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Channel: おやじのつぶやき
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「新興駅」。貨物専用線廃線跡をたどる。その1。横浜その15。

 「京浜工業地帯」。次々と造成された広大な埋立地。そこにある大企業・大工場のための専用貨物線がたくさん存在していましたが、すでにすべて廃止され、線路跡もなくなってきています。  日本の高度経済成長期を支え、発展し、今もなお活発に操業を行っている工場街の中に、埋もれた線路跡を探すことにしました。「京急新子安」下車の旅。 旧入江駅・新興駅付近。注:上方がJR・京急「新子安」駅方向。...

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「新興駅」。貨物専用線廃線跡をたどる。その2。横浜その16。

 「安田運輸」の前の道路を横切り、カーブしながら「TVP」ビルの脇を抜けていく貨物線は、「恵比須運河」を越えて「昭和電工横浜事業所」の方へ進んでいきます。 「恵比須橋」北詰より南側を望む。右端に運河へ架かる橋梁が見える。 すでに廃線になったが橋梁はしっかり残っている。  ↓のところ。中央が一段高くなっているのは、船舶の航行のためだろう。 「恵比須橋」南詰より望む。...

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「新興駅」。貨物専用線廃線跡をたどる。その3。横浜その17。

 恵比須町交差点を「新興駅前」方向に進みます。 旧新興駅方向を望む。左手には、すっかり朽ちた商店(廃屋)がいくつか並んでいる。 この裏手を貨物線が走っていた。飲み屋やラーメン屋の看板が店先に残っている。 かつては廃線後の線路が残っていたが、今は雑草のみ。...

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「新興駅」。貨物専用線廃線跡をたどる。その4。横浜その18。

  宝運河に架かる「布袋橋」を越えると、横浜市が「貨物線の森緑道」として公園整備を進めている地区になります。廃線跡の「緑道」が一直線に伸びています。樹木などの緑はまだまだ少ないようですが。ちらほらつぼみも。  産業道路の両側は「日産自動車横浜工場」関連施設が並んでいます。 日産の工場脇。 メモリアルとして線路がそのまま残っている。「日産工場」正門前。 産業道路の西側を廃線跡の緑道が進んでいく。...

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東急東横線高架線・旧「高島町」駅。廃線跡。・・・。横浜その19。

 今回は、JR「横浜」駅から「桜木町」駅まで。  みなとみらい、山下公園付近までも足を伸ばしたので、2時間30分ほどの周遊。  「東横線高架」跡、「国鉄二代目横浜駅」遺構、汽車道、赤れんが倉庫、高島線踏切、・・・。高校生やカップル、家族連れで賑わう界隈をぐるりと足早に。3月11日。...

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二代目「横浜」駅遺構。そして初代。・・・。横浜その20。

旧「高島町駅」近く、国道1号高島町交差点脇のマンション「ロワール横濱レムナンツ=「遺構」の意とのこと」の一角に「二代目横浜駅」の遺構が展示保存されている。  写真をよく見ると、駅舎正面を遮るように貨物の高架線が横切っている。何とも無粋な印象だが。 二代目横浜駅の煉瓦造りの二代目横浜駅舎になぞらえた煉瓦張りのマンション外形。...

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「高島線・みつびしどっく踏切」。「日本丸メモリアルパーク」。・・・。横浜その21。

1970年頃のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。横浜〜桜木町。「みなとみらい21地区」などまだ影も形もない頃。高島線・高島駅が埠頭の中心地に大きな敷地を占めている。高島操車場は機関庫も有した京浜工業地帯有数の大規模な駅だった。  右(海側)に「三菱重工ドック」の一部が見える。左上方が「横浜駅」、右下方が「桜木町駅」。  「高島(貨物)線」...

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「汽車道」。・・・横浜その22。

 みなとみらい地区は、横浜都心部の一体化と強化をめざしたウォーターフロント都市再開発として建設されている街区 。再開発が行なわれる以前は、当地に三菱重工業横浜造船所、国鉄高島線の東横浜駅(貨物駅)・高島ヤード(操車場)、高島埠頭などがあった。  2004年にはみなとみらい線が開通し、「新高島駅」、「みなとみらい駅」が開業した。...

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旧横浜港駅プラットホーム。旧税関事務所遺構。・・・。横浜その23。

 通りを越えると、再びレール道が復活。複線になっています。その先には、「プラットホーム」がありました。「赤れんがパーク」の一角。 1970年頃のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。当時の「横浜港駅」付近。上に駅。線路脇の広場が「荷さばき場」(旧税関事務所があったところ)。下に赤れんが倉庫群。下方が大桟橋、さらに山下公園方向となる。...

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象の鼻パーク。たねまる(くん)。転車台・・・。横浜その24。

 赤れんが倉庫から「山下公園」方向へ。 「新港橋梁」。 赤れんが倉庫側を望む。軌道が敷かれている。 銘板には「大正元年八月 浦賀船渠株式會社製造 」とある。  もともとは横浜臨港線(貨物線)の橋梁で、新港埠頭が出来た明治44年(1911)に開通した臨港線に続き、大正元年(1912)に横浜税関まで開通させた際に架設したもの。 橋を越えると「象の鼻パーク」。案内図。...

