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Channel: おやじのつぶやき
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池鯉鮒宿本陣。いずれあやめか、・・・(名鉄「矢作橋」駅から「豊明」駅まで。その5。)

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中町の六叉路。正面の細い路に入ります。


    
                          この辻の角には趣のある建物があります。

来た道を振り返る。右手の電柱に「東海道」の標示。

右手にある「食品館・美松」の駐車場に「池鯉鮒宿問屋場之跡」。

 「国道419号線」を渡ります。その右手に案内図。

 その案内図をもとに本陣跡へ。東海道から少し南に入ったところにあります。

    

 池鯉鮒宿本陣跡

 本陣とは、江戸時代の宿駅に設けられた、大名や幕府役人、公家等が宿泊する公認の宿舎である。
 東海道39番目の宿駅である池鯉鮒宿には、本陣・脇本陣(本陣だけでは対応できない時の予備の宿)が各一軒置かれていた。本陣宿は、当初峯家が勤めていたが(杉屋本陣)、没落したため、寛文2年(1662)からは永田家によって引き継がれた。敷地三千坪、建坪三百坪と広大な面積を有していたが、明治8年(1875)に取り壊され、二百年近く続いた永田本陣も、時代の変化とともにその使命を終えた。

 知立市教育委員会

車止めなのか、古タイヤが置かれている。裏手の石碑は「明治天皇行在所聖蹟」記念碑。

 しばらく進むと、左手に山車を収納する大きな蔵があります。

         「本町山車蔵」。

 その先の突き当たりを右に曲がります。正面に道標があります。右に折れると、正面奥には「了運寺」の山門。

        

 左手には、「知立古城跡」絵図。

「了運寺」のところを左に曲がります。曲がり角には「知立大明神」の「常夜燈」。

この道を通る先達が必ず?カメラにおさめる画像。そろばん塾のマスコット。 お腹の大穴にもめげず、まだまだ健在です。

 「国道155号線」の横断は、地下道を利用します。地下道の入口に総持寺跡の大イチョウの説明板。



総持寺跡大イチョウ 市指定文化財(天然記念物)
 イチョウ科の落葉喬木。雌雄異株。このイチョウは雌木で、秋には多くのギンナンが採れる。イチョウの木は、病害虫が少なく、火にも強いため、神社・寺院に植えられて巨木となって残る例が多いが、この木もその一つである。樹齢二百余年を経た今も樹勢未だ衰えていない。
 元和2年(1616)ここに玉泉坊を創建、貞享3年(1686)総持寺と改称、明治5年(18722)廃寺となり境内は民間の手に移った。総持寺はその後大正15年(1926)に西町新川に再建され、現在に至っている。

 奥にある大木がこのイチョウだと思いますが、近づけず。

国道をくぐり抜けて振り返る。

 しばらく進み、右折して行くと、左手に「知立公園」。園内には、花菖蒲が咲き誇っています。ちょうど「知立花しょうぶ祭」を開催中。

    

 「かきつばた」を見ることができなかったので、ここでしばし休憩しつつ観賞。東京・葛飾区にある「堀切菖蒲園」も見事な花しょうぶが咲きます。

 次の3枚は「堀切菖蒲園」の写真(2014年6月15日撮影)。

        

        

 この知立公園もなかなか見事でした。休憩所で地元・知立名物の「大あんまき」を。

        

 薄く細長いホットケーキ生地で餡を巻いたもの。1890年創業の小松家本家が元祖であり、藤田屋など知立市内には他にも何店舗かあるようです。「黒餡(小豆餡)」と「抹茶餡(白餡)」を買いました。写真は、黒餡。なかなかのもの。


 ところで、『菖蒲(あやめ)・菖蒲(しょうぶ)・杜若(かきつばた)の『違い』は?

 (以下HPより。)

 5月から6月にかけて、これからはあやめやしょうぶやかきつばたのシーズンですね。各地のXX菖蒲園など菖蒲の名所が賑わいます。東京では堀切菖蒲園や水元公園など有名ですね。

 皆さんも「いずれあやめか、かきつばた」という言葉を聞いたことありますね。
あやめとかきつばたはよく似ていて見分けにくいところから来た言葉のようです。そこであやめとかきつばたの違いは? を調べようと思って調べているとさらに面白いことを見つけました。

 あやめとしょうぶはどちらも漢字で書くと「菖蒲」なんですね。でも漢字は同じでも菖蒲(アヤメ)と菖蒲(ショウブ)は別物。

 菖蒲(ショウブ)と菖蒲園などで見る花菖蒲(ハナショウブ)も別物。だからアヤメとショウブとハナショウブは別物。それに「いずれがあやめ、かきつばた」の杜若(カキツバタ)が加わって4つ巴のぐちゃぐちゃ。

