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Channel: おやじのつぶやき
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秩父鉄道寄居駅~長瀞駅。その1。宮沢賢治 歌碑。雀宮公園。松本幸四郎。(「荒川」を遡る。第7日目。)

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                      「東武東上線」鉄橋。

緊急事態宣言発出前に出かけた「荒川を遡る」第7日目。連休中、長瀞付近は大混みだったようですが。

4月24日(土)。晴れ。

JR・熊谷から秩父鉄道・寄居駅へ。南口から東武東上線・玉淀駅へ向かい、そこから「荒川」へ。

左手に四阿があります。 

石畳の道を玉淀方向へ。

振り返ると、東上線の電車が鉄橋を。

「玉淀水天宮」解説板。

昭和6年にこの地が「玉淀」(県指定名勝)と命名された後、神社の設置の話がもちだされ、探したところ川に面したところに石の宮があるのが発見されました。これは俗にいう水神様といってこの地方の漁師たちがお祭りして、水難除けの神様として信仰していることがわかり、当時の玉淀保勝会が直ちにこの水神の神体を基として水天宮を祀りました。
 水天宮の縁日は毎月「五」の日であるというので、最初の大祭を昭和6年8月5日に挙行し、現在は8月の第1土曜日に盛大に行われています。祭事のあと「つけまつり」として、町内別の供奉船が花やボンボリちょうちん等で飾りたて、笛、太鼓等ではやしながら玉淀を遊覧し、多数の煙火が打ち上げられます。夏の祭りの美観は実にみごとなもので、寄居町の年中行事のもっとも大きい祭りとして、また、埼玉県内としての大祭の一つに数えられています。
 現在、水天宮は、水難除けと安産の神様として広く信仰されています。
                                   寄居町・埼玉県

宮沢賢治 歌碑。

        毛虫焼くまひるの火立つこれやこの秩父寄居のましろきそらに

        つくづくと『粋なもやうの博多帯』荒川ぎしの片岩のいろ

道中には歌碑などが点在しています。

県指定名勝玉淀の美しさに魅かれて、古くから多くの文化人がこの地を訪れています。彼らの足跡は、句碑や詩碑として荒川沿いに残されており、「ふるさと文学碑歩道」と名付けられました。「君恋し」の作曲家、佐々紅華は晩年を寄居町で過ごし、今は旅館になっている住居前には「寄居小唄」の歌碑があります。また、宮沢賢治が盛岡高等農林学校2年生のときに寄居町を訪れ、玉 淀の美しい風景をうたった歌碑もあります。地元の文化人の詩碑とともに、先人の心に触れてみてはいかがでしょうか。

(この項、「」HPより)

「草合歓(くさねむ)の歌碑」。

夏草の深くも茂る 本丸に語る哀しさ 鉢形城戦史 中里 清
出水あとの河原は清く 洗はれてみずゆたかなるを 舟下りゆく 鳥塚 仁
河鹿鳴く馨すがすがし 河原にかはらははこは いまだ短し 内田 義

この付近からの荒川の流れ。

その先、「雀宮公園」へ。

               

「桜柳碑」。雀宮公園駐車場の角にあります。

玉淀は水あるによりて勝れ花あるによりて更に美し 然るにこの花すでに樹令つきなんとして花少なく色あせたり玉淀保勝会の人々これを憂いこれを悲しみ去る年の春大方の協力を得て桜苗六百を植え加うるに柳百をもってす

雀宮公園は、歌舞伎の名優・七代目松本幸四郎の別邸跡地であり、古くから町民に親しまれてきました。

 荒川周辺の水辺整備による賑わいと活気づくりを目的とした、「川の国埼玉はつらつプロジェクト」の一環で、平成29年に町が敷地を取得し、雀宮公園の整備を行いました。

 また、雀宮公園から玉淀河原までの親水遊歩道(約300m)の整備を行い、紅葉シーズンに合わせた11月7日に開通し、川沿いの自然豊かな景観を楽しむことができるようになります。

人物

 歌舞伎の名優・七代目松本幸四郎は(幼名:秦豊吉)は、1870(明治3)年、伊勢国員弁郡深村(現在の三重県員弁郡東員町)で誕生しました。1874(明治7)年、父が事業化で各地を転々としていたこともあり、豊吉が4歳の年に、母と共に上京。京橋区(現在の中央区)に落ち着いたころ、そこで虎屋饅頭の株を買い、駄菓子屋をはじめたといわれます。

 この駄菓子屋の顧客であった、藤間流家元の二代目藤間勘右衛門には子がいなかったため、豊吉を藤間家の養子として、踊りを厳しく仕込んでいきました。豊吉は、11歳になると市川団十郎の門に入り、次々と歌舞伎俳優としての才覚を現していき、1911(明治44)年に七代目松本幸四郎の名を襲名しました。

 幸四郎は、恵まれた容貌、堂々たる口跡に裏打ちされた風格のある舞台で、時代物、荒事に本領を発揮しました。特に、九代目市川団十郎の直系の芸である「勧進帳(かんじんちょう)」で弁慶を演じては、彼の右で出る者はなく、生涯を通じて1600余回演じ、不朽の演技として後世に語り継がれることになりました。

 幸四郎は、1949(明治24)年に80歳で亡くなり、子に十一代目市川団十郎、八代目松本幸四郎、二代目尾上松緑、孫に九代目松本幸四郎(現:二代目松本白鸚)、また、十代目松本幸四郎、松たか子は曾孫に当たります。

園内の様子

 園内には、ウッドチップを敷き詰めた散策路や車いすでも通れるアスファルトの園路、トイレ等を整備しました。また、松本幸四郎の安らぎの場、おもてなしの場として愛されたとされる「雀亭」をイメージして建築されたあずまやがあり、雀宮公園を象徴する建物となっています。

 秋になるともみじやイチョウが色づき園内はオレンジ一色に染まります。周辺には、「ふるさと文学碑歩道」もあり、文学と自然を同時に楽しむことができます。

(この項、「」HPより)

 

よく整備された公園。木々も見事。

「正喜橋」を望む。

紅葉の時期はさぞかし。

(「同上」HPより)

雀亭をかたどった四阿。

解説板。

周辺案内図。

2010年代のようす。左に「正喜橋」。

 


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