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Channel: おやじのつぶやき
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ビルとビルの間。路地裏の細道。龍閑児童公園。(「浜町川」跡をたどる。その2。)

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 久松小脇の公園を過ぎると、かつての堀割に民家が建ち並びます。
ここ辺りから細長く縦に二列で並んでいる風景に。町の境は、家と家。
来た道を振り返る。道の中央にくぼみに沿って地下に下水溝が通っているようす。旧河川を埋めた跡がこのようになっているのに出くわす。
右側の家屋がかつての堀割跡に建っている、と思われる(「浜町川」の東側半分)。
「問屋橋交番」(旧「堀割」の東沿い)。
交番脇の路地。(旧「堀割」上)。
交番を過ぎたあたり。細い路地の両側にパン屋、寿司屋など商店や小さな町工場などが並んでいる。昔のままのごみごみした雰囲気が残っている一角。
途中からは、ビルに変わる。
ビルとビルとの間の路地。ここもかつての堀割で、地下には下水管がつながっていて、東京都下水道局管轄の都有地となっている。

所々にこうした掲示板がある。
ほぼ直線で北に向かう。
車は通らない、自転車も通れそうもない細道。
「鞍掛橋」交差点(「江戸通り」国道6号線)。右手が浅草橋方向。
江戸通りを渡って南を望む。ビルとビルの間が来た道。
龍閑児童公園。この公園が「中央区立」と「千代田区立」という同名の公園という不思議な趣。ここが、区界ということになるため。
左から龍閑川が合流する。龍閑川は、現在、千代田区と中央区の区界の一部になっている。龍閑川跡の探訪もしてみよう!

1880年頃のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。この時期には、上流部分は堀割になっていない。また、「龍閑川」もなくなっている。再掘削の直前の地図かもしれない。赤丸が合流点。

 龍(竜)閑川は、東京都中央区および千代田区にかつて存在した河川である。日本橋川より千代田区と中央区の区界に沿って北東に向かい、東神田付近から直角に折れ、浜町川を経て箱崎川、隅田川へと抜ける人工の堀であった。明治の掘割の際に神田川への流路も掘割されている。
 龍閑川が最初に掘割されたのは江戸時代の1658年である。その後一度堀は埋立てられ、1883年(明治16年)に再び掘割された。しかし戦後の残土処理のため1948年(昭和23年)から再び埋立が始まり、1950年(昭和25年)には埋立が完了し、水路としての龍閑川は完全に消滅した。

(以上、「Wikipedia」参照)

(注:「goo」昭和22年の航空写真では水路が写っている)。

 上の記事によれば、「浜町川」と「龍閑川」との関係は、「龍閑川」が「日本橋川」から北西に流れ、小伝馬町の先、現在の「龍閑児童公園」付近で直角に折れて、南下し(そこからは「浜町川」と称した。龍閑児童公園から北の部分は後に掘削され神田川と結んだ、というふうにも読み取れる。なぜ埋め立てられ、のちに再び掘削されたのか。江戸から明治、昭和前期にかけての水運との関連は興味深い。

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