けっこうな上り坂が続きます。振り返り、振り返り、のんびりと。。
標高は、高いところで約330㍍。荒川は200㍍ほどですから、100㍍下になります。
荒川を見下ろす、といっても見えませんが。
河岸段丘上に家々。
見晴らしはよいのですが、けっこうくたびれます。
武甲山が左手奥に。
来た坂道を振り返る。
空は晴れてきます。この辺りで頂上付近。
やっと下りへ。
荒川に注ぐ支流。流れが見えないほど、下。
上流も深い谷。
一気に下って「日野鷺橋」へ。その手前左手に、おそば屋さん。ちょうどタイミングよく、ここで食事。手打ちそばが実においしい。ホッと一息。お客さんが続々と。
「手打ちそば水沢」さん。
駐車場からの眺め。
「日野鷺橋」が前方に。
本橋梁は橋長220.000メートル、総幅員10.750メートル、有効幅員9.750メートル、支間長170.000の1等橋(TL-20)で、ワーレントラス状に組んだ吊材を持つアーチ橋の一種である中路式トラスドランガー橋である。このトラスドランガー橋は丈夫で揺れが少ないとされている。歩道は下流側に設置されている。・・・荒川の水面から橋の橋面までの高さは約60メートルである。橋は河岸段丘域の深い谷に架けられている。また、右岸と左岸との高低差はなく、対岸とをほぼ水平に結んでいる。橋の南詰はすぐ国道140号との交差点に至る。
橋の名前は橋が架けられている両岸の地名である日野(現、荒川日野)と小野原(現、荒川小野原)の小字鷺ノ巣を組合わせた造語に因む。親柱には橋が架けられている地域に因み、日(太陽)を抽象化した球体の石像と鷺の石像が両詰に設置されている。
小字鷺ノ巣地区は荒川村と秩父市との境界の谷に架かる水沢橋が開通するまでは長らく陸の孤島であった。付近の荒川には橋は架けられておらず、荒川の向こう側にある荒川村の中心地へ行くためには、1981年(昭和56年)3月に開通した埼玉県道72号秩父荒川線の水沢橋を通って一旦秩父市に入り、下流に架かる久那橋を渡る必要があった。
日野鷺橋が架けられている場所のすぐ下流側にはかつて日野・鷺ノ巣の渡しと称する(日野の渡しや鷺ノ巣の渡しとも呼ばれた)船一艘を有し、1884年(明治17年)に開設された渡船場が存在した。この渡船場は1943年(昭和18年)に仮橋が鷺巣河原に架けられたことにより廃止された。 仮橋は木製で河原に杭を打って板を渡しただけの簡素な造りで、ほぼ毎年架け替えが行われた。荒川両岸が高いため斜面を上り下りしなければならず、対岸への通行に手間取り難儀したという。1962年(昭和37年)には生活必需品などの物資を荒川の対岸に運搬する林業で見られるような鉄索が設置され、これは水沢橋が1981年に開通するまで使用された。現在は仮橋は廃止され、河原に杭の痕跡が残っている。
(この項、「Wikipedia」参照)
解説板には、架橋の経緯と難工事の様子が写真と共に記されています。
橋からの眺め。武甲山が遠くに。
橋を渡って、「県道72号線」から「彩甲斐街道(国道140号線)」に合流。「甲府」の地名が表示されています。