流山と三郷を結ぶ新しい橋を建設中です。
「三郷流山橋」は埼玉県道路公社を主体として、千葉県と埼玉県の3者が共同で事業を行っています。
「三郷流山橋有料道路」は、つくばエクスプレス沿線市街地である千葉県流山市と埼玉県三郷市とを結ぶ都市軸道路の一部として整備されています。
三郷流山橋有料料道路を整備することにより、JR新三郷駅周辺からつくばエクスプレス流山おおたかの森駅周辺の市街地間の移動が現在の30分から20分に短縮され、同時に近隣橋梁の渋滞緩和が期待されます。
(この項、「」HPより)
関連工事。
遠くに「流山橋」と「武蔵野線」の橋脚が。
振り返る。
護岸整備区間。
この先、立入禁止のため、いったん土手を下ります。
「海から28.75㎞」。
再び上がって、
⑥「矢河原(やっから)の渡し跡」。
「加村の渡し」とも言い昭和35年頃まで存続した。幕末に再起を図るため流山で屯集した新選組の局長・近藤勇は新政府軍の包囲に単身出頭、この渡しで流山を後にした。
江戸川を離れ、流山の町に入ります。「富士橋」。
土手には桜が植えられ、広場に。
これから流山の町を歩いて「流山駅」まで。
あかり館@雑貨konocono。
ところで、流山市とは?
江戸川や利根運河を利用した水運で栄えた白みりんの産地として知られ、明治期には葛飾県庁が置かれていた。
1950年代以降、江戸川台や松ケ丘を皮切りに住宅開発が行われ始め、現在に至るまで住宅地として開発が進む。1970年代までに流鉄流山線、東武野田線(東武アーバンパークライン)、JR武蔵野線が市内に通るものの、それぞれが市内で接続せず、地域ごとの繋がりが薄い市となっていたが、2005年(平成17年)のつくばエクスプレス(TX)開通により、それらの地域が結ばれるとともに東京都心へのアクセスが向上した。
千葉県の北西部に位置し、東京都の都心から20 - 30キロメートル圏内である。東葛飾地域に属し、旧東葛飾郡の中部に当たる。都市雇用圏における東京都市圏(東京都区部)のベッドタウンとしての性質が強く、マンションや住宅街が林立している。通勤率は、東京都区部へ33.5%である。東京との結びつきが強く、いわゆる「千葉都民」が多い。
市の面積は35.32平方キロメートルで、千葉県内では5番目に面積の小さい市である。
市の中部や北部は下総台地の一部を構成して緩やかな高低差の台地となっており、ほぼ全域が住宅街や農地などになっている。市の西境を江戸川が南北に流れ、江戸川沿い及び市の南部は平坦な低地、江戸川の対岸は埼玉県である。また、市の北部には利根運河が流れる。(「Wikipedia」参照)
※「流山」の由来=昔、大洪水で上州赤城山の崩れた土塊が流れ付き、小山(現在の赤城神社の位置する場所)となったことからという説と、赤城山のお札が流れ着いたからという説がある。
「江戸情緒残るひろこうじ」。 「流山広小路」。
明治時代前後の土蔵造りの家屋と百数十年の歴史ある老舗が続く町並み。江戸時代、田中藩本多家飛地領の年貢米や東北・北関東からの物資が集められた。明治時代には、蒸気船の寄港などもあり繁栄した。
ましや呉服店。
土蔵。
観光案内板。
現在の広小路交差点。
まだまだ見所がありそうです。