JR「蘇我」駅~「姉ヶ崎」駅。その1。「蘇我」。「旧国道踏切」。(「房総往還」をゆく。第3日目。)
「房総往還」第3日目。2月8日(土)。晴れ時々曇り。最近は、自宅を出るのが遅く距離が伸ばせません。 街道はほぼ南に向かうので、写真を撮ると、逆光気味になってしまいます。 こんな風にスッキリとは撮れません。 道標「大がんじ道」。ここから北東にあるお寺への道。 「鬼そば」。ネーミングが奇抜! 明治創業の4代目が切り盛りするお店。日本蕎麦から中華まで幅広いメニュー。...
View ArticleJR「蘇我」駅~「姉ヶ崎」駅。その2。「伊南房州通往還」、「国道16号線」。(「房総往還」をゆく。第3日目。)
右手には「JFEスチール」関連会社の施設が。 上流にJR内房線の鉄橋。 街道を行き来するバスは、「小湊バス」。 大きなおうち、門構えも立派。 旧道らしいカーブ。 ここにも古い面影を残すおうちが。 この付近の今昔。 1880年代のようす。...
View ArticleJR「蘇我」駅~「姉ヶ崎」駅。その3。「村田川」。「八幡宿」。五所。(「房総往還」をゆく。第3日目。)
「村田川渡船場跡」解説板。 街道をはさんで両側に緑地帯(公園)があります。...
View ArticleJR「蘇我」駅~「姉ヶ崎」駅。その4。「枡形」。「五井陣屋」。「小湊鐵道」。(「房総往還」をゆく。第3日目。)
街道筋には大きなおうちが並ぶ。 手入れの行き届いた庭木のあるおうちが目立つ。 庭先には「ナツミカン」がたわわに。 途中の魚屋さん「寿々喜鮮魚店」。粋な店名。人通りもほとんどない中、熱心にさばいています。その先には「すずき旅館」。 カジキマグロ。 サバ。 路地の奥に「共同墓地」(↓)。宗派を問わずに地域の中に。...
View ArticleJR「蘇我」駅~「姉ヶ崎」駅。その5。「養老川」。三角形。(「房総往還」をゆく。第3日目。)
街道に復帰。歩き始めましたが道が? 右に曲がって、すぐ左折し、というはずが・・・。この付近は、住宅地再開発なのか、道路も広く、整然と碁盤の目のように。 旧道を探しあぐね、駅近くまで戻ったり、あちこちうろちょろ。 駅方向を振り返る。 どうやらこの道が旧道? 「大宮神社」付近で右カーブし、「白金通り」を左折、養老橋へ向かいます。...
View ArticleJR「蘇我」駅~「姉ヶ崎」駅。その6。「二子塚古墳」。「姉崎だいこん」。(「房総往還」をゆく。第3日目。)
旧道らしい雰囲気もつかの間。橋梁工事中で迂回することに。 迂回路から振り返る。 右にカーブして先ほどの道に合流。 その手前のおうち。石造りの庭がすてき。 いまはやりの食パン専門店。 「弥塩道」。 少しお店もあって賑やかな通りになります。 「白塚」交差点を左折し、踏切を越える。 線路に沿って右に進みます。 「五井」方向を望む。...
View ArticleJR「姉ヶ崎」駅~「木更津」駅。その1。海岸線の今昔。(「房総往還」をゆく。第4日目)
「房総往還」歩きの第4日目。 「姉崎陣屋」「鶴牧陣屋」跡、藩校跡(「姉崎小学校」に)など、姉ヶ崎には鶴牧藩の遺構があるようですが、ちょっと分からず。そのまま南に向かいます。 左手に大きな洋館。 車がけっこう頻繁に通過する街道歩きとなります。トタン囲いの蔵が。 右手に内房線の鉄橋。その向こうに工業地帯。 梅の木が庭先に。...
View ArticleJR「姉ヶ崎」駅~「木更津」駅。その2。海岸線の今昔。「ガウラ・ソデリー」。旧道が不明。(「房総往還」をゆく。第4日目)
かつての海岸線のなごりか? 防砂林。 「内房線」の向こうに。 海に通じる水路にカルガモ。この付近が河口? 「長浦中学校」手前の役場跡敷地に境界石。 道路際には「沖縄中学決死隊感激碑」が囲いの中に。 この付近の今昔。 1880年代のようす。海岸線のすぐ脇を街道が。現長浦駅付近は、わずかばかりの土地があり、北東に延びています。...
View ArticleJR「姉ヶ崎」駅~「木更津」駅。その3。集落内の古道。「奈良輪」。「袖ケ浦」。(「房総往還」をゆく。第4日目)
金の鯱のあるお屋敷。 集落内の道。昔ながらの小道? 正面に「三界萬霊碑」の道標。 「左きさらす(木更津)道」、裏面には「是より右江戸道」。元々の位置にあったものか? 右折してみると、かつての海岸線か? 水路もあり。 1880年代のようす。街道が右下に。...
