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Channel: おやじのつぶやき
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米原湊。米原宿。北陸道・中山道分岐道標。・・・(旧東海道番外編。北国街道。その1。)

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 4月26日(日)。お祝いがあって、米原・長浜まで出かけました。その前後、時間があったので、午前は、「米原宿」、会合が終わった後は「長浜宿」を散策しました。

 米原は滋賀県の東部、旧北国街道の米原宿を中心としたまち。近畿・東海・北陸の結節点であり、古来から交通の要衝として栄えてきました。
 ちなみに「米原」は元々「まいはら」と読む地名でしたが、駅名が「まいばら」と名付けられたことから徐々に「まいばら」という読み方の方が主流になっていき、2005年に伊吹町・山東町と合併して出来た「米原市」は「まいばらし」が正式な読み方となりました。

 駅前広場にあるモニュメント。

    

米原湊跡

 米原湊は、ここ米原駅付近にありました。
 慶長8年(1603)、北村源十郎が琵琶湖と入江内湖を結び、開削して湊を開きました。美濃方面の物資や人を大津湊へ運ぶ中継、また京、大坂と北陸を結ぶ湖上交通の中継の湊で、宿場としても栄えました。 
 天保14年(1843)には丸子船30、押切早船7、艜(ひらた)船15と米原湊で開発された車早船(上の模型)があり、明治初めには蒸気船も運航していましたが、鉄道の開通によりその役目を終えました。

                          

 「JR米原駅」は、JRの駅でも特別な位置を占めているようです。JR東海に所属する東海道新幹線と、JR西日本およびJR東海に所属する東海道本線、JR西日本に所属する北陸本線、近江鉄道の本線が乗り入れていて、北陸本線と近江鉄道本線は当駅が起点となっています。滋賀県内で唯一の新幹線停車駅でもあります。

 東海道新幹線・東海道本線・北陸本線は、1987(昭和62)年3月まではすべて日本国有鉄道(国鉄)の路線でしたが、同年4月の国鉄分割民営化によってJR東海とJR西日本に分割されたとき、当駅がJR西日本とJR東海の境界駅となりました。
 東海道本線については、当駅より大垣・名古屋方面が「JR東海」、草津・京都方面が「JR西日本」の管轄となっています。駅自体もJR西日本とJR東海の共同使用駅であり、在来線構内はJR西日本、新幹線構内はJR東海の管轄となっています。
 「新幹線」の開通、開業などによって、米原駅構内・ようすも大きく変わり、操車場の縮小整理と基盤整備が進んで、旧来の東口駅舎は解体され、ホーム跡地は新しい駅前広場として整理されています。 
 2009(平成21)年に橋上化が完成、東西自由通路上に在来線(JR西日本)と新幹線(JR東海)の駅舎が並ぶ形となっています。(以上、「Wikipedia」参照)

 東口駅前広場が完成する以前は、古いままの雑然とした町並みで、小さな飲食店などがあったそうですが、今は、整然とした広場になっています(閑散とした?)。    

    
         「米原宿」入口にある案内板。現在残されているのは、ごく限られた地域のようです。

「国道8号線」の信号を渡ったところが旧米原宿。

 「国道8号線」は、京都から新潟までの国道で、かつての「北国街道(北陸道)」を継承する幹線道路。

 古い町並みや伝統が残っている。「子供歌舞伎」。

 「国道8号線」を右へ入った道筋が旧米原宿。
                                    宿内をほぼ南から北に向かって歩きます。

    
                                    素敵な色の格子のあるおうち。

 昼前ののどかな町並み。
                          日曜のせいか、人通りもほとんどない。

    
 古いおうちは漆喰がはげかかっている。それでもまだまだ現役。

このあたりが中心地だったようだ。

 宿内のところどころに「祠」がある。

宿場特有の間口が狭く奥行きが長い敷地。新築の家もありますが、けっこう空き地や駐車スペースが目立ちました。
                    

何軒か「旅館」の表示を掲げたおうちがあります。

 立派な木造家屋。

 その奥にはフジの花が満開。

 しばらく進むと、「中山道」と「北国街道」の分岐点。その石柱があります。

    

米原市指定文化財 北陸道中山道分岐点道標
  江戸時代後期 総高145.0㎝

 この道標は北陸道と中山道への連絡路の分岐点に建立された道標である。花崗岩製で、弘化3年(1846)に再建されたものであるが、江戸時代の交通史上貴重な道標である。四面のうち三面に次の銘文が刻まれている。
 〈東面〉弘化3年丙午再建之
 〈南面〉右中山道 はん八 さめかゐ 
 〈西面〉左北陸道 なかはま きのもと

 平成3年3月 米原市教育委員会
 
    

 そこから宿内を振り返る。

    
 角のおうち。                             「中山道」へは山道を上って行きます。

 突き当たりを右折して切通しを進むと、「番場の忠太郎」でおなじみの「番場宿」(中山道の宿場)に出ます。(「番場」は上の道標で記された「はん八」のこと。) 

「北陸道(北国街道)」。

 そのまま下って行くと、「国道8号線」と合流します。

    

 滋賀県選択無形民俗文化財 米原曳山祭 旭山

 米原の曳山は三基(旭山、寿山、松翁山)があり、シャギリの音を響かせた曳山巡行と浄瑠璃と三味線に合わせて演じる子ども歌舞伎が見ものです。
 曳山まつりは風流な飾りをほどこした山車を曳いて祭に供奉するもので、室町時代後期から各地で取り入れられるようになりました。滋賀県下には10の代表的な曳山まつりがあり、ここ湯谷(ゆたに)神社に奉納される祭礼もその一つです。 一番の見どころは、曳山において競演される子ども歌舞伎です。豪華絢爛ななかにほほえましさが混じり、見物客をひきつけます。

 (「米原観光協会」HPより)
                           

 目にしたのは、曳山三基のうちの一つ「旭山」を納めてある大きな蔵でした。

    
                          「北陸道」沿いの建物。落ち着いたたたずまい。

かつての「米原湊」への道か? 

現在のJR米原駅方向を望む。

 JR在来線のホームから望む「米原宿」。小高い山を背にした、静かな町並みでした。
                     

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