 混乱の元は4つあります。漢字が同じだったり葉っぱや花が似てたり・・・。

整理すると(1)菖蒲湯に入れる「菖蒲」(2)「花菖蒲」(3)「あやめ」(漢字で書くと菖蒲)(4)「かきつばた」(杜若)の4つが似ているが、実は違うのです。

・・・

 菖蒲湯の菖蒲は花菖蒲・あやめ・杜若の3つとは別物・・・これはすぐに判明
 植物学的には(2)「花菖蒲」(3)「あやめ」(4)「かきつばた」はすべてアヤメ科アヤメ属だから皆同じ仲間で極めて近い関係。
 ところが(1)菖蒲湯の菖蒲はサトイモ科で別物。葉っぱがにているだけ。花も咲くことは咲くけどきれいな花ではなく、蒲(がま)の穂みたいな黄色い花である。
 5月5日端午の節句の菖蒲湯に入れるあの菖蒲に花が咲くと、菖蒲園なんかに咲いている菖蒲(花菖蒲)なのかな(つまり、菖蒲の花=花菖蒲)と思っていたらこれが全く違うんですね。

 《名前の由来》

・はなしょうぶ(花菖蒲)
葉が菖蒲に似ていて花を咲かせるから。

・あやめ(菖蒲)
剣状の細い葉が縦に並んでいる様子が文目(あやめ)模様。花基部の網目模様からの説もあり。

・かきつばた(杜若)
かきつばたの色(青紫)を染み出させ布などに書き付けた、つまり衣の染料に使われたことから「書付花」と呼ばれていたのがなまったもの。

 では「花菖蒲」、「あやめ」、「かきつばた」の違いは?
 これがなかなか難しい。3つとも“アヤメ科”アヤメ属に属しています。だからとてもよく似ていて見分けにくいことは確か。
以下それぞれの特徴から見分ける方法を探る。

 《違いのポイント①》 咲く場所

・あやめは畑のような乾燥地で栽培するのに適し、
・かきつばたは水辺などの湿地帯に適し、
・花菖蒲はその中間で畑地でも湿地でも栽培できる

 《違いのポイント②》 背丈

 背のたけはあやめが一番背が低い(30~60cm)、杜若が中間(50~70cm)、花菖蒲は背が高い(80~100cm)。

 《違いのポイント③》 花の大きさ

 花の大きさは花菖蒲が大輪、あやめが小輪、杜若が中輪。

 畑に咲いてる奴で背が高くて(80~100cm)花がでかいのが花菖蒲、背が低くて(30~60cm)花が小さいのがあやめ。(これは大と小だから差が大きく判別しやすい)
 水辺に咲いてる奴は杜若か花菖蒲で、大輪の花で背が高い(80~100cm)のが花菖蒲。中輪で少し背が低い(50~70cm)のが杜若。

・・・

 《やっと見つけた1発でわかる方法! 》

・花菖蒲は花の種類は多く紫系統の他に黄色や白、絞り等、多彩であるがどれも「花弁の根元のところに黄色い目の形の模様」がある。
・杜若はあまり種類は多くないが、「花弁の弁の元に白い目型の模様」があるのが特徴。
・あやめも花の種類は多くないが「花弁の元のところに網目状の模様」がある。

 《結論》

 花弁の元を見よ!花菖蒲が黄色の目型模様、あやめが網目模様、杜若が白の目型模様。これで完璧。目的達成!

余談:「いずれあやめかかきつばた」について
 元々は、いずれ劣らぬ美人が二人いるときに使っていましたが、最近はいずれも優劣がつけ難いほど素晴らしいものを例えて使う言葉になっています。
 ただ、単にどちらもよく似ていて見分けにくいものを言うわけではありません、美しい(素晴らしい)という前提条件が必要です。

 《咲く時期》

・かきつばた(5月中旬)
・あやめ(5月中旬~下旬)
・花菖蒲(5月下旬~6月下旬)ハナショウブが遅くまで咲いている(種類が多いからね)。

 花菖蒲は日本産でかなり後から生まれた。花菖蒲は江戸時代の中頃より、各地に自生するノハナショウブの変わり咲きをもとに改良され、発達してきた日本が世界に誇れる伝統園芸植物です。だから種類も多い。
 万葉の頃はかきつばたが読まれ、菖蒲というと葉菖蒲のこと。花菖蒲が文献に出てくるのは江戸時代から。

(当方で、少し編集しました。今年はいずれも花期を過ぎましたので、また来年、ということで。識別方法を忘れてしまいそうですが)

 
園内には芭蕉の句碑があります。

芭蕉句碑

 不断堂川 池鯉鮒の宿農 
          木綿市  芭蕉翁

 元禄5年(1692)秋9月、江戸深川で詠まれた芭蕉の句である。
 木綿市についての資料は乏しいが、江戸で「池付白」と呼ばれて好評な三河木綿の集散地であった賑わいがうかがわれるようである。
 池鯉鮒蕉門の俳人井村祖風が、寛政5年(1793)この句が作られて百年目に当たったのを記念し、同好の士十五名に働きかけて建立されたもので、その名は碑陰に刻まれている。

 知立市教育委員会

 この句、「ふだんたつ ちりふのしゅくの もめんいち」と読ませていますが、『芭蕉俳句全集』(www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/Default.htm)には掲載されていません。他の句集も調べましたが、なし。句趣もそれほどいいとは思えませんが。果たして誰の作? (「藤川宿」の句碑に続いて真偽不明の芭蕉句碑の二つ目。)

    
 明治19年建築の洋風建築「養正館」。長年、各種の学校の校舎として使用されたのち、この地に移築されたもののようです。

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