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Channel: おやじのつぶやき
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与瀬宿~吉野宿~関野宿~上野原宿。その5。(「甲州街道」をゆく。第4日目。)

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 橋を渡り、左手に中華料理屋さんが見えたら、国道から右の坂道を上がって行きます。


                     

「藤野中学校」の前を通る短い旧道ですが、沿道には花々が咲き匂い、春らしい雰囲気。




                      

しばらくしてまた国道に復帰します。左手に大きな古木。一里塚だったという話があります。
 


エノキ
 高さ 12メートル
 樹齢 推定300年
・・・昔は一里塚に植えられていた。・・・

遠くの山肌に「ラブレター」。

集会所の前に大きな石碑。

「日連(ひづれ)入口」。

交差点を振り返る。
                                       「日連大橋」を経由して、「相模川」の対岸へ向かう道が分岐しています。

しばらくして右折すると、「藤野駅」。そのバス停のベンチで休憩。再び街道に戻ると、その正面に何だか奇抜な商店。
「横山薬品改めシーゲル堂」。

旧道は、この先をすぐ右折する道だったようですが、そのまま国道20号線を進んでしまいました。「中央道」を走っていると目に入る巨大なラブレターがはっきりと見えてきます。↓
「緑のラブレター」高橋政行作
         
 作品は縦17メートル、横26メートル。鉄のフレームにシートが張られている。「ふるさと芸術村構想」のもと、藤野町(現相模原市)の依頼で、1989年に造形作家の高橋政行さん(67)が制作した。

藤野ふるさと芸術村
 第2次大戦中、藤田嗣治や猪熊弦一郎らが過ごした藤野。1988年に神奈川県が「藤野ふるさと芸術村メッセージ事業」を立ち上げ、国内外の作家による彫刻などを町内に展示した。当時の作品を含む29作品が、藤野駅周辺に今も残る。現在は、「ぐるっと陶器市」(毎年5月)など民間主体のイベントがさかんで、作家が活躍できる場も多い。

「東京から70㎞」ポスト。


しばらく進むと、左手が開けてきます。JR線を越えると、右手には「中央道」の橋脚。その下の歩道を進みます。
                          

「関野宿」に入ります。右手に「本陣跡」の説明板があるということですが、見落としました。
静かな街並み。
関野宿
 本陣1軒・脇本陣1軒・旅籠3軒の相模国最後の宿場だったが、明治21年と、その後の2度の火災で焼失してしまった。


町外れに「増珠寺」があり、江戸時代の力士・追手風喜太郎の解説文があります。


 力士追手風喜太郎
 追手風喜太郎は、寛政11年(1799年)甲州街道沿いの当地関野に生まれ、幼名を「松次郎」と言いました。
 その生家は、現在もこの寺近くにあり、佐藤博文氏が当主として守っております。
 松次郎が力士への道を歩むようになったのは、9歳の時、同郷出身の力士で叔父にあたる「追手風小太郎」が長崎巡業の折り、松次郎の家に立ち寄ったことから始まります。この時、松次郎は親の止めるのも聞き入れず小太郎の後を追い弟子入りしました。力士としての仲間入りをしてからは、松五郎とも呼ばれ、文政3年(1820年)春場所には西三段目の下から二枚目となり、シコ名も「黒柳」と改めました。文政12年には前頭筆頭となり、黒柳の名を「往右衛門」と改め、さらに天保2年(1831年)春場所からは「追手風」としました。その後、小結・関脇とすすみ天保7年には西大関と据り、同10年には土俵を退いたとのことです。
 土俵を退いてからの追手風は、年寄となり相撲会所の要職に着くと共に、門下からは多くの名力士を出しました。また、敬神祟祖の念に厚く、竜渕山増珠寺には五具足・燭台などを寄贈し、氏神の三柱神社には、青龍・白虎・朱雀・玄武の四神の幡(写真)を献納しました。
 この「安昌久全信士」の碑は、文政12年11月25日喜太郎の手により建立されたもので、追手風小太郎の碑であります。また、佐藤家の墓地には、昭和46年建立された追手風喜太郎と弟子の横綱雲竜久吉の碑が建てられています。

          昭和61年2月          藤野町教育委員会
 現在も年寄株として「追手風」があり、時津風一門の部屋として人気力士の遠藤などが所属しています。

 旧道は小渕小学校の脇を通っていたようですが、そのまま国道を進みます。



「上野原へ3㎞ 大月へ23㎞ 甲府へ64㎞」。

右手に「甲州古道坂の上」。

この道を上がっていくようですが。

 確かに現甲州街道(「国道20号線」)は、沢筋にかなり突き出て、カーブが続く。地盤は補強されているようで、河岸段丘上を進んでいた、かつての街道とは異なっている印象。


 ここまでには、かなり古びた木製の「甲州古道 道標」があり、所々に寸断された古道が残っているようですが、その標識を見失いがちで、つい車道を歩いてしまいます。

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