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Channel: おやじのつぶやき
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JR滑河駅~安食(あじき)駅。その6。大利根飛行場。印旛排水機場・長門川。印旛沼。(利根川を歩く。第13回目。)

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                    「県道409号線 須賀」の標識。

  水流を制御するための杭だったようです。杭にした木から葉が茂っています。面白い光景。

  対岸遠くには、「大利根飛行場」。

田園地帯が広がる。

「大利根飛行場」。

                  何機か飛行機の姿が見えます。 

                     2010年代のようす。大利根飛行場。

一般社団法人日本飛行連盟が運営している飛行場で、主にグライダーの離着陸、軽飛行機操縦訓練・教習のために使用されており、定期便の就航はない。(「Wikipedia」より)

活動場所の大利根飛行場は茨城県と千葉県の県境を流れる利根川の茨城県側、稲敷郡河内町の利根川河川敷に位置しています。
幅20mx長さ600mの舗装滑走路を有しており、日本モーターグライダークラブが「社団法人日本飛行連盟」からの委託を受けて管理している場外離着陸場になります。
なお、大利根飛行場は日本モーターグライダークラブ以外にも各個人、各団体が使用しています。  大利根飛行場を利用ご希望の方は、日本飛行連盟のホームページもご覧ください。

   

                   (「 JMGC 日本モーターグライダークラブ」HPより)

「海から66㎞」ポスト。

   河川敷には、「栄町町民Aグラウンド野球場」。前方には「印旛排水機場」・「長門川」。

利根川への流入地点。

長門川

利根川と北印旛沼とを連絡する役割を果たす。それゆえ短区間ながら印旛沼水系全体に係る流域を擁し、また印旛放水路とともに印旛地域の水量調節に活用される治水上重要な河川である。定義上はいずれも印旛沼を起点とするが、印旛放水路(新川)は平常時印旛沼へ流入するため、事実上印旛沼唯一の流出河川となっている。

ふじみ橋を過ぎると長門川公園を挟んで二手に分かれる。西側分流は印旛水門・東側分流は印旛排水機場をそれぞれ越えて、利根川へ流入する。

(この項、「Wikipedia」より)

この先に「印旛水門」。

筑波山が遠くに。

 今回は、常に筑波山を遠く右手に見ながらの歩きでした。

下流方向を望む。

大利根飛行場を飛び立った飛行機(↓)。

今回はここまで。安食駅まで向かいます。

左手に「長門川公園」。

ここから安食駅まで2キロ以上、歩くことに。

「うなぎ処 さかた」。

いい香りがしてきますが、かなりはやっているお店のようで、けっこう次々とお客さんが。

横目で見ながら駅へ。今回の歩きの中ではこの区間には歩道がなく、車とすれ違うたびにヒヤヒヤ。

駅前にある「関東ふれあいの道」案内板。

「沼めぐりのみち・川と沼をつなぐみち」とあり、印旛沼への道と丘陵地をめぐる歩きです。

印旛沼は京成電車の車窓から眺めながら通り過ぎるばかりですが、機会があったら歩いてみようか、と。

 

※「印旛沼」の今昔(部分)。

                                                                                                                                

2010年代のようす。干拓による農地の広がり。             1880年代のようす。広大な沼と湿地帯。

安食駅に到着。

次回は「天王台」駅まで足を伸ばしたいところですが、「布佐」駅までかな。

ところで「安食(あじき)」という地名の由来は?

 ①『新利根川図誌 下』p.262に由来が書かれている。「仁平元(1151)年、度重なる水害で飢えた人々が、駒形神社を建て五穀豊穣を祈願したところ、翌年大豊作となり以来「食に安んずる」ようになったことから、安食の地名が生まれた」と書かれている。

②渡来人の「阿自岐(あじき)」族に由来するとも言われるが未詳。

・ 応神天皇の時代に、「秦(はた)」「漢(あや)」の二大氏族が渡来し、伴造(とものみやっこ)となった。その中に阿自阜(あじき)人もいて、漢字を伝えたという。それらの渡来人が住み着いたところに、安食、安楽の地名が多く残っている。【JR・第三セクター 全駅ルーツ事典 村石利夫 東京堂出版】

ということらしい。


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