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Channel: おやじのつぶやき
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「抑止力」「抑止力」と言葉をもてあそび、せせら笑うアベ自公政権。

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 米軍と一体化した、むしろ肩代わりすら当然とする「安保法制」法案。中国、北朝鮮の脅威をその根拠として、万一の場合にはアメリカ、オーストラリア、イギリスと共に軍事的行動に出ることの法制化。
 しかし、アベ達が具体的に挙げていた、イランによるホルムズ海峡の機雷封鎖云々も現実的ではなくなって、今度は南シナ海を挙げてくる。日本人を輸送する米艦が攻撃されたら云々も今や言い出さない。

そして、つまならいたとえ。

 「お前を殴るぞと脅かしている相手が隣にいる自分の友人を殴りかかってきたら、友人に加勢して相手を撃退する。」

 →そんな兆候があったら、先制的に相手を殴る行動を一緒に行う。むしろ友人の代わりにやっつける。

 「隣家が火事になったら、一緒に火事を消す。」

 →火事の原因となった放火犯を一緒に捕らえに行く。むしろ放火しそうな行動を起こすことをキャッチしたら、放火される前に積極的に相手をたたく。いな、友人に代わってやっつける。

→が「集団的自衛権」の実体的な行使になるわけ。でも、けっして言わない。「 」は、言葉遊びに過ぎないことは承知の上で。

 「友人(隣家)は、自分(我が家)に被害が及ばないよう、わざわざ体張ってがんばっているんだから」とも言う。でも、友人はそれほど体をはることはしない? 結局、「個別自衛権」の行使となり、自衛隊の出動となる。どちらにしても、自衛隊の海外派兵に結びつく。
 アベ達は、「自分や友人によけいなちょっかいをだしてきたら、このように戦うぞ」。これが戦争の抑止力になるのだという。しかし、これが本当の「抑止力」たりうるのか?
 アベにとっての究極の抑止力は「核兵器保有」。そう公言できないから次善の策として、「日米軍事同盟」強化と称し、「ガイドライン」など国会をないがしろにしてどんどん進めている(アメリカのいいなりに)。また、「安保法制」を先取りした合同軍事作戦行動訓練を展開している(沖縄のヘリ事故でその一端が暴露される)。
 さらに、何としても自前の国軍を持つことが究極の選択。それが憲法改正(悪)。これをめざして「譲るべきところは、(やむをえず)譲る。そうすれば支持率は回復する」、その典型が「総理談話」。
 そこへの「一里塚」(それどころか、何本もの法律を十把一絡げで提案するのだから、一里毎ではない、「一里塚」がまとめて築かれるようなもの。)が、今回の「安保法制」。もちろん「(憲法9条を廃棄しての)戦争の道への一里塚」。
 のんきに東海道・京都までの「一里塚」をたどるようなものとは訳が違う。

 『瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ』辺見庸(NHK出版新書)。

 2011年(平成23年)3月11日。突如襲った「東日本大震災」。それによって、故郷石巻が壊滅的に破壊され、土地も人も生活も文化も伝統も、一切合切、一瞬のうちに失われた(失わさせられた)という痛切な体験の上に(それもその場ではなく、映像や風聞や友人・知人の切々たる言葉によって知らされたものであった)筆者の痛恨の思いを書き綴った書。
 「2011年4月24日に放送されたNHK『こころの時代 瓦礫の中から言葉をー辺見庸』で話したのをきっかけに全面的に書き下ろした、わたしなりの3.11論である。」(あとがき)翌年の1月に初版が出された。
 文章と写真と自らの詩による構成。そこには、郷里・石巻にとどまらず、その後明らかになった「福島第一原発」メルトダウンという衝撃を語る。「安全」、「神話」、「平和」・・・、言葉はいかに人間をだましてきたか。言語表現を生業とする筆者の自らを鞭打ち、自己批判し、それでもなお言語によって、人間の、社会の回復(これすらもまやかしの言葉だが)を思うしかない人間の業。
 とりわけ自らの命をずたすたにされ死んでいった多くの死者に(文字通り手も足も頭もバラバラにされて)、はたして語りかける言葉があるのだろうか。自問自答の末、振り絞っての言葉が真に迫る。辺見庸さんは、読者に何を語りかけているのだろうか?
 一人ひとりにとっての「東日本大震災」「福島第一原発」が問われている。

 「・・・すべてを震災ビジネスが吸収しつつあります。言葉はいま、言葉としてたちあがってはいません。言葉はいま、言葉として人の胸の奥底にとどいていません。言葉はいま、自動的記号として絶えずそらぞらしく発声され、人を抑圧しているようです。」(P182)

 戦後70年、アベの語る、戦争犠牲者への哀悼の言葉の止めどない軽さよ。我が身自らも自省しつつ。 

 「・・・われわれはほんとうのところは、言葉に真に切実な関心をもっていないのではないでしょうか。それは、かつて石原吉郎が指摘したように、人間そのものへの関心の薄らぎを示すものかもしれません。」(P160) 

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