上六公園。東郷元帥記念公園。九段小学校。(震災復興52小公園。その34。)
続いて、「靖国通り」を西に、市ヶ谷方向へ。「東郷公園前」交差点を左折、細い路を行くと、「東郷公園」に。 「三番町」の来歴を記した説明板。 江戸城に入った徳川家康は、城の西側の守りを固めるために、この一帯に「大番組」と呼ばれる旗本たちを住まわせました。ここから、「番町」という地名が生まれました。...
View Article上六尋常小学校。東郷尋常小学校。九段小学校。(震災復興52小公園。その35。)
千代田区内では唯一残っている震災復興校舎。現存する数少ない復興校舎の中でも最古。公園側が正面玄関。 《九段小の沿革》(「九段小」HP参照) 明治36年 東京市上六尋常小学校認可。開校式。 大正12年 関東大震災のため校舎は全焼、重要書類は全部無事 15年 現在の鉄筋コンクリート建築の新校舎竣工し落成式を挙行 昭和 9年 名称を東京市東郷尋常小学校と改称 ・・・ 21年...
View Article有馬小。首都高浜町出口。弁慶像。久松小。(「浜町川」跡をたどる。その1。)
先日、「震災復興52小公園」めぐりで、「蛎殻町公園」・「有馬小」に行った際、有馬小の東、首都高下の路がかつての堀割「浜町川」であることを知り、今回、その跡を訪ねてみました。「半蔵門線・水天宮前」駅から「JR・秋葉原」駅まで。帰宅してネットを調べると、すでに何人もの方が探訪していて、写真も豊富。でも、めげずに報告。...
View Articleビルとビルの間。路地裏の細道。龍閑児童公園。(「浜町川」跡をたどる。その2。)
久松小脇の公園を過ぎると、かつての堀割に民家が建ち並びます。 ここ辺りから細長く縦に二列で並んでいる風景に。町の境は、家と家。 来た道を振り返る。道の中央にくぼみに沿って地下に下水溝が通っているようす。旧河川を埋めた跡がこのようになっているのに出くわす。 右側の家屋がかつての堀割跡に建っている、と思われる(「浜町川」の東側半分)。 「問屋橋交番」(旧「堀割」の東沿い)。...
View Article大和橋。神田川取水口。(「浜町川」跡をたどる。その3。)
しばらく北上すると、神田川との合流地点になる。 1880年頃のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。幅広い直線部分が、「浜町川」掘削地。 ビルの間を抜けていく。東神田1丁目付近。 正面のビルの建っているところがかつての流路。 道の真ん中にポール。都有地となっている。 「靖国通り」との三叉路。「大和橋」ガレージ。地下駐車場。...
View Article「龍閑橋」。「機銃掃射の跡(鎌倉橋)」。「今川横丁」。・・・(「龍閑川」跡をたどる。その1。)
今回は、堀割・「龍閑川」跡をたどることに。JR「神田駅」南口からJR「浅草橋駅」まで。二駅間ですからそれほどの距離はありません。約2?、歩いても25分程度の道のり。 この川は千代田区と中央区の区界(かつての「神田区」と「日本橋区」)にもなっています。...
View Article今川橋。今川焼き。地蔵橋児童遊園。・・・(「龍閑川」跡をたどる。その2。)
ガードをくぐると、両側をビルに囲まれた道になります。 ビジネスホテルなどのある路地。かつての川筋が正面入口になっている建物もあるし、ビルの裏手になっていて、隠れ喫煙所になっているような所も。 再び飲み屋街に。 「今川橋跡」碑。...
View Article地蔵橋。十思公園。・・・(「龍閑川」跡をたどる。その3。)
昭和通りを渡ると、興味深い記念碑がありました。 「神田八丁堀跡」碑。 明暦3年(1657)本所の振袖火事の大火ののちまず防火のために8丁(約870?)にわたる土手が築かれました。 天和3年(1683)頃になると、土手のそばに広道(明地)ができました。...
View Article龍閑児童公園。千代田区と中央区との区界。・・・(「龍閑川」跡をたどる。その4。)
古い家屋。屋上のコンクリート製の手すり。 奥の突き当たりが「龍閑児童公園」。この辺は、問屋街。 西側を振り返る。左が中央区、右が千代田区。 日本家屋風のトイレ。ここには、「千代田区」と表示が。 石橋のモニュメント付近が西からの流れが直角に南に折れるところ。このあたりは、「中央区」の立て看板。...
View Article身勝手なのはマスコミの方ではないでしょうか?
新垣氏ざんげも高橋大輔に身勝手エール(日刊スポーツ) - goo ニュース ?桐朋学園大の新垣(にいがき)隆講師(43) ?ざんげ ?身勝手ともいえる心境 ?高橋にとっては最悪のタイミング、高橋を動揺させる可能性は否定できない(「日刊スポーツ」) ?は、マスコミが容疑者扱いするときの表現。氏名・職業名。 ?も同類の表現。 ?、?は、断罪、批判。「ともいえる」「否定できない」と逃げを打ってはいるが。...
