楽しいときほど、
その楽しさを無理やり奪われた人たちのことを条件反射みたいに
ふっと思う人間に僕はなりたいし、
そういうのが普通にできるようになったら
絶対に間違わない世の中ができると思う。 ――――― 井上ひさし
昭和20年師走。東京・巣鴨プリズンに「自分はA級戦犯だ」と拘留を求める初老の男がいた。
長谷川清。元台湾総督にして海軍大将、天皇の密使という経歴を持つ男。
応対したのは針生武夫。元陸軍中佐にして、堪能な英語力と戦前の経歴を買われて今やGHQで働いている男。長谷川の願いを退け、追い返そうとする。
二人は7ヶ月前、終戦直前の広島でともに過ごした特別な三日間を思い返すのだった。
その年の5月の広島。
紙屋町さくらホテルでは明後日に迫った特別公演のため、移動演劇隊「さくら隊」の二人の俳優、「新劇の団十郎」こと丸山定夫と宝塚少女歌劇団出身のスター園井恵子が、にわか仕立ての隊員を相手に必死の特訓の真っ最中。
この時代、演劇...とくに「新劇」は表現の自由を決定的に奪われていた。慰問のための集団「移動演劇隊」が国策として組織され、これが丸山らにとって芝居をする唯一の道だった。
「さくら隊」では、アメリカ生まれの日系二世で敵性外国人として監視を受けるホテルの女主人・淳子と、その従妹で共同経営者の正子が一員になったばかり。そこに宿泊客の言語学者・大島、淳子を監視する特高刑事の戸倉、劇団員に応募してきた玲子も加わっている。さらには富山の薬売りに扮して宿を訪れた天皇の密使・長谷川と、そのあとを追うように現れた林と名乗る傷痍軍人(実は針生)も、丸山らにあれこれと理由をつけられ、一緒に芝居をすることになる。
台本は『無法松の一生』。
それぞれの思惑が交錯する中、寄せ集め一座の稽古は抱腹絶倒の笑いを巻き起こしながら進んでゆく――。
(「こまつ座」公式HPより)
演劇? ふ~ん、あなたには「お芝居」っていう言い方の方がいいのか。
何? 井上ひさしのお芝居? 今まで観たことがないけど。
だいたい演劇、失礼、お芝居自体、ほら、去年の12月に歌舞伎を見に行ったのだって、久々だったし。
チケット取ってくれるの? 新宿のサザンシアターでやるのか、ま、家から近いしね。
では、いいわよ。夕方までなら何とか時間が取れるから。ただし、夕方までよ。
どうも。少しやつれたように見えない? もう、忙しくて、忙しくて。そうでもないって、アリガト。
今日だって何とか出てきた。約束しちゃったしね。孫が熱出したらしくて、自宅待機なのよ、本当は。
新宿駅もずいぶん変わったわね。大きなバスターミナルが出来たんで、私でも迷ったわよ。
アリガト。ここは初めて入ったわ。
けっこうお客さんが一杯ね。昼間だから私たちみたいな年齢層かなあ。
座席が窮屈なのが気になるけど。へえ、「紀伊國屋ホール」の方に比べればましなんだ。
1時に開演して3時間以上かかるんでしょ、あなた、睡眠学習しないでよ、いびきなんか許されないからね。
最近は、笑っても悲しくても涙が出てきちゃうのよね。年なのかしらね、なんてたって今月の末には古稀だから。
ま、お祝いはいらないわよ、もう物にはちっともこだわっていないし、・・・。
さあ、始まるわよ。
久々の芝居見物。それも井上ひさし。来月は日比谷の「シアタークリエ」で「頭痛肩こり樋口一葉」をやるらしいんで、ホントはそっちが面白くていいんだが、前にも一度観たし、この芝居はまだ観たことがないので、これにした。
広島に落とされた原爆によって亡くなった移動演劇「桜隊」の丸山定夫、園井恵子のお話。他の登場人物も立場は違っていても、それぞれが個としての生命を輝かせている。が、中でも「長谷川」という存在が一番気になる人物だった。「頭痛肩こり・・・」の花蛍もそうだが、井上さんらしいひねりが存分に感じられた。
