「愛宕坂」を下って行くと、JR東海道本線の踏切。ここは、すでに「JR東海」のエリア(御殿場線、「函南」駅~)。


東海道本線の踏切を渡るのは、「保土ケ谷宿」以来? (「戸塚宿」の大踏切には渡線橋が完成していた)

県道に合流してまっすぐ進む。坂道はもうなさそう。
「大場川」に架かる「新町橋」。

ここが「三島宿」の東の入口(東方見附跡)にあたるところ。
「箱根宿」までは東=江戸方見附、西=上方(京方)見附と称したが、ここからは「東」「西」と表示されるようだ。

東海道五十三次之内 三島 朝霧
朝霧にかすむ三島宿の様相を描いた作品で,気候や四季の移り変わりを意識して描いた広重の作品の中でもより具体的に見る者にそのことを感じさせる。三島宿は伊豆の国府,国分寺が置かれた地で,古くから三島神社の門前町として栄えていた。また下田街道との分岐点でもあった。本図はその三島神社の前を通過する早立ちをした旅人を前景としてはっきり描き,背後には霧にかすむ神社の鳥居や家並そして巡礼らしき旅人がシルエットのように浮かんでいる。こうした時間の経過と共に消え失せる霧,つかの間の自然現象を巧みに捉え,叙情的な画面を作る手法は「六十余州名所図会 大社 ほとほとの図」にも利用されている。
(「東海道五十三次~五葉が選ぶ広重の風景画 - 鹿児島県立図書館」HPより)

少しずつ賑やかな通りになり、夕暮れ時、車も人も多くなってくる時分。大通りを西に向かって進む。
古い商家「肥料問屋」。

「莨」。「たばこ」と読む。「タバコ(tabaco)」はもともとポルトガル語。それがこの漢字にあてはめられた、という。別の草の名前(道端によく見かける雑草のひとつ「チカラシバ」)を指してもいたらしい。
しかし、くさかんむりに「良」とは言い得て妙な漢字(感じ)。


暮れなずむ「三島大社」境内。
今回は、ここまで。三島駅に向かう。途中、清流「桜川」沿いに「水辺の文学碑」が設置されている。

井上 靖
三島町へ行くと
道の両側に店舗が立ちならび、
町の中央に映画の常設館があって、
その前には幟旗が何本かはためいていた。
私たち山村の少年たちは、
ひとかたまりになり、
身を擦り合わせるようにくっつき合って、
賑やかな通りを歩いた。
「少年」 (昭和二十九年 発表) より

太宰 治
町中を 水量たっぷりの澄んだ小川が
それこそ蜘蛛の巣のやうに
縦横無尽に残る隅なく駆けめぐり、
清冽の流れの底には
水藻が青々と生えて居て、
家々の庭先を流れ、縁の下をくぐり、
台所の岸をちゃぶちゃぶ洗ひ流れて、
三島の人は 台所に坐ったままで
清潔なお洗濯が出来るのでした。
「 老(アルト) ハイデルベルヒ 」(昭和15年発表) より
この水辺通りは、雰囲気のいい通り。富士山とその豊かな清流に恵まれた町並み。
次回は、三島宿から沼津宿へと歩を進めます。