View Article港区立桜田公園。・・・そして大雪。(震災復興52小公園。その36。)
港区にあった「震災復興52小公園」二箇所の現状報告。それぞれ公園は大きく変化し、またどちらも併設の小学校は廃校になっています。桜田小校舎は「生涯学習センター」として大改修、南桜小の跡地はもともとの公園と一体化して、大きな公園となっています。 ?桜田公園(桜田小学校)...
View Article売られたけんかは買う、かどうか。したたかな連中を相手に、さて橋下さん。
橋下氏、公明の対立候補に? 衆院選「とことん行く」(朝日新聞) - goo ニュース 怒り心頭に発する、ということか。でも、公明党が自分の言うことを聞く、約束を守る、ということを「信じた」己の浅はかさな「宗教」心を反省すべきです。...
View Article南桜公園。(震災復興52小公園。その37。)
?南桜公園(南桜小学校) 1970年頃のようす(「同」より)。↓が「南桜公園(南桜小学校」、→が「桜田公園(桜田小学校)」。 東南方向から公園を望む。けっこう広いスペース。 都会のど真ん中にこれだけの開放的な空間はなかなかありそうにもない。 ベンチ。 公園案内板。 芝地区旧町名由来板。 公園内には、廃校になり、校舎自体も完全に消滅した「南桜小学校」当時のものがいくつか残されている。...
View Article御徒町公園(御徒町台東中)。なんじゃもんじゃの木。朝顔市。・・・(震災復興52小公園。その38。)
残っていた三つ。 ?台東区立御徒町公園(旧御徒町小学校→御徒町台東中) 御徒町の賑やかな通りをちょっと入ったところ。「多慶屋」の裏手にあたります。日中のせいか、大人の姿が目立ちました。せわしなく行き交う人。たたずむ人。・・・ 神社の脇の池。 フェンスを隔てて中学校。以前のような関連性はなさそう。...
View Article京急・仲木戸駅。高島貨物線。横浜ノースドック。瑞穂橋。久々の廃線発見の旅。横浜その1。
横浜 2月11日。 お祝い事があって、JR「東神奈川」駅近くまで。ここは、JR線と京急線が高架橋で結ばれていて、乗り換えに大変便利。でも、近いのにまるで駅名に関連がない(都内足立区の京成線・関屋駅と東武線・牛田駅のよう)。 終わって、帰り道。ちょっと寄り道。港の方向へ。先日の大雪が道ばたにはまだまだ残っていて、それでなくても肌寒い午後でした。そこでの発見。...
View Article運河の岸壁。廃線橋梁。東高島駅。・・・久々の廃線発見の旅。横浜その2。
少し戻って、南から西の方へ。この道路は最近できたようだ。 「三井倉庫」裏手の運河沿い。 「コットンハーバータワーズ」4棟と「コットンハーバー マリナゲートタワー」1棟からなるマンション群。 「三井倉庫」の岸壁。煉瓦造りの部分などがあって、かなりの古さを感じる。左手が貨物線。 運河側から望む。右手が「三井倉庫」。 「会社道踏切」。...
View Article入谷公園(入谷小学校)。現金杉公園。金杉通り。(震災復興52小公園。その39。)
台東区は、あと一つ「入谷公園(現・金杉公園)」が残ってしまった! そこで、先日。 ?入谷公園(現金杉公園)入谷小学校(すでに廃校。現柏葉中学校) 全面的な改修工事が行われたようで、かつての面影はなく、明るく開放的な公園。乳幼児連れの親子が大勢いて、遊んでいました。 砂場の上のふじだな。 右手が球技場、左手が遊具のある公園。奥に見えるのが、「柏葉中学校」。...
View Article新花公園(湯島小)。(震災復興52小公園。その40。)
東京地方、いやオール関東で先週の大雪が溶けないうちに、またしても大雪。夜明け前から大雨。今度は大雨洪水警報が各地に出される始末。風も強い。 そんな中、近所の子ども達が登校する姿がちらほら。雪道で傘を差して・・・。土曜授業をやっているせいらしい。雪道で行き惑う低学年の子ども。子どもは行かないわけには(学校もやらないわけには)いかないのかね。いつも見慣れた朝方の風景も、今朝はちょっと同情。...
View Article竹町公園(旧竹町小学校、現平成小学校)。(震災復興52小公園。番外編。その13。)
1880年頃のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。赤丸が「竹町小学校」の位置、赤い線がのちの「佐竹商店街」。東側の通りが現在の清洲橋通りにあたる。(「佐竹商店街」「三味線堀」跡などについては、昨年の11月11日付けで紹介済み) 1941(昭和16)年頃。赤丸が竹町小学校、下谷(現竹町)公園。「佐竹本通り」が「佐竹商店街」。 (「竹町 -...
View Article「震災復興52小公園」の現状。まとめその1。千代田区編。
公園名 開園年 隣接の小学校 《千代田区》 1上六公園 昭4(1929)年 上六小学校(2014,1,28掲載) 「上六公園」を下に望む。北側にある東郷元帥記念公園と一体化。樹木も多く、高低に富んでいる。大幅に改修されている。 千代田区内では唯一復興校舎が、現役の校舎として残されている。特徴的な正面玄関の庇。現九段小学校。ただし、現在、改築改修計画が進められている。 2西小川公園...
View Article