「築地小劇場」発足当時の演技、スタニ何とかいう(もう忘れた)システムだったか、演技指導法など指導の初期のようす、宝塚の演技を茶化しつつも愛惜がこもる。
小山内薫とか山本、滝澤、東山、と新劇関係者(俳優)の名がどんどん出てきて懐かしいし、楽しい。俳優による「対話」によって劇を進めていく、という当時では斬新な演出法が、まさに「新劇」らしさ。この戯曲もそれによって進んで行く。
そして、言語学者の、否定語にはN音が用いられる、という説。Nを出すために人は口の中と外を一瞬断ち切ってしまう、自分の内側と外とのつながりを絶つことで否定と拒否を表す、・・・それにかかわっての特攻として死んだ教え子の最後の手帖に書かれた両親への痛切な思いとか、エピソードがふんだんに盛り込まれている。
このお芝居、「父と暮らせば」と並ぶ「広島」編。
昭和20年5月17日。それから3か月足らず後の8月6日。原爆投下。それによって瞬時に生を(未来を)奪われた新劇人・丸山定夫をはじめとした無名の多くの人びと。その後の長崎、そして「国体護持」のためのみに戦争終結を遅らせた戦争指導者への怒り、悔恨の長谷川・・・。
舞台は、何とか公演を終えた、17日夜の激しい雷鳴に続く、とてつもない衝撃音(これはもちろん原爆投下を暗示したものだが)の中で終わると、舞台は、薄明に包まれる。
エピローグ1 昭和20年12月、巣鴨拘置所。針生と長谷川との対話。
・・・
長谷川 私は名代ですよ。
針 生 ……名代?
どこからか、風に流されでもしたように、千切れ千切れに、『すみれの花咲く頃』のヴァース(序奏)が聞こえて来、奥の闇の中に、紙屋町さくらホテルの全景がにじむように浮き上がり、舞台前面に近づいてくる。
長谷川 わたしは、……わたし自身も含めた、戦争の指導者たちの決断力のなさによって生を断ち切られたひとたちの、名代に選ばれたような気がします。このごろは余計、そう思えてしかたがない。……(右手の指を、親指から一本一本、左手で包み込むように握っていきながら)これは丸山定夫さん、園井恵子さん、戸倉刑事、大島輝彦先生、神宮淳子さん、(左手の親指に移る)熊田正子さん、浦沢玲子さん……そして、この体全体が、指導者たちの決断力のなさによって生を絶たれたすべての日本人……。そんな気がしてしかたがない。
・・・
長谷川は広島から去り、見送る人たちは、そのまま、広島で8月6日を迎える。
幽冥の世界。死者たちの歌声と笑顔が最後を飾る。
印象の深い芝居。新国立劇場のこけら落としの作品と聞いて、今のアベ政権の下ではこうした井上作品は採用されなかったのではないか、と思ったりして、・・・。そう思うと、台詞の1つ1つに今の状況を鋭く突く井上さんの先見の明、先進性を強く感じた。
わたしたちの今度の仕事が、国民をパトロンとするこの国初めての新劇常設劇場の階上にふさわしいものかどうか、それはパトロンの皆様がお決めになることですが、とにかくわたしたちの仕事が、この劇場の未来を邪魔することのないようにと、今はただそのことだけを祈っております。―『紙屋町さくらホテル』プログラム原稿より―(『初日への手紙Ⅱ』井上ひさし P196)
よかったわ。笑いあり、涙ありですばらしかった! 感動したわ。誘ってくれてアリガト。3時間、少しも飽きさせないですもの。
♪ すみれの花咲く頃 はじめて君を知りぬ 君を想い日ごと夜ごと 悩みしあの日の頃・・・、か。
園井恵子さんも、やっぱり宝塚を忘れられないのよね。
さてこれからどうする?
