「震災復興52小公園」の現状。まとめその2。中央区編。
公園名 開園年 隣接の小学校 8常磐公園 昭6(1931)年 常磐小学校(2013,12,12掲載) 線路際の道と学校の建物にはさまれた小さな公園。 東側の校舎(震災復興校舎)。この校舎は東京都選定歴史的建造物に指定されている。 9久松公園 昭5(1930)年 久松小学校(2013,12,15)...
View Article「震災復興52小公園」の現状。まとめその3。港区、文京区編。
《港区》 公園名 開園年 隣接の小学校 19桜田公園 昭6(1931)年 桜田小学校(2014,2,8掲載) 小学校時代のグランドがそのまま残っている。 「桜田小学校」→「港区生涯学習センター」。改修工事のため、全面シートに覆われている。 「同」工事前のようす。(「港区」公式HPより) 20南桜公園 昭4(1929)年 南桜小学校(2014,2,10)...
View Article「震災復興52小公園」の現状。まとめその4。台東区編。
《台東区》 公園名 開園年 隣接の小学校 23東盛公園 昭3(1928)年 東盛小学校(2013,10,21掲載) 西に接する小学校の校名は、「東泉」(昭和21年竜泉国民学校と合併し、東盛の「東」と竜泉の「泉」の一字ずつをとり「東泉」とした)となったが、公園名は「東盛公園」。よく整備され、開放的で広い公園。...
View Article「震災復興52小公園」の現状。まとめその5。墨田区編。
《墨田区》 38中和公園 昭4(1929)年 中和小学校(2013,10,15掲載) 西側から望む。北側には「中和小学校」。 公園との仕切りは、緑の大きな網。開閉が出来るようになっている。すでに放課後。指導員の元で数人の児童が遊んでいた。墨田区内で現存する小学校の中では最も古い歴史をもつ小学校。 39業平公園 昭5(1930)年 業平小学校(2013,10,9)...
View Article「震災復興52小公園」の現状。まとめその6。江東区編。
《江東区》 46元加賀公園 昭2(1927)年 元加賀小学校(2013,10,9掲載) 開園当時の施設が残っている。 壁泉付露床。 藤棚から西の広場を望む(樹木は植えていないので、近所の幼稚園、子供会などの運動会・催し物には最適)。中央が「壁泉付き露床」。...
View Article及び腰が気になる「朝日」。それにしても「真意は違う」「誤解だ」「個人的見解だ」・・・
首相側近、次から次へと「問題発言」 火消しに躍起(朝日新聞) - goo ニュース 第一次安倍内閣。「お友達」内閣の構成員が次々と問題発言、不祥事を起こして叩かれ、ご本人も体調悪化で、結局、途中で放りだしてTHE END。...
View Article再び「仲木戸」訪問。廃線踏切跡。米軍施設。高島線。横浜その3。
京急「仲木戸」駅下車。神奈川宿。再び訪問。 「瑞穂橋」沿いに残る貨物線の橋梁。 かつての瑞穂埠頭への貨物支線を転用した在日米軍基地「横浜ノース・ドック」(「在日米軍港湾輸送施設」)専用線が高島線・信号所から分岐し、燃料輸送に使用されていた。すでに役割を終えたが、そのまま残っている。 橋梁から西北側を望む。線路は右にカーブして「高島線」と合流していた。...
View Article横浜鉄道。JR横浜線。東神奈川。横浜市場。廃線跡をたどる。横浜編その4。
もう一つ「東神奈川と東高島」とを結ぶ貨物支線の遺構探し。この路線は、前回の「鶴見」〜「桜木町」(高島線)、その支線・瑞穂埠頭への貨物線(のちの米軍専用線)とは異なり、横浜線(「東神奈川駅」)から派生した支線。 もともとは、1908年(明治41年)、八王子や信州で生産された生糸を横浜へ輸送することを目的として、「横浜鉄道」によって開業した東神奈川駅 - 八王子駅間(現・横浜線)に由来。...
View Article神奈川砲台(神奈川台場)跡。台場公園。横浜編その5。
東高島駅付近は、かつての「神奈川砲台(台場)」のあったところ。周囲も含めてすっかり埋め立てられて、土地に変わりました。 1880(明治13)年頃のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。 「東高島駅」構内に接するところにある「史跡 神奈川台場跡」碑。 安政6年(1859年)5月、幕府は伊豫松山藩に命じ、勝海舟の設計で海防砲台を構築した。...
