集でさ、来てるんだよ。けっこう今日は寒いね、ご苦労さん。」
「ホント、風が冷たいよ。」
「僕のうちはさ、天元台駅の方だから。」
「いないうちに行ってどうするんだよ。」
「ここが私のうちかって確認してもらってもいいよ。」
「そんなの意味ないじゃない。これから取手に向かうところだよ。」
「お疲れさん。寒い中、ま、頑張って下さい。」
「このへんに飯屋はあまりなさそうだね。」
「う~ん、老舗のうなぎ屋はその先の方にあるけれどね。」
「ご馳走してくれるならいいけど。」
「銚子だから無理だよ。」
・・・
大いに当てが外れて、「日高屋」に入りました。先週の街道歩きに続いて同じチェーン店に。
我孫子にゆかりのある文化人。そういえば志賀直哉なども。

さて、再開。我孫子宿の中心地を進みます。


(12:59)「割烹旅館 角松本店」。
せめて写真だけでも。

その先で道は左に折れます。振り返って望む。

道標「従是子ノ神道」と解説板。

水戸道中と我孫子宿の町並み
江戸幕府は今から約400年前の江戸時代初めから、江戸を中心とした陸上・水上交通網を整備しました。江戸と水戸とを結ぶ「水戸道中」は水戸徳川家や常陸周辺の大名が江戸との往来に利用し、東海道などの「五街道」に次いで重視されました。水戸道中は奥州街道の千住宿から分岐し、新宿(葛飾区)~松戸宿~小金宿~我孫子宿を結び、江戸初期は布佐から竜ケ崎経由で水戸を目指していましたが、天和2(1682)年には第一小学校入口交差点を北に進み、取手宿を譬喩するルートに変更されたことが資料から判明しています。
江戸中期の宝暦8(1758)年に書かれた「土浦水戸道中絵図」の我孫子宿(吾孫子と表記)では、カギの手状に曲がった道に沿って70軒ほど家並みが続き、幕府や大名等の公用旅行者の宿泊所である「本陣」(小熊郷右衛門宅)が白い蔵を伴って建っている様子が描写されています(本陣は現在地の北約50㍍)。また、現在地付近には伝馬(馬・人足)と公用文書の輸送(継飛脚)を管轄する役所である「問屋場」が置かれていました。本陣、問屋ばともどのような建物が建っていたのか不明ですが、ここから約1キロ東にある旧村川別荘の母屋は、本陣の離れを大正10(1921)年に解体移築したものと伝えられ、当地角に立つ寛政元(1789)年の「子の神道標」と合わせて、江戸時代の我孫子宿を偲ぶ数少ない資料となっています。
平成24年3月 我孫子市教育委員会


その先、左手に「我孫子本陣跡」碑。


この付近には江戸時代の参勤交代などのときに大名などの宿泊・休憩場所として使われた「本陣」がありました。
平成13年3月 我孫子市教育委員会
今度は大きく右に曲がりますが、その手前、左手には「脇本陣跡・小熊邸」。今も現役の茅葺き屋根のおうち。


交差点の左手には「割烹・鈴木屋」。

そこから来た道を振り返って望む。

鈴木屋は明治12年に成田街道沿いの宿場町・我孫子の宿という場所に宿屋を構えたのがはじまりです
おかげさまで137年店を営んでくることができましたこと 心より感謝申し上げます
我孫子は都心より35分という便利な立地ながら北に雄大な利根川をひかえ南に水鳥の群れる手賀沼をのぞむ緑ふかく、豊かな水に恵まれたその風光明媚な景色から「北の鎌倉」と呼ばれ、かつて志賀直哉をはじめ多くの文人たちに愛されてきました
時が流れ町の景観がかわりゆくなか 今もなおその自然は多くの人の心に安らぎを与えてくれます
鈴木屋も日本料理の伝統を受け継ぎつつ、「どこか心安らぐ場所」であり続けたいと願っております
・・・
(以上「鈴木屋」HPより)
ここでは、毎月、「わいわい亭 寄席」を開催しているとのことです。
