この道に入ると、とたんに周囲が田んぼが広がり、人家がぽつぽつある、農道のような道になります。

お伊勢の森・奥州街道
お伊勢の森神明宮は、遠く村の発生とともに祀られたのであろう。旧奥州街道を少し離れた所に四角四面に石を積んだ石塚があり、その中に伊勢神宮の内宮・外宮その他の末社を勧請したのが祀られていた。あたり一面が森をなしていたことから、俗に「お伊勢の森」と言った。ここに詣でることにより、同じご利益があり、いくつかの霊験談が伝説化されて残っている。
すぐ前の道が昔からあった古道で、東は古宿(現古町)、西は将軍地蔵~阿久津へと通じている。徳川幕府が開かれるとともに氏家村にも宿場や伝馬の制が敷かれるようになり、氏家宿ができた。・・・
直線の道が続きます。

すぐ前方にJRの踏切があります。

JR宇都宮線の電車が通過中。

踏切には「旧奥州街道踏切」と記されています。


のどかなたんぼ道。


晴れていれば奥日光の山並みが見えそうですが。

(15:01)住宅街にさしかかって正面のT字路を左折。

その右の角に奥州街道道標や馬頭観音等が建っています。


解説板はかすれて判読不能。道標もほとんど判読できません。

道標には「右 江戸海道」「左 水戸 かさま 下だて 下づま」と記されているようです。
ここは「氏家宿」の南端でもあり、奥州街道は鉤の手に曲がり、木戸番所が設けられていました。
「氏家宿」内のようす。

「道標」等がある角を振り返って望む。

宿内には古くてりっぱなおうちがあります。


「伝馬町」という表示。




荒井寛方(あらいかんぽう・1878~1945)はここに生まれ、日本画家をめざして巣立ちました。仏画を志した寛方は原三渓やアジアで初めてノーベル文学賞を受賞した詩聖タゴールの知遇を受け、日本画の教授として渡印しました。その間、アジャンタ壁画模写の難事業を成し遂げ、多くの人々と交わり、日印文化交流の架け橋となりました。
この公園は、荒井寛方の業績を顕彰するとともに、寛方とインドのノーベル賞詩人で思想家のタゴールの友情を記念して作られた公園です。園内にはタゴールが寛方に贈った惜別の詩を刻んだモニュメント、寛方の代表作を陶板画にして飾ったギャラリー、茶室やせせらぎ配した庭園などが設けられています。





今回は、ここまで。JR「氏家」駅に向かいます。
途中にあった居酒屋さん。看板に「かえるの塩焼」?!

駅の近くにはしゃれたレストラン?


「参番館」。
