ちょっとした家並みと石畳、そして舗装道路と交互に。
(13:35)木立の中にうち捨てられた廃屋と車。![]()
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「日光杉並木街道の物語(野口地区)」。
・・・この杉を植栽した松平正綱は17歳で徳川家康に仕え、後に幕府の経理を預かる勘定奉行になり、家康没後は、度々日光を訪れ、将軍の社参や祭典、または東照宮の警護や修理にも活躍し寛永2年(1625)多年の幕府に対する功労が認められ、2万2千石の大名に任ぜられました。
徳川家康を崇敬した松平正綱が日光東照宮の参道である街道に杉を植えたのは、東照宮をはじめとする聖地日光への道の景観を整えるとともに、雨風や日照等の自然環境から旅人を保護するために行ったものと言われております。・・・
集落を抜けると、国道に合流します。ここからはしばらく車の行き来の激しい車道脇の側溝の上を進みます。
振り返って望む。
左側にはJR日光線の線路。![]()
その先の左手には「常夜燈」や「弘法の霊水(表示)」がありますが、道路を渡るのは危険なので、遠目に望むだけ。
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(13:51)杉並木の中で一番大きな杉の木「並木太郎」。![]()
並木の中で一番大きな杉であり、周囲5.35㍍樹高58㍍・・・その姿の美しく端正なことより並木太郎と呼ぶにふさわしい名木である。
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(14:05)左手はJR線のガード。![]()
その上の方には「日光道(高速)」。![]()
(14:12)しばらく行くと、「明治天皇七里小御休所」跡。
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その先、しばらく進み、「宝殿」交差点で右奥の道を進みます。
(14:28)左手に広くて静かな旧道・杉並木があります。久々の土の道。
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(14:31)その道もすぐ終わり、JR線のガードのところで国道に合流、ガードをくぐってから右手の小道を進むと、杉並木の旧道。
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路傍には石碑が並んでいます。
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振り返って望む。
「国道119号線」に合流すると、いよいよ最後の「日光杉並木街道」。
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「特別史跡 特別天然記念物 日光杉並木街道」
(14:37)右手奥の方に「JR日光駅」。古風で趣のある駅舎。東武日光駅に比べると閑散としていますが・・・。
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東北本線などを建設した私鉄であった日本鉄道が、その支線の終着駅として1890年(明治23年)8月1日に開設した。当時から日光東照宮や中禅寺湖など景観の美しい日光は日本有数の観光地で、皇族や外国人観光客なども多く訪れる駅であった。
1906年(明治39年)11月1日に日本鉄道が国有化されて国有鉄道の駅となり、1909年(明治42年)10月12日に線路名称が制定されて日光駅の所属する路線は日光線と名付けられた。初代の駅は質素な平屋建てだったが、1912年(大正元年)8月25日に、現在の2代目駅舎が落成した。ネオ・ルネサンス様式のハーフティンバー様式木造洋風建築2階建てで、鉄道院技手の明石虎雄が設計した。
1929年(昭和4年)には東武鉄道が東武日光駅まで開通して国鉄と東武の競争が始まった。1959年(昭和34年)9月22日には日光線の電化が完成し、デラックスな157系を使用した準急「日光」の運転を開始して東武鉄道に対抗したが、運賃・所要時間ともに東武鉄道の方が勝り、1982年(昭和57年)に上野から直通する列車が全廃となり、当駅に速達列車の発着は無くなった。
2006年(平成18年)からJR東日本は東武鉄道と直通しての特急列車の日光乗り入れを再開し、以後は東武日光駅にJRからの直通特急列車も発着している状況にある。シーズン時に運転されるJR線首都圏各方面からの臨時特急列車も現在は全て栗橋駅から東武日光線に乗り入れた上で東武日光駅発着となっており、当駅に発着する定期列車は宇都宮駅との間を走る短距離普通列車のみであるが、秋などの修学旅行シーズンに運転される東京都・神奈川県・埼玉県などからの修学旅行列車は当駅に発着しており、現在当駅に発着する数少ない中距離運用列車となっている。
(以上、「Wikipedia」参照)


