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Channel: おやじのつぶやき
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JR「南柏駅」~東武線「梅郷駅」。その3。ふれあいの森。日光橋。江戸川台駅。慈眼院。(「日光東往還」を歩く。第1回目。)

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「西初石ふれあいの森」。

右に「初石駅」。

右手にかなりの豪邸の旧家。

ほぼ直線の道。

        

「常磐自動車道」の上を通過します。

「日光橋公園」。

「日光東往還」を意識したネーミング。ここで小休止。けっこう暑くなってきました。

     

道なりに左折します。

この先で東武野田線の踏切に接近し、線路沿いの住宅地へ。

                                                                                                                       

1880年代のようす。○が左折点。                2010年代のようす。斜めは常磐自動車道。

左図にある上部のクランクは、現状不明。

線路沿いにある遊歩道を次の駅・江戸川台駅に向かって進みます。

住宅裏手の道が旧道?

 

        

                東武野田線(アーバンパークライン)。

江戸川台駅。

江戸川台駅を過ぎて左折し、旧道歩き復活。

 左手から来て、右に折れる。

            

         

「流山の塩せんべい 利根運河」。

「観音山慈眼院発祥の由来」碑。

・・・ 慶長五年九月 関ヶ原の戦いに於て石田治部少輔 三成公の居城佐和山落城に際し 番頭山田上野之助と嫡子隼人との訣別に当り 父上野之助の遺命に起因すること大なり。佐和山落城記に依れば 汝此の世になかりせば誰か 我が菩提を弔ふものなし 我がなき後の一遍の念仏を手向くれるは汝一人なり又 主人 三成落方しれず運のつきたる人なれば 如何なる害のあらんも知れず 見届けくれよ 其の上今最期の人々の仏果菩提を弔ふべし 又 時節もあらばこの恥辱をもそそぐべし とあり。・・・慶長五年九月関ヶ原の戦い 同月十八日午 刻佐和山落城 上野之助は嫡子隼人に自害を思いとどまらせ 佐和山脱出を言明し己は自 刃 父の遺命により隼人は五才の宇吉郎を背負い 美濃国池田郡(岐阜県揖斐郡)の山中 に落ち行き 後 巡礼の姿となり諸国を巡り 慶長十五年関東に下り周易墨占を業とし 宇吉郎に医術を習わせ深井の里(流山市東深井)に住す。慶長十九年 大阪冬一乱となり 隼人は大阪に馳せ参じて木村長門守重成の軍に加わり元和元年五月六日 夏の陣にて 討死。・・・慈眼院建立の年代は未詳なるも 喜庵歿後に創建したることと推察し 得る。・・・山田上野之助の遺言とも言うべき遺命を無言の中 に継承し連綿と続く山田家々主は先祖の菩提を弔うべく 慈眼院を氏寺として維持し 今日に到った。・・・茲に本堂 再建 山門 塀の新築を記念し 慈眼院発祥の縁起を撰書して後世に伝うるものなり。

昭和五十六年七月
          山田家当主 山田要次郎 撰

(「発祥地コレクション」HPより借用しました。※「・・・」は、当方で省略した箇所。)

慈眼院。


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