JR高崎線「吹上」駅~東武伊勢崎線「川俣」駅。その6。(「日光千人同心街道」第5日目。)
「川俣宿」。 1880年代のようす。直線に延びるのが「川俣宿」。 2010年代のようす。当時のままの街道。 かつての賑わいをよそに。 (13:57)土手のすぐ下、左側に「旧本陣塩谷家」。 土手で車が通行止めのため、車が少なく静かで落ち着いた街並み。 小公園には、...
View Article東武伊勢崎線「川俣」駅~東武佐野線「佐野」駅。その1。(「日光千人同心街道」第6日目)
「千人同心街道」歩きも最終回。 街道の名称もずばり「日光街道」から「日光脇街道」。今や「日光脇往還」となって、「八王子千人同心街道」という名称はあまりみかけなくなった街道。 もともと「千人同心街道」、「日光火之番街道」、「八王子千人同心街道」、「日光脇街道」、「日光脇往還」、「日光裏街道」などとあったようですが。...
View Article東武伊勢崎線「川俣」駅~東武佐野線「佐野」駅。その2。(「日光千人同心街道」第6日目)
(10:35)館林の市街地へ。 この付近に「館林城江戸口門」があったようです。 「館林駅入口」交差点。 館林市概要...
View Article東武伊勢崎線「川俣」駅~東武佐野線「佐野」駅。その3。(「日光千人同心街道」第6日目)
(11:34)街道を先に進むと「佐野口門跡」へ。道路の拡幅工事中。 まだまだ館林宿にはかつてを偲ぶ建物などがあります。 奥にりっぱな門。 かつては宿屋だった? 戦前の雰囲気。...
View Article東武伊勢崎線「川俣」駅~東武佐野線「佐野」駅。その4。(「日光千人同心街道」第6日目)
(12:37)「田中正造終焉の地」との立て看板。 手前の大きな「庭田家」のやしきが終焉の家。 なお、この看板は立派な記念碑が出来る前に立っていたもののようです。 正造終焉の家、佐野市指定史跡に 正造が息を引き取った佐野市下羽田町の庭田家が、「田中正造終焉の家」として佐野市の指定史跡に決定しました。...
View ArticleJR埼京線「板橋」駅~JR武蔵野線「新座」駅。その1。(「川越街道」第1日目。)
旧中山道との分岐点「平尾追分」(↓)。 2日間の「川越街道」歩き。 「川越街道」 戦国時代の太田道灌が川越城と江戸城を築いたころ、二つの城を結ぶ重要な役割を果たす道であり、また江戸城には中山道板橋宿平尾の追分で分かれる脇往還として栄えた。...
View ArticleJR埼京線「板橋」駅~JR武蔵野線「新座」駅。その2。(「川越街道」第1日目。)
「下頭橋」を渡ってすぐ左の道を進むのが、「旧川越街道」。 「環七」と「国道254号線(現川越街道)」との交差点「板橋中央陸橋」にぶつかり、そのまま進みます。 その手前に、「旧川越街道」という標識あり。 (11:17)「本郷まで9㎞」ポスト。...
View ArticleJR埼京線「板橋」駅~JR武蔵野線「新座」駅。その3。(「川越街道」第1日目。)
(11:51)旧街道(北一商店街通り)は「環八通り」の上に出ます。 「大山道標」。 下練馬の大山道道標 旧川越街道とふじ大山道の分岐点に宝暦3年(1753)8月、下練馬村講中によって建てられた道標です。上部の不動明王像は後に制作されたものです。 江戸時代に盛んであった富士・大山信仰に関する資料として貴重なものです。 東高野山道標...
View ArticleJR埼京線「板橋」駅~JR武蔵野線「新座」駅。その4。(「川越街道」第1日目。)
「白子川」を渡り、「白子宿」(和光市内)へ。 1880年代のようす。○が「白子宿」エリア。 2010年代のようす。まだまだ緑が多い。東北側に東武東上線。 白子宿 川越街道(川越・児玉往還)にあった宿場。現在の埼玉県和光市白子にあたる。...
View ArticleJR埼京線「板橋」駅~JR武蔵野線「新座」駅。その5。(「川越街道」第1日目。)
アップダウンの坂道が続きます。 (13:54)坂道の途中、右手の「伯楽製鋲所」の敷地に「馬頭観音」。 入って右手の大きな祠の中にあります。 会社名の「伯楽」と「馬頭観音」の関連は? 国語の漢文でよく教材として出てきます。 『雑説』(韓愈)...
