街道に復帰。歩き始めましたが道が?
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右に曲がって、すぐ左折し、というはずが・・・。この付近は、住宅地再開発なのか、道路も広く、整然と碁盤の目のように。
旧道を探しあぐね、駅近くまで戻ったり、あちこちうろちょろ。
駅方向を振り返る。
どうやらこの道が旧道?
「大宮神社」付近で右カーブし、「白金通り」を左折、養老橋へ向かいます。
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左側のお店。休業中?
やっと「養老橋東側」交差点に出ました。ここまで約30分。![]()
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「養老川」に架かる「養老橋」。![]()
「養老川」
千葉県夷隅郡大多喜町大田代の清澄山北東部に位置する麻綿原高原に源を発し、蛇行しながら北上する。高滝(別名、粟又の滝)、弘文洞跡を過ぎ市原市に入り、高滝湖に注ぐ。さらに北に流れ、市原市五井南海岸と市原市五井海岸の境界から東京湾に注ぐ。
名称の由来
川の名前の「養老」の由来は、一説にひざの裏を表す古語の「膕(よほろ)」という言葉が、屈曲の多い川の様子を表したと言われている。現在の「養老」という字が当てられたのは江戸時代以降で、それ以前は「用路川」や「勇露川」という字が、さらに以前には「与保呂」が当てられていた。 (以上、「Wikipedia」参照)
「小湊鐵道」はほぼ「養老川」沿いに南下する鉄道線。
河口(東京湾)方向。
上流方向。
「大塚ばやし」。
「五大力船」。
「国分尼寺跡」。
橋の欄干には、以上のようなレリーフがあります。
橋を渡って左折した街道は次第に川から離れます。![]()
左手に大きなお屋敷。![]()
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ここで右の細い道に入ります。旧道のようです。![]()
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右手に「出羽三山」の大きな碑のある共同墓地を見ながら進みます。
三角形の頂点を左に曲がります。![]()
県道に復帰。![]()
どうしてこのような道筋になったのか?
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1880年代のようす。 2010年代のようす。道筋がしっかり残っている。
再び県道歩き。![]()
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ここで左の旧道に進みます。

右に曲がって、すぐ左折し、というはずが・・・。この付近は、住宅地再開発なのか、道路も広く、整然と碁盤の目のように。
旧道を探しあぐね、駅近くまで戻ったり、あちこちうろちょろ。


「大宮神社」付近で右カーブし、「白金通り」を左折、養老橋へ向かいます。



やっと「養老橋東側」交差点に出ました。ここまで約30分。


「養老川」に架かる「養老橋」。

「養老川」
千葉県夷隅郡大多喜町大田代の清澄山北東部に位置する麻綿原高原に源を発し、蛇行しながら北上する。高滝(別名、粟又の滝)、弘文洞跡を過ぎ市原市に入り、高滝湖に注ぐ。さらに北に流れ、市原市五井南海岸と市原市五井海岸の境界から東京湾に注ぐ。
名称の由来
川の名前の「養老」の由来は、一説にひざの裏を表す古語の「膕(よほろ)」という言葉が、屈曲の多い川の様子を表したと言われている。現在の「養老」という字が当てられたのは江戸時代以降で、それ以前は「用路川」や「勇露川」という字が、さらに以前には「与保呂」が当てられていた。 (以上、「Wikipedia」参照)
「小湊鐵道」はほぼ「養老川」沿いに南下する鉄道線。





橋の欄干には、以上のようなレリーフがあります。
橋を渡って左折した街道は次第に川から離れます。

左手に大きなお屋敷。


ここで右の細い道に入ります。旧道のようです。



右手に「出羽三山」の大きな碑のある共同墓地を見ながら進みます。
三角形の頂点を左に曲がります。

県道に復帰。

どうしてこのような道筋になったのか?




1880年代のようす。 2010年代のようす。道筋がしっかり残っている。
再び県道歩き。


ここで左の旧道に進みます。

