江戸川の上空でホバリングする大型の野鳥。ノスリ?
何度も低空で旋回しながらホバリングしています。水中の獲物を狙っているのでしょうか? つい見とれてしまいました。
※「ホバリング」=空中に静止すること。ノスリなどは風上に向かってはばたき、風を利用して姿勢を一定に保つ。利根川の上流で見かけたことがあります。
「川の一里塚(樋野口)河口から20.1㎞」。
この先に、
「江戸川の常夜燈」。
江戸から大正にかけ江戸川は舟運が栄え、明治になると通運丸という外輪船の客船が就航していました。夜になると明かりが灯り河岸(船着場)の位置を知らせたそうです。この常夜燈の設置により一日も早い舟運復活を願うものです。
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明治・大正時代の利根川水系は、蒸気船による大量輸送時代でした。また鉄道輸送網の整備がすすみ、はげしい貨物や旅客の争奪戦がくりひろげられました。なかでも内国通運会社による「通運丸」は、明治の利根川水系を代表する定期貨客
船でした。
通運丸は廃業までに40隻近くが造られました。第一通運丸は、東京の石川島平野造船所で明治9年(1876)11月に起工、翌年2月に完成しました。木造の外輪蒸気船で、全長約22m、幅約3m、時速11km程度で走行しました。外輪船というのは、船の両脇にある大きな車輪を推進器として走る船で、この姿が珍しかったのか、大変な人気で当時の錦絵にも描かれました。
この第一通運丸を購入して就航させたのは、陸運元会社(明治8年に内国通運会社と改名)でした。江戸時代には飛脚を営業しており、現在の日本通運株式会社の前身です。明治10年(1877)2月に試運転がおこなわれ、5月に営業を開始しました。その後、第二、第三、第四と相次いで就航し、新たなコースを次々に開発しています。
はじめは深川の扇橋に始発場がありましたが、後に両国橋のたもと、隅田川西岸の2ヵ所(当時の日本橋区米沢町三丁目と蠣殻町三丁目)に始発点が設けられ、米沢町側からは上利根方面へ、蠣殻町側からは銚子方面に向かって出発しました。
また深川高橋にも始発点が設置され、ここから行徳・浦安行の便が1日に10数回出ていたようです。これら始発から執着地まで、沿岸各地に寄航場があり、航路に応じて旅客や貨物を中継しました。
明治23年(1890)に完成した利根運河(江戸川の流山市深井から利根川の柏市船戸まで)が同28年(1895)に通行可能となると、東京から利根川下流の銚子まで直行便も運行されるようになりました。
しかしこの前年に総武鉄道の市川―本所間が開通し、明治30年(1897)に銚子まで鉄道で結ばれると、蒸気船で18時間かかるところを汽車は5時間で走りました。鉄道の発達に対し、運賃を値下げして対抗しましたが、時代の波に勝つことができ
ず、大正8年(1919)12月をもって、一切を東京通船株式会社に譲り、内国通運会社は利根川水系の水運から手をひきました。通運丸はその後も江戸川・利根川・ 霞ヶ浦にその姿をとどめていましたが、昭和6年(1931)頃に、ついにその姿を消しました。
(この項、「江戸川区郷土資料室」HPより)
樋野口排水機場。
「海から20.0㎞」。
対岸の右は埼玉県三郷市、左は東京都葛飾区。左手遠くに「東京スカイツリー」。
左、土手下に「納屋川岸」碑。
「鮮魚街道」(布佐~松戸)歩きの時の最終地点です。その時の記事を再掲。
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銚子の鮮魚は船で利根川をさかのぼり、布佐等より駄送され、ここから船で江戸(日本橋河岸)に運ばれました。江戸時代、松戸の主産業は船運であり、ここが重要な基地になっていました。
※「良庵河岸」が「納屋河岸」を指す。
松戸の河岸は「源内」(青木家:納屋河岸)と「太兵衛」(梨本家:下河岸)の二軒の船問屋が中心となって発展しました。宝暦5年(1755)1~2月、布佐河岸源左衛門から納屋河岸源内あての鮮魚輸送量は<1月>897籠(約10t)、<2月>4509籠(約50t)という記録が残されています。※当時の「一駄(馬一頭に乗せる貨物)」は三十貫が限度で約110kg、鮮魚では10籠に相当。船一隻あたり鮮魚300籠に相当。
松戸河岸を出た船は、江戸川~新川~小名木川を経て水路で直接日本橋の魚河岸に入りました。
この経路は鉄道開通後も東京市内の鉄道網やトラック輸送が整備されるまでは活用され、常磐線からの貨物が松戸から東京市内まで水運で運ばれた時代もあったそうです。
○付近が、「納屋川岸」。
(この項「松戸宿」https://sites.google.com/site/matsudosyuku/home/suiun-to-kawagishi より借用)
江戸川土手に上がってみます。
遠くにスカイツリー(↓)。
「海から19.75㎞」。
土手下を望む。
1880年代のようす。○が青木家か?
2010年代のようす。○に青木家の塀が復活。
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利根川・布佐河岸からここまで、2回に分けて(二日間)の歩きでした。
振り返る。