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Channel: おやじのつぶやき
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新宿~松戸~小金。その2。(「水戸街道」をゆく。第1日目。)

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 鋭意、工事中の「外環道路」(「外かん葛飾大橋」)の下をくぐります。次の写真は公開されたときのようすです。

  (HPより)

 金町からは渡しで対岸の松戸へ向かいました。「金町関所」跡碑が「葛飾橋」先、「東京都水道局東金町ポンプ場」のところにあります(10:51)。
    

金町関所跡
 金町関所は、金町松戸関所と称され、水戸街道が江戸川を渡る地点に置かれた江戸の東の関門でした。関所の施設がある一帯は金町御番所と呼ばれ、4名の関所番が明治2年(1869)まで、その任にあたりました。
 対岸松戸宿との間には渡船が常備されていましたが、将軍が小金原に鹿狩りに出かける際には、江戸川に高瀬船を並べた仮設の船橋が架けられました。4度行われた鹿狩りのうち、最後の嘉永2年(1849)の資料は、関所付近のようすを多く伝えています。
 その後、明治末期に行われた江戸川の改修により、御番所町の家並みの一部は拡幅された堤防の下となり、江戸川の河身も大きく変貌しました。
 関所跡は、松戸宿との位置関係から、現堤防下の河川敷一帯と想定できます。
 
                                葛飾区教育委員会

「船橋」のようす。


1880年代のようす。渡し付近に家並みがあります。


現在のようす。河床はほとんど変化していませんが、河川敷の整備で堤防が大きく変わっています。

土手から対岸・松戸方面を望む。

 (10:57)「葛飾橋」を渡り、対岸の松戸へ向かいます。
    

 かつて家並みがあった辺りは、河川敷になって、ゴルフ練習場になっています。
    

(11:01)東京都から千葉県に入ります。

右が千葉県、左が東京都。

 (11:25)小休止のあと、「葛飾橋」からしばらく土手伝いに行くと、左手に「松戸宿」の入口を示す傍示杭(石碑)が建っています。
    

「是より御料松戸宿」碑の建立由来
 江戸時代後期に幕府によってまとめられた「水戸佐倉道宿村大概帳」によると、松戸宿の「榜示杭(境杭)」は「宿の前後境にあり、建替えは支配代官が取扱う」とあります。
 「宿の前後境」とは、北側は根本村境、南側は江戸川を隔てて対岸の金町松戸関所に相対する下横町渡船場のことで、水戸道中松戸宿の出入口を指しています。
 これを同じ頃幕府が作った「分間延絵図」(重文)にみると、確かに宿の出入口に高札を並んで「御料(領)榜示杭」の文字と絵が描かれています。
 この「御料榜示杭」にどのような文字が書かれていたのかは分かりませんが、街道の通行人に土地の支配関係を知らせる必要から、僅かに口承にも残っていたように、「是より御料松戸宿」などと書かれていたものと推定されます。
 特に、ここ下横町渡船場は、江戸川を船で渡って水戸道中松戸宿に入ってくる宿の玄関口でもあったので、これを永く記念し記憶に留める意味から、この標石を建立しました。
 なお、本来この「御料榜示杭」は木製で、位置も道を挟んだ反対側(南側)で、現在堤防から河川敷になっている付近に建てられていました。
 平成7年6月3日         寄贈 松戸西口ロータリークラブ

                            

土手から対岸(金町側)を望む。

松戸宿・下横町(渡船場)を望む。

位置関係を示す図。

船着場らしい町並み。

 (11:28)宿内に入ると、古い商家などの建物などが残っています。
    

ほぼ直線の道に沿って町並みが続く。

本陣跡は「松戸郵便局」のようですが、説明板に気づかず。

松戸宿
 水戸街道千住宿から2つ目の宿場町。現在の千葉県松戸市松戸・本町にあたる。
 江戸時代には江戸川に橋は架けられておらず、渡船となっていた。松戸側にも渡船場跡付近に天領を示す御料傍示杭が建ち(現在はその付近に石碑が立つ)、そこが松戸宿の江戸側の端となっていた。
 松戸宿近在の農家には江戸川対岸に農地を持ち、自家用船で川を往来する者もあった。
 松戸の宿場町は南北に約1キロほどの範囲に広がっていた。松戸はまた、物資集積地としても栄えた場所であり、数百軒の家並みが並ぶ大規模な集落を形成していた。運河としても使われた坂川が市街地を横切って流れている。
江戸川に隣接した松戸宿は物資の中継地として大変賑わった宿場で、
 天保14年(1843)の水戸佐倉道宿村大概帳によると、本陣1、脇本陣1、旅籠28、家数436とある。

その先、右手にあるのが「松戸神社」。

                   古くて立派な木造のおうち。
    

 (11:37)宿内を流れる「坂川」に架かっていた「春雨橋」のところにある「松戸宿 坂川の歴史」解説板」。
    

 古くからここには水路があり、街道をよこぎっていた。橋は水戸石橋と呼ばれていたとつたえられている。
のちにかわの名を坂川、橋の名を春雨橋と言う。
松戸宿はこのあたりから下横町渡し船場までが繁華街で街道の東側は田畑が広がっていた。
米が豊富な宿場では餅菓子や煎餅などを売る店が多かったと言われている。 
                      

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