左手に大きな「二川宿本陣」。



史跡 二川宿本陣
本陣とは江戸時代、公家・大名・幕府役人などが旅の途中、宿泊休憩した施設です。宿場の中央に大きな間口を占め、門・玄関・上段の間を備えた堂々たる建物でした。
二川宿の本陣は、後藤五左衛門が中町の北側で勤めていましたが、再々の火災のため没落し、寛政5年(1793)以降は紅林権左衛門に本陣職を譲りました。しかし、文化3年(1806)12月の火災により紅林家も再起することができず、文化4年(1807)以後明治3年(1870)の本陣廃止まで馬場彦十郎が現在地において本陣を経営しました。
馬場家本陣は、文化年間の間取図によると間口17間半(約32㍍)、敷地面積は525坪(約1,733平方㍍)、建坪は181坪余(約598平方メートル)と宿内一の建物でした。
現在も享保年間の土蔵、宝暦3年(1753)建築の主屋、文化4年本陣開設時に建築の玄関棟・表門が残り近世交通史上貴重な文化財となっています。
豊橋市では、昭和60年本陣当主の馬場八平三氏より本陣敷地建物の寄附を受けたことを契機とし、本陣の保存と活用を図ることとし、昭和62年史跡に指定するとともに、翌昭和63年より三か年事業で、現存部分の改修及び明治以降取り壊されていた書院棟の復原工事を実施し、江戸時代の姿を再現しました。
平成3年 豊橋市教育委員会
なかなか豪壮な建物です。ちょうど五月人形展~端午の節句~を開催していました。明治から平成のさまざまな五月人形や兜飾り、金太郎や鯉のぼりなどが各部屋に所狭しと飾られ、展示されています。
建物の見学というより、あまりにも立派な展示に圧倒されてしまいます。

鯉のぼりの向こうに高札場が再現されています。



街道側の門をくぐった正面の雰囲気。

「本陣」に隣接する「旅籠屋 清明屋」。

「本陣」が大名の宿とすると、こちらは庶民の宿。

再び本陣に戻って見学。


一般のおうちから寄贈あるいは拝借したものでしょうか? これは飾るのも一苦労。我が家じゃ、自分たちの居場所がなくなってしまいます。片付けた後の仕舞い勝手も大変、などと余計な心配をしてしまいました。
部屋の多さ。


上段の間。



併設の資料館では企画展や常設展がありますが、今回は常設展のみ。視聴覚に訴えるなど資料も豊富で、見飽きない。しかし、帰りの電車時間の関係でさらっと。
どこのおうちも趣向を凝らして旅人の目を楽しませてくれます。



本陣のすぐ先が、少し「曲尺手」(鈎の手)になっていて、そこに「高札場跡」碑。




喫茶店。骨董品屋さん? 御菓子司「中原屋」の看板。



道が広くなるところで宿場は終わりに。


右側に格子の家がある交差点(「二川駅前)を左に入ると、JR「二川駅」。