でも、なんて今日は涼しいのかしらね。暦の上では「大暑」なのにね。
大阪は暑いんだそうよ、東京だけみたいね、こんなお天気なのわ。
ちょっとお茶していきましょう、時間もないしね。
今度逢うときはゆっくりとね、いつかわからないけれど。
暑い夏をお達者でお過ごしになられるのをお祈りしますわ。ではまた。アリガト。
その楽しさを無理やり奪われた人たちのことを条件反射みたいに
ふっと思う人間に僕はなりたいし、
そういうのが普通にできるようになったら
絶対に間違わない世の中ができると思う。 ――――― 井上ひさし
昭和20年師走。東京・巣鴨プリズンに「自分はA級戦犯だ」と拘留を求める初老の男がいた。
長谷川清。元台湾総督にして海軍大将、天皇の密使という経歴を持つ男。
応対したのは針生武夫。元陸軍中佐にして、堪能な英語力と戦前の経歴を買われて今やGHQで働いている男。長谷川の願いを退け、追い返そうとする。
二人は7ヶ月前、終戦直前の広島でともに過ごした特別な三日間を思い返すのだった。
その年の5月の広島。
紙屋町さくらホテルでは明後日に迫った特別公演のため、移動演劇隊「さくら隊」の二人の俳優、「新劇の団十郎」こと丸山定夫と宝塚少女歌劇団出身のスター園井恵子が、にわか仕立ての隊員を相手に必死の特訓の真っ最中。
この時代、演劇...とくに「新劇」は表現の自由を決定的に奪われていた。慰問のための集団「移動演劇隊」が国策として組織され、これが丸山らにとって芝居をする唯一の道だった。
「さくら隊」では、アメリカ生まれの日系二世で敵性外国人として監視を受けるホテルの女主人・淳子と、その従妹で共同経営者の正子が一員になったばかり。そこに宿泊客の言語学者・大島、淳子を監視する特高刑事の戸倉、劇団員に応募してきた玲子も加わっている。さらには富山の薬売りに扮して宿を訪れた天皇の密使・長谷川と、そのあとを追うように現れた林と名乗る傷痍軍人(実は針生)も、丸山らにあれこれと理由をつけられ、一緒に芝居をすることになる。
台本は『無法松の一生』。
それぞれの思惑が交錯する中、寄せ集め一座の稽古は抱腹絶倒の笑いを巻き起こしながら進んでゆく――。
(「こまつ座」公式HPより)
演劇? ふ~ん、あなたには「お芝居」っていう言い方の方がいいのか。
何? 井上ひさしのお芝居? 今まで観たことがないけど。
だいたい演劇、失礼、お芝居自体、ほら、去年の12月に歌舞伎を見に行ったのだって、久々だったし。
チケット取ってくれるの? 新宿のサザンシアターでやるのか、ま、家から近いしね。
では、いいわよ。夕方までなら何とか時間が取れるから。ただし、夕方までよ。
どうも。少しやつれたように見えない? もう、忙しくて、忙しくて。そうでもないって、アリガト。
今日だって何とか出てきた。約束しちゃったしね。孫が熱出したらしくて、自宅待機なのよ、本当は。
新宿駅もずいぶん変わったわね。大きなバスターミナルが出来たんで、私でも迷ったわよ。
アリガト。ここは初めて入ったわ。
けっこうお客さんが一杯ね。昼間だから私たちみたいな年齢層かなあ。
座席が窮屈なのが気になるけど。へえ、「紀伊國屋ホール」の方に比べればましなんだ。
1時に開演して3時間以上かかるんでしょ、あなた、睡眠学習しないでよ、いびきなんか許されないからね。
最近は、笑っても悲しくても涙が出てきちゃうのよね。年なのかしらね、なんてたって今月の末には古稀だから。
ま、お祝いはいらないわよ、もう物にはちっともこだわっていないし、・・・。
さあ、始まるわよ。
久々の芝居見物。それも井上ひさし。来月は日比谷の「シアタークリエ」で「頭痛肩こり樋口一葉」をやるらしいんで、ホントはそっちが面白くていいんだが、前にも一度観たし、この芝居はまだ観たことがないので、これにした。
広島に落とされた原爆によって亡くなった移動演劇「桜隊」の丸山定夫、園井恵子のお話。他の登場人物も立場は違っていても、それぞれが個としての生命を輝かせている。が、中でも「長谷川」という存在が一番気になる人物だった。「頭痛肩こり・・・」の花蛍もそうだが、井上さんらしいひねりが存分に感じられた。
