1月7日(水)。 予報では快晴。前夜来の激しい雨も止んで、これはいいだろうと東京発、早朝の東海道線。沼津で浜松行きに乗り換えて、「新蒲原」まで。
ところが、乗っているときから雲行きが怪しい。晴れ間ものぞかず、海側には一面に厚い雲が垂れ込めている。小田原を過ぎて、熱海辺りでうっすらと薄日が差し始める。これなら丹那トンネルを越えれば晴れが期待できるか。しかし、状況は余り変わらず、そのまま「新蒲原」へ。ここまで来た以上、降りるしかない。まだホームも階段も濡れていて、雨の名残り。
階段を掃除していたおばさんに、「けっこう降ったようですね」「そうですね。でも、寒くないですね。」・・・。雨の降りそうな気配がないのは、幸い。
駅南口広場はまだ閑散として、北側に回るも、店はなし。先の方に見えた「コンビニ」を目指して歩き始める。時折、車が通る旧国道1号線を西へ。コンビニでおにぎりと飲み物を購入、いざ! 出発!

道沿いには格子戸の美しいおうち。

清水銀行の手前、右手に「鮮魚の秋田屋」。

「イルカスマシ」って書いてあるが、いったい何なんだろう。気になっていたので。ちょっと通りを渡ってお店へ。

店の中を覗くと、商品棚に1袋1000円で売っていた。
お店のおやじさんの話。
「イルカの背びれのことをここではスマシって言う」
「塩漬けにしてあって、少し柔らなものから固いものまであるよ。」
「イルカスマシは蒲原だけの食習慣で、蒲原の人は昔から食べていた。」
「昔はここの港でとれたやつをさばいていたが、今はとっていない。他水揚げしたものを回してもらっているんだ。」
「ほら、ふぐだって下関以外の漁港で水揚げされても下関に回すじゃないか、そうすれば、『下関名産のふぐ』となるとのと同じさ。」(さすが「下関のふぐ」と同じ扱い)
「蒲原には、昔からペンキ職人が多くて塗装屋だな、東京タワーなんかのてっぺんを塗ってるものも、ここの出だね。それから国鉄の鉄橋なんかも塗ったりしていた。そういう連中が東京なんかに仕事に出て、はやらせたでたんだな、このイルカスマシ。」(ペンキ職人の話は初めてだし、東京でそういう人たちがはやらせたなんて、初耳)
「桜エビなんかも、昔はとっていなかった。明治とか大正になってからだね。駿河湾はけっこう深いんだな、あれは深海の方にいるんじゃないか。だから、いるのはわかっていても、昔はとる技術がなかった。今は、海の上から灯りを照らしていっぺんにとっちゃう」
「けっこう観光客が来て、買ってくれて、それを宣伝してくれるんだ」。(こちらもブログに載せますから)
「通りすがりじゃ何だから、今度、車で来たときにでも寄っていきなよ。」・・・、

しばらく進むと、JR蒲原駅前。



美しく、年期の入った格子の家が通り沿いにいくつも。
正面奥に「東名高速」の橋脚。


東名高速の下をくぐって、旧東海道は、右に向かう旧国道1号線(県道396号線)と分かれてそのまま直進。

「由比」の町に入る。



・・・
由比の新町の一里塚は江戸から39番目で松が植えられていたが、寛文年間(1661~71)、山側の松が枯れたので、良用軒清心という僧がここに十王堂を建立し、延命寺境外堂とした。十王堂は明治の廃仏毀釈で廃寺となり、祀っていた閻魔像は延命寺本堂に移されている。
平成6年3月 由比町教育委員会

しばらく行くと、由比宿の東木戸。

由比宿東桝型跡
宿場の出入り口は桝型(かぎの手)に折れ曲がり、木戸が作られ、万一の攻撃を防ぐなどの治安維持とともに、宿の出入り口の道標にもなっていました。
ここを通り過ぎると町並みが始まり、本陣、脇本陣、問屋、旅籠、茶屋などが置かれていました。
由比宿も東西の出入り口は桝型に折れており、現在も面影が残されています。
清水区魅力づくり事業
