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Channel: おやじのつぶやき
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三条大橋。ゴール!・・・(京阪追分駅から京・三条大橋まで。その3。)

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 「三条通り」の道標。ただし、旧東海道時代のものではありません。裏には「動物園」が示されています。

    
                           「琵琶湖疎水」からの分水。清流。
いよいよ「三条大橋」が見えてきました。 11時30分少し前。

橋のたもとに到着! 東京からの知人の姿はなさそう。

                

三条大橋
 この橋の架けられた年代については明らかでなく、室町時代前期には、すでにごく簡素な構造を持つ橋として鴨川に架けられていたものと推定されるが、本格的な橋となったのは、天正18年(1590)で、豊臣秀吉の命により奉行増田長盛が大改造を行った。
 また、擬宝珠は天正と昭和のものが混用されているが、その銘によると、
「洛陽三条の橋は後代に至るも往還の人を化度(けど)せしむるもの也、盤石の礎は地に入ること五尋(ひろ)、切石柱は六十三本也(以下略・・・)」とありいかに大工事であったかをうかがわせる。
 かつてはここが東海道五十三次の西の起点にあたり、重要な交通上の要衝であった。
 以後たびたび流失したが、幕府が管理する公儀橋としてすぐ修復された。
 元禄以来、たびたびの改造を経てきたが、昭和25年の改造によって今の姿に改められた。
 現在の橋の長さは74㍍、幅15.5㍍。なお、橋の西詰め北側には、高札場とされたところで、現在も天正年間の大改造の際に使用された石の柱が残されている。

 京都市

 橋の北側の歩道を進み、橋の西詰めへ。そして、渡り終えました。

来た道を振り返って望む。


西詰、解説板の奥にあるのが、「天正」の銘のある石柱。

高札場。

高札場
 高札場とは幕府が決めた法度や掟書などを木の板に書き、人目を引くように高く掲げる場です。絵図は文化2年に三条大橋西詰の御高札場(現近江屋ビル前広場)に掲げられていた高札です。当中島町には天保12年にこの高札の文面の写しが残っています。それを見ますと、大半が正徳元年(1711)に定めた事が多く、親兄弟と仲良くし、家業に専念せよと書かれた「親兄弟の札)や、人足(荷役など力仕事をする労働者)に担がす荷物の重さや料金が書かれた「駄賃の札」などがあります。他にはキリシタンの不審者を発見すれば銀500枚の褒美が出るとした「切支丹の札」、毒薬、偽薬の売買を禁じた「毒薬の札」放火を見つけたらすぐ届けよと書かれた「火を付る者の札」もあります。文化2年の「唐物抜荷之儀の札」は、密輸品が見つかれば差し押さえ、役人が立ち会いの元、封印すると書かれています。

 三条小橋商店街振興組合

そこから三条大橋南東側を眺める。 


 東海道五十三次 京都 (京師) 三条大橋 絵師 安藤広重  編者 橋口五葉 発行 岩波書店(大正8年)

 大津より3里。東海道五十三次、旅路の果てである。江戸を立って十数日,224里半の行程も、鴨川にかかる三条大橋に着いて、いわゆる‘上り’となる。橋上をゆきかうひとびと、京女らしい風俗,大原女など、広重の関心もここに集中され、橋のかなたに東山がくっきりと浮かびあがる。日本橋図の緊張もここではほぐれて、平凡な構図にまとめあげられたが、大尾をかざるにふさわしい安定した作風である。

                                        (「鹿児島県立図書館」HPより)

    
大正期のようす(「知足美術館」HPより)。                 現在のようす。

 再び東詰に戻って、渡り直します。鴨川の流れと東山。しばし、佇む。

    

 と橋の西側からやってくる二人連れ。11月11日11時35分過ぎ。橋のほぼ中央で会うことが出来ました。
 3人揃って、ゴールの西詰めへ。

と、その前に。

  
    擬宝珠の刀傷跡。○の部分。       幕末・池田屋騒動の時のものといわれているらしい。

注:池田屋事件は、幕末の1864年7月8日に、京都三条木屋町の旅館・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、京都守護職配下の治安維持組織である新選組が襲撃した事件。

 渡り終えて、そこにある「弥次喜多」像のところで、記念写真!

    
                                「幟」までつくってくれて、ありがとうございました!

そして、その「池田屋旅館」跡を横目に、

 少し行った老舗「三嶋亭」ですき焼きを旅の味をかみしめながら、たっぷり堪能しました。
 この辺りは、何回か来たことがある道筋。こういう形で来るとは思いも寄りませんでした。

 それから、夕方まで京都見物を楽しんできました。共々にお疲れ様でした。そして、感謝・感謝です。

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