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Channel: おやじのつぶやき
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鶴川宿~野田尻宿~犬目宿~上下鳥沢宿~猿橋宿。その1。(「甲州街道」をゆく。第5日目。)

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 久しぶりに再開。5月27日(土)。晴れ。今回は、「上野原」駅で下車し、出来たら「大月駅」までという予定が、奇矯「猿橋」で地元のイベント「第16回さるはし観月会」に遭遇。結局、そこで長居をして「猿橋駅」に着いたのが17:45過ぎでした。本日は、ここまで。
 南側は雲が多くて富士山は肉眼では見えましたが、写真では? それでも、緑深い山々を眺めながらの旅です。

 8時30分過ぎに「上野原駅」に到着。さっそく路線バスに乗って、前回の「新町2丁目」交差点。上り坂を行くよりははるかに楽です。

8:48スタート。 

 「上野原」宿は沿道は商店街となって特に宿場時代の面影を遺す建物、史跡は見当たりません。「ルートイン上野原」というビジネスホテルが脇本陣「若松屋」があったところらしい。


かつての脇本陣「若松屋」(平成9年頃)。(「旧甲州街道ウオーキングマップ」より)
  

現在の街並み。

「東京より74㎞」ポスト。

「上野原名物」は酒まんじゅう。さっそく、あんこと味噌の二つを購入(1つ84円)。お店の方から「甲州街道をお歩きですか」と。

 本町の信号を過ぎると、道はY字路になります。その手前に、古びた商家「三井屋」さん。


Y字路。

左手の道を進むのが、旧道。

        振り返る。

 その前に、右手の国道沿いに「セブンイレブン」があるので、ちょっと寄り道して、食料を調達。いよいよ次の宿場に向かいます。このお店を見逃すと、道中、この後にお店はまったく見つかりません。



警察署の裏手を進むと、分岐点。(9:13)案内表示があるので安心。正面、石垣に沿った道を進みます。


         



しばらく進むと、左手の眼下が開けてきます。


国道20号線に架かる歩道橋を渡ります。一面、新緑の木々。県道に沿って進みます。


「甲州街道史跡案内図」。

豊かな緑に囲まれた家々。

江戸時代は甲州街道唯一の渡し場「鶴川の渡し」。今は「鶴川橋」(橋の下流に渡し場がありました)を渡って「鶴川宿」へ。



「鶴川」の流れ(上流)。

(9:27)「これより鶴川宿」碑。「史跡案内図」。




鶴川宿
 鶴川宿は、正徳3年(1713)一村一宿にて宿場を構成しました。また天保14年(1842)には
 戸数57戸人口295人、本陣1脇本陣2旅籠上3中3下2計8の小さな宿場でした。
 宿場に入り50メートル右手の家の前には「駒つなぎ石」、そして理法寺の入口には、萬霊等(天和6年-1785)・念仏供養塔(天和6年-1688)を見ることができます。少し進むと左手に、かつて馬宿であった若松屋が、北隣りには旅籠であった村田屋がありました。また、旅籠である街道をこえたところが、問屋柏屋であり近年まで屋号をついでいました。当時、間口24間(43メートル)奥行き18間(約32メートル)という大きな家で、上段の間があり脇本陣もつとめていましたが、大正10年(1921)の大火で焼失したためどのような間取りであったかは不明です。 
 また、大椚に向かう途中にはかつて本陣がありました。
 また、江戸五街道の川越は、通常橋梁によるものでしたが、鶴川は甲州街道唯一の「増水時
徒渡し」でした。そのほか、鶴川周辺には当時の街道をしのばせる名残を見ることができます。
 ※「駒つなぎ石」は、現在は鶴川神社境内にあります。

      平成8年3月                 上野原町教育委員会

現在の「鶴川宿」の街並み。

道案内。

大正時代のの大火で古い建物はなくなってしまったようですが、街道筋らしいおうちが見受けられます。


「中宿 藤井屋」。

宿場の最後、左手の大きなおうちの脇を左に折れます。枡形になっています。


    

振り返って望む。

(9:35)坂道を上って行くと、眼下に「鶴川宿」の街並み。

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