View Article神奈川宿。松並木。新旧味わいのある街並み。横浜編その6。
注:「神奈川宿」(歌川広重『東海道五十三次』より:現在の青木橋付近から横浜駅西口方面にあった海を望む)は、「Wikipedia」より拝借。 仲木戸駅周辺はかつての神奈川宿。東海道の品川、川崎、そして神奈川宿と3番目の宿場町だった。旧東海道に見立てた松並木の復活、古い寺町、神奈川砲台(台場)など見所満載。...
View Articleコットンハーバー。まだまだ課題がありそうな街づくり? 横浜編その7。
注:葛飾北斎作「神奈川沖裏波」は、「Wikipedia」より。ただし、描いた場所は異なっている(もう少し西側、現横浜駅西方?)。...
View Article上台橋。神奈川台関所。(神奈川宿。西から東まで。その1)。横浜編その8。
JR横浜駅の西口を出て、少し西に向かうと「上台橋」。ここが「神奈川宿」探索の出発点。いざ京急・神奈川新町駅まで、というわけです。 明治後期の頃のようす(「今昔マップ」より)。Aが「上台橋」付近、Bが「青木橋」付近、Cが「滝の橋」付近。この3地点を通る道が「東海道」。 2000年代初期のころのようす(「同」より)。A,B,Cは、前の図と対応している。...
View Article田中家。滝川。青木橋。(神奈川宿。西から東まで。その2)。横浜編その9。
「臺(台)町茶屋の景」。旧東海道のポイントごとにこうした丁寧な案内板が設置されている。 描かれている「さくらや」(櫻屋)が現在の「田中家」付近とのこと。 前方にその「田中家」が見えてくる。 坂を下ったあたりから。 門前の案内板。 田中家のはじまりは、浮世絵の中から...
View Article宮前商店街。幸ケ谷小学校。(神奈川宿。西から東まで。その3。)横浜その10。
跨線橋「青木橋」を越えると、「京急・神奈川」駅。その先を左手に入る。 「京急神奈川駅」。 JR線と京急線が切通し部分を並行していて、それを越す「青木橋」のたもとにある。開業時はJR線とともに横浜側のターミナルであったが、JR「神奈川駅」が廃止され、京急駅の方も各駅停車のみの小規模な駅となった。駅舎は、歴史のある街にふさわしいものをということで、改築の際、清水の舞台をイメージした、という。...
View Article滝の川。本陣跡。オランダ領事館跡。(神奈川宿。西から東まで。その4。)横浜その11。
前回、「松並木」など仲木戸周辺は探訪したので、見落としたところなど補足しながら、京急・神奈川新町駅まで。 「滝の川」のほとりにある「本陣跡」碑。↓が本陣、○が権現山(西側の高島山から続く幸ケ谷公園、幸ケ谷小学校までの丘陵地帯)。 「滝ノ橋と本陣跡」...
View Article生麦事件。その痕跡をたどる。横浜その12。
神奈川宿から少し川崎に戻った「生麦」。「京急生麦」駅下車。ここも訪れてみました。「生麦事件」の地。 「第一京浜」に出る手前の道を入ると、「生麦事件参考館」。訪問したときは閉まっていました。 横浜市からの「横浜まちづくり功労者賞」などさまざまな額が飾られてある。 生麦事件参考館 浅海武夫 表彰理由...
View Article読書「さようなら、ゴジラたち 戦後から遠く離れて」(加藤典洋)岩波書店
「敗」戦後体制のくびきから解放し、新たな日本を(それは戦前とも通じる)構築しようとアベさんを先頭に政治、経済に蠢きが、一定の国民的評価を得ながら激しくなっています。 曰く「日本国憲法、とりわけ憲法第9条」「戦後民主主義」「公教育」「靖国」「領土」問題・・・、「日本を取り戻す」をスローガンに、衆参両選挙に大勝利をした勢いをもって着々と進んでいます。...
View Article高島山トンネル〜反町駅(東急東横線地上線跡「東横フラワー緑道」。その1。)横浜その13。
2004年2月、みなとみらい線(横浜駅 - 元町・中華街駅)開業に伴い、直通運転を行う東急東横線の反町駅および横浜駅が地下化され、2011年、その線路跡が全区間「緑道」として整備された。 緑道の愛称は、「東横フラワー緑道」。...
View Article反町駅〜東白楽駅。(「東横フラワー緑道」その2。)横浜その14。
初春の日差しの下での散策。「フラワー緑道」というネーミングの通り、大きな灌木はない代わりに、足下の花壇には草花が植えられ、緑も多く、目を楽しませてくれます。 り。、 「高架歩道橋」から眼下に国道1号線を望む。 この「歩道橋」は、東急東横線の旧高架橋を再利用、反町駅南側から国道1号をまたいで反町駅北側の緑道へと通じている。...
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