(13:35)木立の中にうち捨てられた廃屋と車。



「日光杉並木街道の物語(野口地区)」。
・・・この杉を植栽した松平正綱は17歳で徳川家康に仕え、後に幕府の経理を預かる勘定奉行になり、家康没後は、度々日光を訪れ、将軍の社参や祭典、または東照宮の警護や修理にも活躍し寛永2年(1625)多年の幕府に対する功労が認められ、2万2千石の大名に任ぜられました。
徳川家康を崇敬した松平正綱が日光東照宮の参道である街道に杉を植えたのは、東照宮をはじめとする聖地日光への道の景観を整えるとともに、雨風や日照等の自然環境から旅人を保護するために行ったものと言われております。・・・
集落を抜けると、国道に合流します。ここからはしばらく車の行き来の激しい車道脇の側溝の上を進みます。

左側にはJR日光線の線路。

その先の左手には「常夜燈」や「弘法の霊水(表示)」がありますが、道路を渡るのは危険なので、遠目に望むだけ。


(13:51)杉並木の中で一番大きな杉の木「並木太郎」。

並木の中で一番大きな杉であり、周囲5.35㍍樹高58㍍・・・その姿の美しく端正なことより並木太郎と呼ぶにふさわしい名木である。


(14:05)左手はJR線のガード。

その上の方には「日光道(高速)」。

(14:12)しばらく行くと、「明治天皇七里小御休所」跡。




その先、しばらく進み、「宝殿」交差点で右奥の道を進みます。
(14:28)左手に広くて静かな旧道・杉並木があります。久々の土の道。


(14:31)その道もすぐ終わり、JR線のガードのところで国道に合流、ガードをくぐってから右手の小道を進むと、杉並木の旧道。


路傍には石碑が並んでいます。


振り返って望む。
「国道119号線」に合流すると、いよいよ最後の「日光杉並木街道」。


「特別史跡 特別天然記念物 日光杉並木街道」
(14:37)右手奥の方に「JR日光駅」。古風で趣のある駅舎。東武日光駅に比べると閑散としていますが・・・。


東北本線などを建設した私鉄であった日本鉄道が、その支線の終着駅として1890年(明治23年)8月1日に開設した。当時から日光東照宮や中禅寺湖など景観の美しい日光は日本有数の観光地で、皇族や外国人観光客なども多く訪れる駅であった。
1906年(明治39年)11月1日に日本鉄道が国有化されて国有鉄道の駅となり、1909年(明治42年)10月12日に線路名称が制定されて日光駅の所属する路線は日光線と名付けられた。初代の駅は質素な平屋建てだったが、1912年(大正元年)8月25日に、現在の2代目駅舎が落成した。ネオ・ルネサンス様式のハーフティンバー様式木造洋風建築2階建てで、鉄道院技手の明石虎雄が設計した。
1929年(昭和4年)には東武鉄道が東武日光駅まで開通して国鉄と東武の競争が始まった。1959年(昭和34年)9月22日には日光線の電化が完成し、デラックスな157系を使用した準急「日光」の運転を開始して東武鉄道に対抗したが、運賃・所要時間ともに東武鉄道の方が勝り、1982年(昭和57年)に上野から直通する列車が全廃となり、当駅に速達列車の発着は無くなった。
2006年(平成18年)からJR東日本は東武鉄道と直通しての特急列車の日光乗り入れを再開し、以後は東武日光駅にJRからの直通特急列車も発着している状況にある。シーズン時に運転されるJR線首都圏各方面からの臨時特急列車も現在は全て栗橋駅から東武日光線に乗り入れた上で東武日光駅発着となっており、当駅に発着する定期列車は宇都宮駅との間を走る短距離普通列車のみであるが、秋などの修学旅行シーズンに運転される東京都・神奈川県・埼玉県などからの修学旅行列車は当駅に発着しており、現在当駅に発着する数少ない中距離運用列車となっている。
(以上、「Wikipedia」参照)