「船受枠」(台車)と運輸船。南禅寺船溜。(琵琶湖疎水。その3。)
「ねじりまんぽ」付近から「インクライン」を下っていきます。 右手下に朽ち果てたような建物。かなり古いようす。 ここにも「船受枠」(台車)と運輸船(復元された木造・三十石船)。「伏見の清酒」や米俵などが積んであった。かつて行き来した船の雰囲気。 ここまで来ると、道路面と高さが変わらなくなる。右の通りは「三条通り」(旧東海道)から分岐した道。...
View Article東京都港湾局専用貨物線・晴海線跡。
「Googleニュース・マイナビニュース」を見ていたら、「晴海線」跡が掲載されていました。もう5年前くらいに探索したことがありました。当時はブログに写真を掲載するしかたもよく分からず、1枚のみしかアップ出来ませんでした。 今回、改めて懐かしくなり、当時保存していた写真を取りだして再アップしてみました。現在もほとんど変わらない様子ですが。(写真は、すべて2009年9月撮影。)...
View Article読書「今昔物語いまむかし」(野口武彦)文藝春秋
「羅生門」には梯子(階段)はなかった、という前提をもとに、芥川が描いた「羅生門」の(近代人的な)人物像、そして世界(観)を分析しながら、「今昔物語」が時代の流れと共にどう受容され、変形されてきたかを探っていきます。 今昔物語の「いまむかし」を次々とてぎわよく料理しながらお話を進めていきます。 語り口。切り口のひねり、切れ味、そして味付けして「かっこうな」料理として勧め方が、絶妙です。...
View Article読書「日本精神分析」(柄谷行人)講談社学術文庫
菅義偉官房長官は7日午前の記者会見で、集団的自衛権の行使を可能にするための憲法解釈変更について、「まず与党の理解を頂くことが最優先だ」と指摘、6月22日までの今国会中の閣議決定には「こだわらない」と明言し、「時期ありきではなく、丁寧に説明し、理解を得た上で閣議決定する」と強調。行使容認に慎重姿勢を崩していない公明党を粘り強く説得する姿勢を示した。...
View Article京急・大師線。小島新田〜桜本。その2。
さらに南に進みます。道路沿いに緑地帯(線路跡・立ち入り禁止区域)が続きます。 「夜光」交差点。 交差点付近の緑地帯(線路跡)。 東側には運河が広がる。工業地帯。 ゴルフ練習場の東側に線路があった。ダンプカーなどが駐車してある敷地がかつての線路。...
View Article鶴見臨海軌道。(京急大師線・産業道路〜JR、京急・八丁畷。その1。)
日本の戦後の高度経済成長を支え、今もなお基幹産業工業地帯として存在する、京浜工業地帯・川崎臨海地区。物資の輸送はもとより、さまざまな工場で働く多くの労働者の通勤の足として、鉄道が担った功績は大きいものがありました。...
View Article桜本駅前。(京急大師線・産業道路〜JR、京急・八丁畷。その2。)
《「桜本駅」の歴史》(「Wikipedia」参照) 1945年(昭和20年)1月7日 - 東京急行電鉄(大東急)大師線・入江崎駅 - 当駅間延伸開業に伴い駅開業。 1945年(昭和20年)12月6日 - 川崎市電・浜町三丁目停留所 - 当停留所間延伸開業、大師線と接続。 1948年(昭和23年)6月1日 - 大東急解体に伴い、京浜急行電鉄の駅となる。 1951年(昭和26年)3月16日 -...
View Article川崎市電。(京急大師線・産業道路〜JR、京急・八丁畷。その3。)
産業道路沿いに「浜川崎」方向に進みます。右手が産業道路、頭上には「横羽線」の高架。左手が緑道(市電線跡)、さらにJR貨物線の高架。単調な道筋。もちろんコンビニなども自販機もない。産業道路の反対側は建物が並んでいますが、こちらはJR貨物線の海側に工業団地がずらっと続きます。そのため、車の出入りも多いところ。 途中、「THINK(テクノハブイノベーション川崎)」という施設が目に付くようになります。...
View Articleあえてこの日にぶつけた意味は
社説[安保法制懇報告書]戦争する国になるのか(沖縄タイムス) - goo ニュース 5月15日。1972年5月15日。今から42年前、沖縄は本土復帰を果たした。 第二次世界大戦では、国内唯一の地上戦が繰り広げられた沖縄。戦後、アメリカは沖縄を太平洋の軍事拠点として大規模な米軍基地を建設。...
