7月21日(火)の続き。ちょっと日にちが経ちましたが、井田川駅から亀山宿までの記録です。この日も暑くてけっこう大変でした。これで、「桑名」宿から「亀山」宿までつながったことになります。
桑名(42)―四日市(43)―石薬師(44)―庄野(45)―亀山(46)と東海道五十三次の46番目までクリアしたことになります。
注:21日の実際の経路は、亀山駅から井田川駅まででしたが、京に向かう旅なので構成し直してあります。所要時間は、約1時間40分です(ほとんど高低差のない道のりですのでどちらからでも同じくらい)。


しばらく線路沿いの道を進み、「国道1号線」を越えます。

歩道橋を下りた付近にある標識。

次に「国道1号線」に会うのは、「関」宿の手前になります。
渡り終えたら、左に折れます。


右手にあるのが「谷口法悦供養塔」。

谷口法悦供養塔
この供養塔は、東海道の川合と和田の境にあり、昔から「川合のやけ地蔵さん」「法界塔さん」と呼ばれている。
総高2.59メートルで、塔身の正面に「南無妙法蓮華経」、右側に「後百歳中廣宣流布」、左側に「天長地久国土安穏」、背面に「施主谷口法悦」と刻まれている。
造立者の谷口法悦(生年不詳)は京の日蓮宗の篤信者で、17世紀末頃、一族と共に各地の寺院、街道筋や追分などに題目塔と呼ばれるこれらの塔を造立したことがわかっている。
平成16年9月建之 亀山市教育委員会
まもなく左手には、和田の道標。


和田道標
元禄3年(1690)、東海道から神戸・白子・若松(鈴鹿市)方面への分岐に建てられた道標である。正面に「従是神戸 白子 若松道」左側面に「元禄三庚午年正月吉辰 施主渡会益保」と刻まれている。
東海道分間延絵図(文化年間・19世紀初頭)には「脇道神戸城下町江二里半、白子町江三里、若松邑江三里三十四町」とあり、亀山城下より亀山藩領若松港へいたる重要な分岐点であった。
県内東海道の在銘道標の中で最も古いものである。
平成21年3月 亀山市教育委員会

すぐ左は「国道1号線」。



足元にも街道脇にも「東海道」の目印。


「和田」付近の家並み。
「公民館」前の解説板。

広重の絵が掲示され、「この絵は歌川広重の描いた東海道亀山の1つでこの場面は和田の坂道を描いたものといわれています。ここより西へ300mです。」との解説文。
「和田町」集落の形成は弥生時代に遡るほど、古い歴史のある町のようです。

上の解説文にもあるように、ここまで桑名宿からほぼ南(南西)に進んできた東海道がこの辺りからしばらくは西へ向かうようになります。その後、関宿からは鈴鹿峠越えのため北へ向かうことに。

拡幅された道路をしばらく行くと右手に「和田一里塚」跡。


和田一里塚跡
野村一里塚とともに亀山市内に所在する旧東海道の一里塚で、慶長9年(1604)幕府の命により亀山城主であった関一政が築造した。
かってはエノキが植えられており、昭和59年の道路拡幅までは塚の一部が遺されていた。現在の塚は、塚跡地の東側に近接する場所に消滅した和田一里塚を偲んで模式復元したものである。
平成13年10月 亀山市教育委員会


広場になっている。 解説案内図「亀山宿・江戸の道(旧東海道)」。