「御蔵」。年貢米の蔵。高山の歴史資料館にもなっていて、展示品も数多くあります。
左側に見える建物。一番蔵から12番蔵まで(手前の空地に4つの蔵があった)、8つ残されています。
軒下。全国でも最古・最大級の米蔵、らしい。元禄8年(1695年)に高山城三之丸から移築されました。
雪深い土地柄故、軒の長さ・傾斜などに工夫あり。
鬼板。屋根の上部に取り付けたもの。
柿(こけら)葺き。
柿という漢字を書いて「こけら」といいます。板葺きの一種で、「こけら=薄い木片」を重ねて敷き詰めた屋根のこと。
この写真のように、小さな薄い板を上下左右に何枚も重ね合わせて屋根を葺くことにより、雨水の浸透を防ぎます。(修復用にでしょうか、この薄い板が土間のところにたくさん重ねて置いてありました。)歴史は古く、奈良時代から既に屋根材として用いられていたようです。
ちなみに劇場の初興行を「こけら落とし」といいますが、この「こけら」と柿葺きの「こけら」は同じ意味で木屑または木片を指し、新築や改装の工事の最後に、屋根などの「こけら」を払い落としたことから、完成後の初めての興行を「こけら落とし」と言うようになりました。
「杮(こけら)」という字は「柿(かき)」と同じに見えるが、「柿(かき)」は「木部五画(旁が「亠+巾」)」なのに対し、「杮(こけら)」は「木部四画(縦棒が繋がる)」。
しかし、両者は明確には区別されておらず、両方とも「柿(木部五画)」とするものや、両字は同じ字の別字体と説明するものもあるようです。JIS規格では「柿(木部五画)」が両方の字を包摂するものとしています。これに対し、字義を考えれば「こけら」は「杮(木部四画)」で書くべきとする説も。
屋敷の遠望。手前に、桃の木が見えます。
南側の軒先。かなり大きく長い蔵になっています。
御一新後の「御触書」の高札。他にも、一揆(騒動)の顛末や遠島・死罪になった人の覚え書き、遺書などや幕藩体制下の政治・経済の仕組みなどのさまざまな展示品があります。興味深いものが多々。
旧「高山町役場」の建物。古い町並みの中に歴史・民俗関係の資料館が点在しています。一日まして半日ではとうてい見学できません。





柿という漢字を書いて「こけら」といいます。板葺きの一種で、「こけら=薄い木片」を重ねて敷き詰めた屋根のこと。
この写真のように、小さな薄い板を上下左右に何枚も重ね合わせて屋根を葺くことにより、雨水の浸透を防ぎます。(修復用にでしょうか、この薄い板が土間のところにたくさん重ねて置いてありました。)歴史は古く、奈良時代から既に屋根材として用いられていたようです。
ちなみに劇場の初興行を「こけら落とし」といいますが、この「こけら」と柿葺きの「こけら」は同じ意味で木屑または木片を指し、新築や改装の工事の最後に、屋根などの「こけら」を払い落としたことから、完成後の初めての興行を「こけら落とし」と言うようになりました。
「杮(こけら)」という字は「柿(かき)」と同じに見えるが、「柿(かき)」は「木部五画(旁が「亠+巾」)」なのに対し、「杮(こけら)」は「木部四画(縦棒が繋がる)」。
しかし、両者は明確には区別されておらず、両方とも「柿(木部五画)」とするものや、両字は同じ字の別字体と説明するものもあるようです。JIS規格では「柿(木部五画)」が両方の字を包摂するものとしています。これに対し、字義を考えれば「こけら」は「杮(木部四画)」で書くべきとする説も。



