後ろを振り返ると、けっこう長く続く上り坂です。この道は三条通りへの抜け道なのか、狭い道に次々と車が上って来るので、後ろを振り向きながらの上りです。要注意。
坂道の左手には「亀水不動尊」が祀られて、湧き出す清水が旅人の喉を潤したというところがあるはずです。が、生い茂った草むらの中に長年放置されていたような乗用車、その奥にかつての祠らしきものが朽ちたままあります。
私有地ということで立ち入り厳禁になっていて、これがそのものなのか確認はできません。写真を撮るのも憚れる感じ。
右手奥に祠。
そのすぐ先の左手に道標。
「右 妙見道」。
洛中から大塚(山科の南東)にある「妙見寺」への参道。
けっこう上ってきます。
東方を望む。
もう少しで、峠にさしかかる。![]()
道中、最後の「飛び出し」小僧。三重、滋賀、京都と断続的に目にしました。
下り道はますます細くなります。![]()
右手に「旧東海道」という石碑がみえて、![]()
その先で、再び「三条通り」に合流。![]()
合流してすぐの左手に牛車道のモニュメントが置かれた広場があります。
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平成9年10月の京都市営地下鉄東西線開業の伴い廃線となった京阪電鉄京津線の軌道敷きを利用し三条通の四車線化及び歩道の整備事業を実施した本事業の完成を記念して三条通の舗関石として敷設されていた車石を利用し往年の牛車道を模した広場を設置する
平成16年1月 京都市
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切り通しにへばりつくように建てられた何層もの建て物。
「三条大橋」は、左に曲がって行くことに。![]()
左手は「蹴上浄水場」。
右手にはインクライン(琵琶湖疎水)。昨年5月以来、久々にやってきました。
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(2014・5・02)
時刻は10時15分。三条大橋での待ち合わせまで時間はありそう。向こう側に渡って、前回(昨年5月)時間の都合上、立ち寄ることが出来なかった南禅寺境内にある「琵琶湖疎水」にちなんだ「水路閣」に行ってみることにします。
「南禅寺」境内の右手奥の方にあります。![]()
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史跡琵琶湖疎水のうち 「水路閣」
疎水事業は、京都府知事北垣国道の発意により、田辺朔郎工学博士を工事担当者として、明治18年に起工され、同23年に竣工した。
水路閣は、この疎水事業の一環として施行された水路橋で、延長93.17㍍、幅4.06㍍、水路幅2.42㍍、煉瓦造り、アーチ構造の優れたデザインを持ち、京都を代表する景観の一つとなっている。
また、ここから西500㍍にあるインクラインは、高低差のある蹴上の舟だまりと南禅寺の舟だまりとを結ぶ傾斜地に上下2本のレールを敷き、艇架台により舟を運ぶ施設で、当時の船運による交通事情がよくうかがえる。
いずれも、西欧技術が導入されて間もない当時、日本人のみの手で設計、施工されたもので、土木技術史上、極めて貴重なものであり、昭和58年7月1日に「疎水運河のうち水路閣及びインクライン」として京都市指定史跡に指定された。
また、平成8年6月には、この水路閣、インクラインに加え、第1疎水の第1、第2、第3隧道の各出入口、第1竪坑、第2竪坑、明治36年に架設された日本発のコンクリート橋(日ノ岡第11号橋)、同37年架設の山ノ谷橋などが日本を代表する近代化遺産として国の史跡に指定された
京都市
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上にも上がってみました。
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右から左へ勢いよく流れています。 上流方向。
この水路は、「南禅寺」の裏山を抜けて東山方向へ流れていきます。盆地になっている京都市街地の隅々まで琵琶湖の水が行き届くようになっています。
風雪に耐えた造り
見飽きません。![]()
境内を見下ろす。
もと来た道を戻るときに再びくぐったインクライン下のトンネルも見逃せません。
雄観奇想」と刻まれた扁額。
「ねじりまんぽ」。アーチ部に煉瓦やコンクリートブロックを用いるとき、まっすぐに積まずに、斜めにねじって積んだ構造のトンネルのこと。このトンネルは、1888(明治21)年に造られました。日本で現存する数少ない「ねじりまんぼ」の一つ。
「陽気発所」と刻まれた扁額。
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トンネル内は暗くて、携帯ではうまく撮れません。
こうして、長年見たかったものも見たので、あとは「三条大橋」に向かいます。時刻はちょうど11時。
坂道の左手には「亀水不動尊」が祀られて、湧き出す清水が旅人の喉を潤したというところがあるはずです。が、生い茂った草むらの中に長年放置されていたような乗用車、その奥にかつての祠らしきものが朽ちたままあります。
私有地ということで立ち入り厳禁になっていて、これがそのものなのか確認はできません。写真を撮るのも憚れる感じ。

