(12:55)公園の中に「朝鮮通信使今市客館跡」があります。



朝鮮通信使今市客館跡
江戸時代に徳川幕府の要請により、朝鮮国王が、信(よしみ)を通わす善隣友好の朝鮮通信使を12回派遣しました。その内、日光には初期の頃に三度訪れております。第一回目は東照宮が現在の社殿に造り替えられた寛永13年(1636)、第二回目は・同20年(1643)、第三回目は明暦元年(1655)
通信使は、東照宮・大猷院でに国王からの進物を贈り、公式行事を行いました。
この三回とも将軍社参並の扱いをうけ、盛大な行列立てとして日光に参詣しており、幕府は通信使のためだけに、此の所に一万金両を掛け、豪華な客館を新築しもてなしました。
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この碑は、江戸幕府に最初の朝鮮通信使が来日して400年になるのを記念し、歴史的経緯を永く後世に伝え日韓両国民の更なる相互理解と友情を深めるため、2007年(平成19年)に杉並木公園内の朝鮮通信使今市客館跡に建てられたものです。 碑文の左には同じ内容がハングルで刻まれています。

その隣には二重連の水車。

道の脇には勢いよく流れ落ちる水流。

杉木立の中を上っていきます。





(13:09)しばらく進んだ右手奥には茅葺き屋根の建物と手打ち蕎麦「報徳庵」、ここも藁葺き屋根のおうち。落ち着いたお店で、車で次々とお客さんが見えています。ここで食事にすればよかった!

その駐車場にあった案内図。


報徳庵を過ぎると杉並木が途切れ、おうちが数軒並ぶ石畳道になります。

再び杉並木に入ります。

7本の杉の根幹が一株となった珍しい大木でしたが、すべて倒木や枯死し、伐り倒されました。
杉並木道沿いの苔むした小さな流れ。

日光彫の工房。


ちょっとした家並みを過ぎると、杉並木。



(13:23)戊辰戦争の時の砲弾跡のある杉の木。




附近は明治戊辰の役に官軍が日光に拠る幕府軍を攻撃した際、前哨戦を行った所である。この杉の幹の凹んでいるところは砲弾が当たって破裂したあとである。