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「東田第一高炉史跡広場」(八幡製鉄所発祥の地)。・・・。北九州市産業遺跡の旅。その1

 先週・3月16日(日)、縁あって「北九州市八幡」に出かけました。会議の前後に少し周囲を探索(地元の方の車で案内してもらったわけですが)しました。  明治に入って「殖産興業」「富国強兵」のスローガンのもと、大いに発展を遂げた町並み。「第二次大戦」末期の空襲で大きな被害を受け、戦後は、公害で苦しみ、そして、それを官民一体で克服した歴史をもつ街でもあります。...

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九州鉄道大蔵線遺構。北九州市産業遺跡の旅。その2。

 九州鉄道大蔵線は、かつて福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)の小倉駅と遠賀郡黒崎町(現・北九州市八幡西区)の黒崎駅の間を結んでいた鉄道院の鉄道路線ですでに100年以上前に廃線となっています。 《歴史》  九州鉄道本線(現・鹿児島本線)の一部として開業した。九州鉄道側では小倉 -...

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北九州市立百三十銀行ギャラリー(旧百三十銀行八幡支店)。八幡図書館。北九州市産業遺跡の旅。その3。

 「百三十銀行」は国立銀行条例(明治5年11月制定)に基づき、明治12年まで全国に創立された153銀行の一つで、大阪に本店があり、明治37年、若松支店八幡出張所として、今の八幡東区春の町五丁目に開設。同39年、西本町に移転と同時に八幡支店に昇格、さらに建物は大正4年、現在地の80メートル北東に新築、移転。大正12年には銀行合併で、安田銀行八幡支店となり、昭和14年まで使われた。...

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六郷の渡し。長十郎梨。万年屋。田中本陣。大空襲。・・・。(旧東海道・川崎宿その1。)

 品川〜川崎〜神奈川と続く旧東海道の宿場。今回は「川崎宿」。  徳川幕府が、東海道に駅制を定め、諸駅を設置した慶長6年(1601)のこと。諸駅より20年ほど遅れて川崎宿は元和9年(1623)に設置されました。それまでは品川宿の次は神奈川宿。往復十里(約39km)におよび、伝馬百姓の負担が過重のため、その中間に位置する川崎に新しい宿場・駅を設置しました、とされています。...

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砂子の里。小土呂橋。・・・(旧東海道・川崎宿その2。)

1880年代のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。川崎宿のようす。東海道に沿って町家が続く。左の直線は新橋〜川崎〜横浜間の鉄道。 より 「東海道かわさき宿交流館」。 ごあいさつ 東海道かわさき宿交流館  館長  青 木 茂 夫...

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麦の郷。芭蕉句碑。八丁畷。・・・。(旧東海道・川崎宿。その3。)

1880年頃のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。直線の道が「八丁畷」。田畑の中を幅も広い、並木道になっている。下方が「鶴見市場」。集落がある。現在でも、「京急、JR八丁畷」駅の踏切を越えると、幅広い直線道路として残っている。左の直線は鉄道線路。...

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「八丁畷」駅付近の鉄道遺構。

 「芭蕉句碑」の裏手は、京急線。その向こう側にツタや樹木に覆われた煉瓦造りの橋台が残されている。これが廃線となったJR貨物線の遺構。、国鉄南武線(現:JR南武線)の支線としてかつて存在した廃線。 1922(大正11)年頃のようす(「今昔マップ」より)。国鉄・川崎駅から南東に延びる貨物線として早くから運行されていた。...

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大師電気鉄道六郷橋停留所跡。(六郷橋。その1。)

 国道15号・六郷橋への歩行者および自転車用階段と直角に交わる堤防の下辺りにある廃駅跡。 歩道橋脇にある「大師電気鉄道六郷橋停留所跡」という説明板。  実際に確認できるのは1899年に大師電気鉄道によって開業された六郷橋駅ではなく、京浜電気鉄道になってから1926年に移設された六郷橋駅の跡らしい。戦時中に休止となり、1949年(昭和24年)廃駅となった。...

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旧六郷橋遺構。(六郷橋。その2。)

「六郷橋」川崎側・大師道沿いにある記念碑。  六郷の渡しは、旧東海道における八幡塚村と川崎宿を結ぶ重要な渡船場であった。「北条記」に武田信玄の侵入を阻止するため六郷橋を焼き落としたとある事から古くから橋はあったと思われるが、慶長5年(1600)家康が築橋し、慶長18年(1613)頃にも架け替えられたとの記録がある。...

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新六郷橋と六郷土手・旧東海道(大田区)(六郷橋。その3。)

 神奈川県・川崎市側から東京都・大田区側へ向かう。 大田区側を望む。 大田区側の河川敷。灌木の中に道があり、無線アンテナがある瀟洒な建物も・・・。 大田区側河川敷。グランドやゴルフ練習場などがある開放的な空間。 「六郷橋」の親柱風な三箇所にあるオブジェその1「笹舟」(右岸―川崎側―上流)。 その2「和船」。渡し船をイメージしたものか(右岸下流)。 同。 その3「和船」。(左岸―大田区側―上流)。...

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