View ArticleJR埼京線「板橋」駅~JR武蔵野線「新座」駅。その6。(「川越街道」第1日目。)
(14:43)「膝折宿」脇本陣。 高麗家住宅(膝折宿 脇本陣) 朝霞市膝折町は室町時代から古い宿場と伝えられ、江戸時代末には旧川越街道の宿場として民家が建ち並び、特産品を売る市も立ち、この地方の商業の中心地として栄えた場所です。 高麗家は、この膝折宿の中心部に位置し、屋号を「村田屋」と称して旅籠を営んでいました。...
View ArticleJR武蔵野線「新座」駅~東武東上線「川越」駅。その1。(「川越街道」第2日目。)
(10:33)「大和田宿」への道。 坂道を緩やかに下って行きます。右手の小高いところに「馬頭観音」。 鬼鹿毛(おにかげ)の伝説...
View ArticleJR武蔵野線「新座」駅~東武東上線「川越」駅。その2。(「川越街道」第2日目。)
大井宿・新井本陣跡「解説板」。 大井宿と本陣 大井宿は、川越街道の6宿場のうちのひとつとして、江戸から約8里、川越城大手門(現川越市役所)から2里半の道程にありました。江戸時代以前の大井宿は大井郷と呼ばれ、川越街道より東方の現在の東原小学校を中心とした「本村」などの地名のところに集落があったことが発掘調査により確認されています。...
View ArticleJR武蔵野線「新座」駅~東武東上線「川越」駅。その3。(「川越街道」第2日目。)
国道を進み、しばらくして再び左の道へ。 国道の喧噪から離れ住宅街を進む。 けっこう進んでから、「不老川(ふろうがわ)」を渡ります。 ほとんど水の流れがない。 不老川...
View Article東武伊勢崎線「川俣」駅~東武佐野線「佐野」駅。その3。(「日光千人同心街道」第6日目)
(11:34)街道を先に進むと「佐野口門跡」へ。道路の拡幅工事中。 まだまだ館林宿にはかつてを偲ぶ建物などがあります。 奥にりっぱな門。 先を急ぎます。交差点の先の三叉路を右に曲がっていきます。そこには道標が二基。右には「右 さの とちぎ道」左には「らいでん道」とあります。...
View ArticleJR武蔵野線「新座」駅~東武東上線「川越」駅。その3。(「川越街道」第2日目。)
(13:22)国道を進み、しばらくして再び左の道へ。 国道の喧噪から離れ住宅街を進む。 (14:01)40分ほど歩くと、「不老川(ふろうがわ)」を渡ります。 ほとんど水の流れがない。 不老川...
View ArticleJR武蔵野線「新座」駅~東武東上線「川越」駅。その4。(「川越街道」第2日目。)
最初の枡形へ向かいます。 街道筋らしいおうちが散見されます。 最初の枡形(鈎の手)。 川越市 江戸時代には親藩・譜代の川越藩の城下町として栄えた都市で、「小江戸」(こえど)の別名を持つ。城跡・神社・寺院・旧跡・歴史的建造物が多く、国から「歴史都市」に認定されている(埼玉県内唯一の認定)。...
View ArticleJR武蔵野線「新座」駅~東武東上線「川越」駅。その5。(「川越街道」第2日目。)
「鐘つき通り」突き当たりの通りが「蔵町通り」(一番街)。 大きな鬼瓦の屋根に黒しっくいの壁と分厚い観音開きの扉…。まるでタイムスリップしてしまったかの様な感覚になる蔵造りの趣豊かな建物が立ち並ぶ町並み-「一番街」。...
View ArticleJR武蔵野線「新座」駅~東武東上線「川越」駅。その6。(「川越街道」第2日目。)
市役所前の通りを東に向かいます。「中ノ門掘」跡。 明治以降、川越城の多くの施設・建物が取り壊され、中ノ門掘跡は旧城内に残る唯一の堀跡となりました。 川越城は古賀公方足利成氏と北武蔵の覇権を巡る攻防に備える為に、1457(長禄元)年に、太田道真・道灌父子によって築城されました。...
View ArticleJR武蔵野線「新座」駅~東武東上線「川越」駅。その7。(「川越街道」第2日目。)
けっこうな人通り。外国人の姿も大勢。 生活道路なので、車がひっきりなしに通ります。 実はお目当てのお店があります。「河村屋」さん。ここで長く仕事をしている方とちょっと遠い縁があって、一度訪ねてみようと思っていました。 「創作漬け物」のお店。本店は「中山道」沿いの大宮にあります。...
View Article