


(「竹町 - DTIwww.maroon.dti.ne.jp/~satton/taitou-imamukasi/syouwa16/taketyo.html」より)。
近隣の台東区立小学校では震災復興公園に関わる学校も多い。そうした土壌があったのでしょうか、竹町(たけちょう)公園と旧竹町小学校の関係は、まさに震災復興52小公園と同様の発想があったと思われます。













この公園と小学校との関係は、「震災復興52小公園」当時のコンセプトを引き継いでいるように思えます。
90年以上前の、小学校を機縁とする地域コミュニティ計画が、今も地域にとって必要なことを実感しました。


明治5年(18729秋田の久保田藩主佐竹邸、伊勢の津藩主藤堂邸、伊予の大洲藩主加藤邸、秋田の矢島藩主生駒邸と周辺の屋敷が合併して竹町はできた。町名の由来はこの地に最も広大な敷地を有した佐竹邸の西門扉に竹を用いたことにちなむという。
この地は竹町と命名されてからめざましい発展を遂げて、佐竹邸の跡地は講談寄席や料理店がならび大変にぎわった。その後、大正12年(1923)の関東大震災で一面焼失したが、聖人や職人の町としてよみがえった。そして第二次世界大戦で二度にわたる空襲を受けたにもかかわらず他にさきがけて復興し現在の姿になった。
学校と公園のある場所が、佐竹邸跡。また、「秋葉神社」は佐竹邸の屋敷神として、現在も公園の脇に存在しています。
