「落語鑑賞教室」その6。柳家喬太郎「転宅」。
柳家喬太郎。 今回は、「浅草演芸ホール」。2021年5月5日 夜の部。緊急無料生配信アーカイブより。 多士済々の登場ですが、トリ(主任)は、柳家喬太郎師匠。喬太郎さんは、人気絶頂の落語家。なかなかチケットが取れません。一昨年、とあるホールで聴きました。 新作から古典まで幅広く持ちネタがある方。...
View Article「落語鑑賞教室」その7。浅草演芸ホール。アサダ二世、三増紋之助、林家正楽、林家あずみ・・・。
アサダ二世。 昔懐かしい古典的なマジック・手品ですが、話芸がみごと。1966年(昭和41年)アダチ龍光に弟子入りした。 趣味 磯釣り 囲碁(三段) マージャン(元プロ) ジャズと演芸テープ収集 朝顔の栽培 小鳥飼育 モダンバレー タップダンス スキー スケート ウィンドサーフィン 乗馬 殺陣 ギター ウクレレ 自己PR...
View Article「落語鑑賞教室」その8。五街道雲助。
五街道雲助。 吉原の、お客を相手に世辞を旨く使いこなして男を骨抜きにしてしまうお話を枕に。 大金を無尽で手に入れた男。行きつけの女郎にこれで夫婦仲になろうと持ちかける。だまされたに違いないという叔父さんから一芝居を打つように仕向けられた源さん。...
View Article秩父鉄道三峰口駅~西武バス「秩父湖」。その1。強石。金蔵落としの渓流。大血川。(「荒川を遡る」第10日目。)
秩父鉄道「三峰口」駅。 久々の「荒川を遡る」。 7月31日(土)。曇りのち晴れ。炎天下の歩き。時々、木陰が道路上まで伸びて。それでも、これほど蒸し暑いとは! 歩き出したトタンに汗が噴き出します。一面の豊かな緑が助けに。 秩父鉄道「三峰口駅」から「白川橋」を渡り、国道140号線(彩甲斐街道・秩父往還)へ。 車道沿いの道を。 「秩父多摩甲斐国立公園」碑。...
View Article秩父鉄道三峰口駅~西武バス「秩父湖」。その2。大血川橋。新旧秩父往還道。大輪。(「荒川を遡る」第10日目。)
トンネル脇に小道があり、景色を眺めながら、小休止。 その先、眼下に「大血川橋」。 荒川河口から141.1 kmの位置に架かる大達原地区と大血川地区を結ぶ橋。水面からの高さは20メートル。 少し上流には「上石橋」があります。...
View Article秩父鉄道三峰口駅~西武観光バス「秩父湖」。その3。三峰ロープウェイ。道の駅大滝温泉。(「荒川を遡る」第10日目。)
大輪は、三峰神社参拝の拠点として賑わったところ。表参道の入口にあたり、三峰の門前町として栄えた。 左手には「一之鳥居」。また、参道へ通じる、荒川に架かる橋は朱塗りの「登竜橋」。 「三峰ロープウェイ」の発着場所でもあった。現在は、神社まで2時間あまりの道のりとなる「三峰山ハイキングコース」(表参道・裏参道)の起着点となっている。...
View Article秩父鉄道三峰口駅~西武観光バス「秩父湖」。その4。三十槌の氷柱(みそつちのつらら)。二瀬ダム。(「荒川を遡る」第10日目。)
「道の駅大滝温泉」観光案内図。 道の駅には、車で見える方の姿のみ。徒歩の客は見当たらない。ま、この炎天下で歩く人はまずいないのでしょう。 今回、地元の方を含め、歩いている人とはまったく出会いませんでした。 蔵造り。 二階建て。現代風の建物ですが、沿道の部分は昔ながらの店構え。食堂か何かだったのか?...
View ArticleSL PALEO EXPRESS。車窓から。熊谷~三峰口。その1。そして「立秋」。(「荒川を遡る」番外編。)
電気機関車に引かれてホームに。 フリー切符1,600円。 孫達とその父親と4人で秩父鉄道の蒸気機関車「SL PALEO EXPRESS」に乗って、「熊谷」から「三峰口」まで。 熊谷駅 10:12発 三峰口駅 12:45着。 当初は、往復ともSLに乗る予定でしたが、2時間以上乗っているうちに、孫達は飽きてしまったようで、往復はやめ、途中で変更。...
View ArticleSL PALEO EXPRESS。車窓から。熊谷~三峰口。その2。(「荒川を遡る」番外編。)
この付近では、「荒川」沿いを国道140号線と並行して走ります。 長瀞駅に向かって進む。 時折、眼下に荒川の流れ。 対岸に「日本イスエード(株)」。 長瀞駅ではたくさん下車。その先の「荒川橋梁」で荒川の清流を眼下に。歩きでは河原から見上げました。秩父鉄道はここから荒川右岸沿いの河岸台地を終点の三峰口駅まで進んで行きます。 鉄橋からの荒川の流れ。...