View Article浜川崎。八丁畷。(京急大師線・産業道路〜JR、京急・八丁畷。その4。)
産業道路の頭上には相変わらず「横羽線」の高架が「続きますが、「浜川崎」に近づくにつれて少し視界は開けてきて、貨物線を高架で越える頃になると、目の下には貨物線が広がっていきます。 「鋼管通五丁目緑地」。この脇の大きなスペースがバスの発着場になっています。かつての駅跡? ベンチがぽつんと片隅に。 枕木を再利用した柵。 広場の一角に折り返しのバスが停車中。...
View Article読書「源氏物語の乳母学 乳母のいる風景を読む」(吉海直人)世界思想社
平安時代の宮廷社会。様々な役割を担った大勢の女房達の存在。なかでも、「源氏物語」では具体的な姿で登場する(活躍する)人々。そのうちで、「乳母(めのと)」に着目して取り上げています。...
View Article読書「石巻市立大川小学校『事故検証委員会』を検証する」(池上正樹・加藤順子)ポプラ社
津波で児童犠牲 大川小の裁判始まる(NHKニュース&スポーツ) - goo ニュース 「付記」の中で、最終報告書を出した後、事故検証委員会の室崎委員長は遺族説明会後の会見でこう語った、と。...
View Article生麦魚河岸通り。国道駅。(旧東海道を歩く。京急「生麦」〜「八丁畷」。その1。)
「京急生麦」駅下車。「生麦事件発生現場」から旧東海道を北に向かい、「八丁畷」駅まで歩きました。京急線「生麦」〜「花月園前」〜「京急鶴見」〜「鶴見市場」〜「八丁畷」。駅と駅の距離は短いので、歩数にして約13,000歩くらい、所要時間にして、約2時間15分(昼食時間を含み)。薄曇り、日差しも強くなくて、まあまあ。...
View Article海岸電気軌道・鶴見臨港軌道「総持寺駅」跡。(旧東海道を歩く。京急「生麦」〜「八丁畷」。その2。)
しばらく進むと、「第一京浜」にぶつかります。 「国道」駅付近。 正面の道が旧東海道。 振り返って生麦方向を望む。 1880年代のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。→の付近が現在の「第一京浜」との交差点付近と思われる。 ここでちょっと寄り道。川崎大師まで運行していた路面電車の軌道。産業道路建設を機に廃止された。その総持寺駅跡と路線跡を探索してみました。 海岸電気軌道...
View Article京急鶴見駅前。鶴見川橋。(旧東海道を歩く。京急「生麦」〜「八丁畷」。その3。)
第一京浜との交差点を渡って、京急鶴見方向に進みます。だんだんと賑やかな商店街に入っていきます。これまで違って人通りも多くなってきました。 「蛇族 まむしや 戸山生命堂」。もう廃業したようすの古い店先。 繁華街。...
View Article一里塚。八丁畷。(旧東海道を歩く。京急「生麦」〜「八丁畷」。その4。)
鶴見川を越えて「鶴見市場」、「八丁畷」方向へ。 「鶴見川橋」(旧鶴見橋)。「鶴見橋」の名称は「第一京浜」が「鶴見川」に架かる橋の名になった。 「鶴見川に架かる橋(鶴見区内)一覧」(www.asahi-net.or.jp/~tv4y-szk/turumigawa/turumigawa.htmより) 対岸(鶴見市場方向)から望む。 「鶴見市場」方向。 橋のたもとの公園にあった説明板。...
View ArticleJR常磐線亀有日立引き込み線跡。JR亀有駅〜中川公園。
1938(昭和13)年、日立製作所亀有工場が足立区大谷田町、現在の大谷田団地および中川下水処理場一帯(JR常磐瀬・亀有駅の北東、西新井に向かう「環七」が、大きく西にカーブするあたり。)にできました。最盛期には2万人以上の従業員が働き、戦時中には、戦車など兵器が作られていました(ちなみに、飯塚橋の通りは「戦車街道」とも呼ばれていた)。...
View Articleいまさら自民党にこびを売ることもできず。はてさて。未練ばかりが残る双方。
維新「分党」へ…旧太陽議員、石原氏に同調か(読売新聞) - goo ニュース イシハラ以外の御仁は、維新のメンバーに入っていなければ、前回の総選挙、参院選で全員落選していたはず。もちろん、維新の若手もそういう人間もたくさんいるだろうが。・・・ 「イシハラ」さんを見捨てるわけにも行かず・・・。...
View Article読書「鐘の渡り」(古井由吉)新潮社
時・空を、あるいは人称を越えた語り口。これが、この方の小説作法なのだろう。夢うつつ、その端境に聞こえる声、声、声・・・。鳥の、赤子の、老人の、両親の、兄弟の、・・・。そして、晩鐘の。否、外界の音だけではない、自らの内から聞こえてくる音。これらの深みに対しては、彩りをなす花々は、どれもこれも「淡い」イメージ、もっといえば、セピア色、さらにいえば、無色透明さえも感じ取らせる。...
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