そのすぐ先の左手に道標。

洛中から大塚(山科の南東)にある「妙見寺」への参道。
けっこう上ってきます。

もう少しで、峠にさしかかる。

道中、最後の「飛び出し」小僧。三重、滋賀、京都と断続的に目にしました。
下り道はますます細くなります。

右手に「旧東海道」という石碑がみえて、

その先で、再び「三条通り」に合流。

合流してすぐの左手に牛車道のモニュメントが置かれた広場があります。


平成9年10月の京都市営地下鉄東西線開業の伴い廃線となった京阪電鉄京津線の軌道敷きを利用し三条通の四車線化及び歩道の整備事業を実施した本事業の完成を記念して三条通の舗関石として敷設されていた車石を利用し往年の牛車道を模した広場を設置する
平成16年1月 京都市


「三条大橋」は、左に曲がって行くことに。

左手は「蹴上浄水場」。
右手にはインクライン(琵琶湖疎水)。昨年5月以来、久々にやってきました。




(2014・5・02)
時刻は10時15分。三条大橋での待ち合わせまで時間はありそう。向こう側に渡って、前回(昨年5月)時間の都合上、立ち寄ることが出来なかった南禅寺境内にある「琵琶湖疎水」にちなんだ「水路閣」に行ってみることにします。
「南禅寺」境内の右手奥の方にあります。


史跡琵琶湖疎水のうち 「水路閣」
疎水事業は、京都府知事北垣国道の発意により、田辺朔郎工学博士を工事担当者として、明治18年に起工され、同23年に竣工した。
水路閣は、この疎水事業の一環として施行された水路橋で、延長93.17㍍、幅4.06㍍、水路幅2.42㍍、煉瓦造り、アーチ構造の優れたデザインを持ち、京都を代表する景観の一つとなっている。
また、ここから西500㍍にあるインクラインは、高低差のある蹴上の舟だまりと南禅寺の舟だまりとを結ぶ傾斜地に上下2本のレールを敷き、艇架台により舟を運ぶ施設で、当時の船運による交通事情がよくうかがえる。
いずれも、西欧技術が導入されて間もない当時、日本人のみの手で設計、施工されたもので、土木技術史上、極めて貴重なものであり、昭和58年7月1日に「疎水運河のうち水路閣及びインクライン」として京都市指定史跡に指定された。
また、平成8年6月には、この水路閣、インクラインに加え、第1疎水の第1、第2、第3隧道の各出入口、第1竪坑、第2竪坑、明治36年に架設された日本発のコンクリート橋(日ノ岡第11号橋)、同37年架設の山ノ谷橋などが日本を代表する近代化遺産として国の史跡に指定された
京都市




上にも上がってみました。


右から左へ勢いよく流れています。 上流方向。
この水路は、「南禅寺」の裏山を抜けて東山方向へ流れていきます。盆地になっている京都市街地の隅々まで琵琶湖の水が行き届くようになっています。
風雪に耐えた造り



もと来た道を戻るときに再びくぐったインクライン下のトンネルも見逃せません。

「ねじりまんぽ」。アーチ部に煉瓦やコンクリートブロックを用いるとき、まっすぐに積まずに、斜めにねじって積んだ構造のトンネルのこと。このトンネルは、1888(明治21)年に造られました。日本で現存する数少ない「ねじりまんぼ」の一つ。



トンネル内は暗くて、携帯ではうまく撮れません。
こうして、長年見たかったものも見たので、あとは「三条大橋」に向かいます。時刻はちょうど11時。