View ArticleSL PALEO EXPRESS。車窓から。熊谷~三峰口。その3。+西武鉄道特急ラビュー(~池袋)。(「荒川を遡る」番外編。)
武甲山が左手に見えてきます。石灰岩の採掘で階段状の山容。孫に、石灰岩からセメントとして、さらに、コンクリートとして大きな建物に使われるんだよ、と説明しましたが、フンフンと頷くだけ。 あらためて「武甲山」。 山名:日本武尊が、自らの甲(かぶと)をこの山の岩室に奉納したという伝説が元禄時代の頃から定着した。...
View Article「落語鑑賞教室」。その9。四代目三遊亭圓歌「やかん」。+三代目三遊亭圓歌「授業中」。
こちらが聞き知っている「やかん」。「Wikipedia」風のものですが。(以下「Wikipedia」より) 岩田の隠居がお茶を飲んでいると、そこへ八五郎がやってくる。...
View Article「落語鑑賞教室」その10。林家木久扇「彦六外伝」。+林家正蔵・彦六。
「笑点」でお馴染み、林家木久扇師匠の「彦六外伝」。 師匠を語らせたら天下一品。 師匠は、八代目林屋正蔵。後に林屋彦六。 生年月日明治28年 5月16日 品川生まれの浅草育ち。...
View Article「落語鑑賞教室」その11。桂文楽。林家三平。林家木久蔵。そして春風亭一朝。
落語の世界も代替わりがあって、しばらく見ないうちに、当方がなじみの名跡もどんどん変わってしまいました。 桂文楽師匠。名人・先代の文楽師匠の落語は聴聞したことはありますが、当代(9代目)の師匠はかつて「ペヤング」のCMでなじみ深い、くらいの印象(申し訳ありませんが)。けっこう貫禄がついてきて、ビックリ。...
View Article「落語鑑賞教室」。その12。柳家権太楼「百年目」。
トリの柳家権太楼師匠。「寄席」では余りお目にかからない、約50分をかけて、「百年目」を演じました。ただし、権太楼師匠は毎年の5月興行では恒例になっていたようですが。 「金比羅」の出ばやしで登場。1947(昭和22)年生まれ。東京都出身。...
View Article「落語鑑賞教室」。その13。入船亭扇遊。柳亭こみち。
入船亭扇遊「垂乳根(たらちね)」。 このお話。展開はよく聞き知っていますが、何度聞いても面白い。 ある長屋に住む独り者の八五郎は、大家さんから勧められ、嫁にもらうことにした。...
View Article「落語鑑賞教室」。その14。橘家文蔵「笠碁」。碁敵(がたき)は憎さも憎し懐かしし(さ)。
「第4回文蔵組落語会」。 枕では、コロナ禍での手持ちぶさたな日常を描きながら、本題に入ります。 碁がたき同士が、今日は「待った」なしで碁打ちはじめる。しばらくして形勢の悪い方が「待った」と言い出す。相手は待てないと言い、お互い「待て」、「待てない」と強情を張る。...
View Article読書「B面昭和史1926~1945」半藤一利(平凡社)。「歌は世につれ、世は歌につれ」。その1。
相変わらずの読書三昧、と言いたいところですが。ついつい緊急事態宣言下でも出かけてしまい、・・・。少し自重して。 さて、今年1月亡くなられた半藤一利さん。ブログでも何度か紹介していますが、下町・大畑(現在の八広)生まれということで、けっこう親近感を持っています。生家は、通称「こんにゃく稲荷」・三輪里稲荷神社の前だったとか。...
View Article読書「B面昭和史1926~1945」半藤一利(平凡社)。「歌は世につれ、世は歌につれ」。その2。
昭和12年(1937年)正月の浅草風景。 筆者の半藤さんは、この年の4月、小学校1年生に。 当時の同級生の家の職業が列記されています。豆腐屋、イカケ屋、下駄屋、自転車屋、大工、酒屋、ミルクホール、左官屋、米屋、魚屋・・・。下町の土地柄を表しています。ちなみに母親は、お産婆さんだった、とのこと。 その街中に聞こえてくる物売りの声も列挙。...
View Article読書「B面昭和史1926~1945」半藤一利(平凡社)。「歌は世につれ、世は歌につれ」。その3。そして、李香蘭
「寫眞週報 昭和14年9/6号」表紙。 昭和14年(1939年)。この年の8月、ヨーロッパではドイツがポーランドに電撃作戦を開始。英仏がただちにドイツに宣戦布告。第二次世界大戦が勃発しました。 ・何日君再来(ホーリー ジュン ザイライ)作詞 黄 嘉謨 / 作曲 劉 雪庵...
View Article読書「B面昭和史1926~1945」半藤一利(平凡社)。「歌は世につれ、世は歌につれ」。その4。
明けて昭和16年(1941年)。筆者の半藤さんが小学校4年生になったとたん、小学校が「国民学校」と改称されます。 前年に「日独伊三国同盟」を結んだ日本は、いよいよ英米を敵に回すことに。そして、運命の12月8日を迎えます。 前年11月にレコードになった海軍軍歌「月月火水木金金」が年明けと共に巷で歌われ始めます。 ♪朝だ夜明けだ潮の息吹き うんと吸い込むあかがね色の 胸に若さの漲る誇り...
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