「築地小劇場」発足当時の演技、スタニ何とかいう(もう忘れた)システムだったか、演技指導法など指導の初期のようす、宝塚の演技を茶化しつつも愛惜がこもる。
小山内薫とか山本、滝澤、東山、と新劇関係者(俳優)の名がどんどん出てきて懐かしいし、楽しい。俳優による「対話」によって劇を進めていく、という当時では斬新な演出法が、まさに「新劇」らしさ。この戯曲もそれによって進んで行く。
そして、言語学者の、否定語にはN音が用いられる、という説。Nを出すために人は口の中と外を一瞬断ち切ってしまう、自分の内側と外とのつながりを絶つことで否定と拒否を表す、・・・それにかかわっての特攻として死んだ教え子の最後の手帖に書かれた両親への痛切な思いとか、エピソードがふんだんに盛り込まれている。
このお芝居、「父と暮らせば」と並ぶ「広島」編。
昭和20年5月17日。それから3か月足らず後の8月6日。原爆投下。それによって瞬時に生を(未来を)奪われた新劇人・丸山定夫をはじめとした無名の多くの人びと。その後の長崎、そして「国体護持」のためのみに戦争終結を遅らせた戦争指導者への怒り、悔恨の長谷川・・・。
舞台は、何とか公演を終えた、17日夜の激しい雷鳴に続く、とてつもない衝撃音(これはもちろん原爆投下を暗示したものだが)の中で終わると、舞台は、薄明に包まれる。
エピローグ1 昭和20年12月、巣鴨拘置所。針生と長谷川との対話。
・・・
長谷川 私は名代ですよ。
針 生 ……名代?
どこからか、風に流されでもしたように、千切れ千切れに、『すみれの花咲く頃』のヴァース(序奏)が聞こえて来、奥の闇の中に、紙屋町さくらホテルの全景がにじむように浮き上がり、舞台前面に近づいてくる。
長谷川 わたしは、……わたし自身も含めた、戦争の指導者たちの決断力のなさによって生を断ち切られたひとたちの、名代に選ばれたような気がします。このごろは余計、そう思えてしかたがない。……(右手の指を、親指から一本一本、左手で包み込むように握っていきながら)これは丸山定夫さん、園井恵子さん、戸倉刑事、大島輝彦先生、神宮淳子さん、(左手の親指に移る)熊田正子さん、浦沢玲子さん……そして、この体全体が、指導者たちの決断力のなさによって生を絶たれたすべての日本人……。そんな気がしてしかたがない。
・・・
長谷川は広島から去り、見送る人たちは、そのまま、広島で8月6日を迎える。
幽冥の世界。死者たちの歌声と笑顔が最後を飾る。
印象の深い芝居。新国立劇場のこけら落としの作品と聞いて、今のアベ政権の下ではこうした井上作品は採用されなかったのではないか、と思ったりして、・・・。そう思うと、台詞の1つ1つに今の状況を鋭く突く井上さんの先見の明、先進性を強く感じた。
わたしたちの今度の仕事が、国民をパトロンとするこの国初めての新劇常設劇場の階上にふさわしいものかどうか、それはパトロンの皆様がお決めになることですが、とにかくわたしたちの仕事が、この劇場の未来を邪魔することのないようにと、今はただそのことだけを祈っております。―『紙屋町さくらホテル』プログラム原稿より―(『初日への手紙Ⅱ』井上ひさし P196)
よかったわ。笑いあり、涙ありですばらしかった! 感動したわ。誘ってくれてアリガト。3時間、少しも飽きさせないですもの。
♪ すみれの花咲く頃 はじめて君を知りぬ 君を想い日ごと夜ごと 悩みしあの日の頃・・・、か。
園井恵子さんも、やっぱり宝塚を忘れられないのよね。
さてこれからどうする?
でも、なんて今日は涼しいのかしらね。暦の上では「大暑」なのにね。
大阪は暑いんだそうよ、東京だけみたいね、こんなお天気なのわ。
ちょっとお茶していきましょう、時間もないしね。
今度逢うときはゆっくりとね、いつかわからないけれど。
暑い夏をお達者でお過ごしになられるのをお祈りしますわ。ではまた。アリガト。