
「安藤広重:東海道五十三次 丸子宿 名物茶店」。
道なりに歩くと、まもなく「丁子屋」。ちょうど12時少し過ぎ。ちょうどいいタイミング。まだ混んでいない時分で、2階に上がって、広々とした座敷で「とろろ汁」を。室内は、鴨居には「広重の東海道五十三次」が掲げられています。
現在のようす。


その「とろろ汁」。麦飯にかけて食べますが、けっこう食が進みます。頼んだのは、一番素朴な定食「丸子」(税込み1440円)。「とろろ」と「ご飯」と「味噌汁」と「香の物」ですが、他にも一品料理として(注文しませんでしたが)「揚げとろ」「切りとろ」「酢とろ」「焼きとろ」など「とろろ」づくし。
さすが伝統のお店。地元静岡の契約農家からの自然薯、自家製の味噌などこだわりが随所に。お酒も飲もうと思いましたが、これからの峠越えを考えて、自重。ビール、地酒なども豊富なようです。
洗練されていない素朴な味わい、豊かさが、信条のような気がしました。受け継いできた「伝統」の味、ということでしょうか。
味噌汁に、たたみいわしがさりげなく入っていたのには、びっくり。おひつにほどよい量の麦飯。つい大盛りで二杯もよそってしまいました。
店内には、東海道にまつわる、けっこう興味深いものが展示されています。

一通り見て、外に出たら、たくさんの人がいました。タクシーで来るお客さんが多いのか、客待ちのタクシーもけっこう停まっていました。
由比の「くらさわや」さんの「桜えびのかき揚げ」定食といい、ご当地物・名物を食べられるのも、この旅のいいところです。けっこうなお値段ですが、堪能しました(店内の展示物を自由に見学出来たのを含めれば、相応かな)。
店の外にもいくつか記念碑や説明板があります。

けんくわ(けんか)する 夫婦ハ口をとがらして 鳶(とんび)とろろに すべりこそすれ

戦乱の世、源平の時代には数々の美しくも悲しい物語が、残されています。私達の郷土にも「千寿の前」の物語が伝えられています。
千寿は静岡市手越の長者の娘として生まれ、「白拍子」呼ばれる舞姫でした。
白拍子は麗しい美人が多かったようですが、中でも千寿は源頼朝が天下の美女、12人を集めた時、その第一に千寿をあげている程でした。(現在のミス日本ということでしょうか)
千寿と平重衡との恋物語は「平家物語」近くは山本富士子、松本幸四郎共演の歌舞伎にて広く知られたわけですが、悲嘆やるかたなき千寿は尼となり「熊野御前」を訪ねて遠江に移り、重衡の菩提を弔い磐田に住んだと伝えられています。(現在の磐田市白拍子集落)
千寿の墓石、風雨にさらされて幾百年、今この千寿の前にあやかり麗しき美女のさずからんと手向ける娘達の野花に、戦乱の世に咲ける悲恋がしのばれます。・・・
どういう内容の「悲恋」なのか、まったく説明がありません。山本富士子、松本幸四郎といってもピンとこないでしょうね。
書き手が「酒屋」だけに酔いしれている雰囲気が、とても面白い。
さて、おなかもいっぱいになって満足したところで、出発。目の前の橋を渡ると、「高札場」。丸子宿の京方見付にもなっています。レプリカですが、興味深いものです。

しばらく川沿いの道を進むと、国道1号線に合流します。

赤目ケ谷の交差点を左折し、国道の脇を進みます。この付近が日本橋から188㎞。

途中で、「丸子紅茶」という看板がありました。ここは日本の紅茶の発祥の地だそうです。この道も再び国道に合流します。


大きな「コンビニ」のところへ出ます。

その先にある歩道橋を渡って山側の道を進みます。

歩道橋の下には金ピカの仏像が。
車の行き来の激しい国道に沿ったり離れたりしながら、「宇津ノ谷峠・道の駅」に向かいます。この付近(あるいは通りの反対側?)に「宇津ノ谷一里塚」がある(あった)はずですが、まったく分かりませんでした。
歩道の路肩には「東海道ルネッサンス」。

ようやく「道の駅 宇津ノ谷峠(上り線)」に到着。


右に折れて進むと、宇津ノ谷の集落。

集落の入口にある大きな案内版。「出世街道」とあるのが、「旧東海道」。


これから、峠越えです。
ところで、広重には別に「隷書版」の「東海道五十三次」があって、そこでは「丸子宿」は、雪景色です。これもなかなか風情のある絵柄です。

(広重の浮世絵は、「Wikipedia」より)