View ArticleJR「姉ヶ崎」駅~「木更津」駅。その4。「KISARAPIA」。旧道?(「房総往還」をゆく。第4日目)
再開します。 周辺の案内図。←が旧道。 旧道は道路工事中。 突き当たりの細い道を進み、県道に合流。 「浮戸川」を渡ります。左奥の道が旧道。 河口方向。奥に水門が。 渡ったあと、すぐ左の旧道に入ります。 静かで落ち着いた家並み。...
View ArticleJR「姉ヶ崎」駅~「木更津」駅。その5。木更津無人飛行機試験場。旧道は続く。(「房総往還」をゆく。第4日目)
「東京湾アクアライン」高架下。 「Google」で確認すると、この道筋に「木更津無人飛行機試験場」という施設があるらしい。どんな所なのだろう? とそんな興味も。 来た道を振り返る。 ところで件の施設。たしかに広い敷地と洒落た「カフェ」のような建物はありました。写真を撮るのもはばかれる秘密組織?...
View ArticleJR「姉ヶ崎」駅~「木更津」駅。その6。久留里線。「畳ヶ池」。(「房総往還」をゆく。第4日目)
旧道らしい雰囲気の道筋。 大きなお屋敷。 落ち着いた街並み。 満開のサクラ。「ヒカンザクラ」or「カワヅザクラ」? よく見ると、たくさんのミツバチが花びらに群がっています。 来た道を振り返る。 広い敷地の家が目立つ。 農家らしい佇まい。...
View ArticleJR「姉ヶ崎」駅~「木更津」駅。その7。「満地球」。「館山街道踏切」。(「房総往還」をゆく。第4日目)
木更津市マンホールの絵柄。「証誠寺の狸囃子」。 丁字路を右折して木更津市街地へ。 正面のおうちはなかなか趣がある。 足下には道標が倒れたまま。 市街地に入っても人通りは少ない。 ユニークな社名を発見! 「株式会社満地球」。...
View Article東日本大震災から9年目。復興の掛け声と現実は?
東日本大震災が勃発して9年が経ちました。たくさんの犠牲者を出し、完膚なきまでに破壊された地域。・・・大津波と福島原発事故とまだまだその爪痕はたくさん残っています。新型コロナを理由に大きな慰霊祭は中止となっています。もうすでに過去の出来事? そうなってはならない、と。 大震災の2年後に現地を訪れたときの記録をブログに掲載しました。その一つを再掲します。 名取市閖上(ゆりあげ)浜...
View Article追悼。古井由吉。
古井由吉さんが亡くなりました。この方の作品はけっこう読みましたが、このブログでは二冊取り上げました。その二つを再掲。 《読書 2014・5・30掲載》...
View Article追悼。別役実。
別役実さんが亡くなりました。「早稲田小劇場」をはじめとしてけっこう観に行きました。「不条理劇」という括りでとらえられていますが、そういう枠におさまらない刺激的な作品が多くありました。このブログでも扱ったかな、と思い、検索したら一つだけ、それもずいぶん以前(15年以上昔)に投稿したものだけでした。そういえば、「小劇場」スタイルのお芝居からはずいぶんと遠ざかっていたのですね。・・・...
View ArticleJR「姉ヶ崎」駅~「木更津」駅。その8。木更津駅周辺。寂れ方が何とも。(「房総往還」をゆく。第4日目。)
土曜日の西口。昼下がり。しかし、人っ子一人いない。タクシーの運転手が手持ちぶさたに。 食堂も駅舎内にラーメン屋が1軒。客はいない感じ。その他に商店街に飲み屋が営業中。あとは、・・・。 駅前のテナントビル。かつて「そごう」があったビル。今や閑散としたビルに。「そごう」撤退は、大きな話題になった。 スパークルシティ木更津(旧:A館) B1F - 準備中 1F -...
View ArticleJR「木更津」駅周辺。その1。木更津こども人形劇場 。こうもり安。軍用兎。藤棚。(「房総往還」をゆく。第4日目。)
「みなとまち木更津へようこそ」案内図。 与三郎通りを行きます。 どの店も閉まっている(廃業している? )中で、この先、右手にあるラーメン屋さんはやっていました。街歩きの人には有名なお店らしい。 「愛染院不動堂」。 約150年前に建てられた、旧勢州屋土蔵2棟の内の一つを移築復元したもので、1階が「木更津こども人形劇場」となっています。...
View ArticleJR「木更津」駅周辺。その2。「山田眼科」。「木更津ばやし」。「人参湯」。・・・(「房総往還」をゆく。第4日目。)
「山田眼科」。左手の洋風建物は昭和3年(1928)の建築。右側は、昭和12年(1937)の建築。 木更津市内を行ったり来たり。今度は少し戻って右折し、広い通りへ。 正面、向こうは木更津港。 「仲片町公会堂」。 ここに、記念碑と「木更津ばやしの由来」解説板。...
View ArticleJR「木更津」駅周辺。その3。木更津港。見染の松。「与話情浮名横櫛」。(「房総往還」をゆく。第4日目。)
木更津港。 海岸通りを少し北へ。港らしいモニュメントが。 「回転寿司 やまと」。けっこう人気のお店のようです。 「栄宝丸つり舟」店前の自販機。にぎやかなレイアウト。 「富士見通り」を右折。その角に「常夜燈」のモニュメント。 「富士見通り」は、木更津駅から港までのメインストリート。...
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