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Channel: おやじのつぶやき
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鉄道大隊記念碑。千葉連隊区司令部跡。・・・。(千葉公園。その4。)

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 千葉公園を出て千葉都市モノレールに沿って北上します。この道がかつての線路跡。モノレール「千葉公園」駅の道路を渡って東側に行くと、そこにもいくつか「鉄道連隊」の痕跡が残されています。

「鉄道大隊記念碑」。1903(明治36)年建立。住宅地の一角、「椿森集会所」の隣の緑地にある。灌木や雑草に覆われたまま。表面の文字は判読できない。また、石碑の裏には、戦没者や北京郊外の鉄道路線図(北清事変ニ於ケル鐵道圖)などが刻まれているらしいが、未確認。

 記念碑のそばにある「鉄道隊駐屯の跡」という小さい石柱


また奥の方に置かれた祠は連隊の営庭の片隅にあったものである、という


 少し南に行ったところにある「椿森公園」には、「将校集会所」の築山がそのまま残っているとのことで、その小高い広場に行ってみたが、特に痕跡なし。説明板もなし。

 椿森公園のすぐ隣には、

関東財務局千葉財務事務所門柱。
 この事務所と隣のJT敷地が「千葉連隊区司令部」跡地。司令部は「千葉県下の徴兵、動員、召集、在郷軍人の指導等を行っていた」そうである。当時の門柱がそのまま使われているらしい。


 この周辺地域は、閑静で整然とした住宅地。


 この住宅の、あるおうちの表札に「川上操六」とあったのには、びっくり!。一瞬、見間違えたのかもしれませんが・・・。
 「川上操六」といえば、桂太郎、児玉源太郎とともに、「明治陸軍の三羽烏」とされ、「参謀本部」システムを作った軍人。司馬遼太郎の「坂の上の雲」にも登場する。写真を撮るのを怠ったのが、失敗!

意味なく広い十字路があった。

「千葉陸軍病院」跡。  陸軍の解体により厚生省所管となり、国立千葉病院として発足。現在、 独立行政法人国立病院機構千葉医療センター。

「椿森中」との境界線にあった「厚生省」と記され境界標。


 「千葉公園」付近。頭上にモノレールの橋脚がある道路から左に入った道がかつての鉄道線跡。


 ここから「競輪場」の脇を通って、現在の「千葉経済大学」「附属高校」までが路線跡。次回はこの探索。

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