料亭などがある川沿いの道を進みます。
佐々紅華作曲の「寄居小唄」の歌曲碑。
寄居小唄 金子虹作詞 佐々紅華作曲
色はうす紅 玉淀さくら 霞む日ごとの 水かがみ
まわる日傘に ほろほろと さても愛しい 花が散る
よりい良いとこ 秩父の山が 雪のけはいの 品のよさ
娘まけるな 紅つけて シャンとすませよ ミスよりい
城は鉢形 御城下町に 昔 ならした 意地もある
思いきるまい 心なら せめて二度咲け 山つつじ
「割烹料亭 京亭」。
浅草オペラの創始者として、また「君恋し」「祇園小唄」「唐人お吉の唄」等を作曲した佐々紅華は、かつて訪れたこの地の美しい山河の姿を忘れられず、昭和7年、ここを永住の地と定めて自ら図を引いて建てたのが外ならぬこの京亭の前身であります。昭和36年佐々紅華は没しましたが、四季おりおり変わる美しさは乱れることなく、今まだ眼下荒川の流れは昔の面影を映しております。
(この項「枕流荘 京亭」HPより)
こちらは廃墟となった元料亭?
「玉淀河原」への下り口にある「埼玉県立自然公園 玉淀」碑。
「魚霊碑」。
対岸は、「鉢形城」址。
「玉淀」解説板。
玉淀は荒川が秩父の山地から平野部へ移り変わるところで、この流域沿岸約3キロメートルの地域の総称です。
荒川の清流を見下ろす道路に沿って桜の並木があり、鉢形城跡下の絶壁と濃い淀み、広々とした浅瀬の河原が一種独特の景観をつくり出しています。かつて、明治の文豪、田山花袋は、この地を訪れ「東京付近でこれほど雄大なながめをもった峡谷は、ほかにはない」と激賞しています。
河床付近には、巨岩、奇岩が露出し、また見事な河岸段丘が形成されていて、地質学研究上の要地でもある。春の桜、夏のとうろう流し、秋の紅葉などハイキング、レクリエーションの地でもあります。
「玉淀」の名称は昭和6年4月29日に命名され、玉は埼玉の玉で美しいの意味であり、淀は水のよどんだところという意味があります。すなわち埼玉県にある美しい玉のような淀んだ地という意味で、昭和10年に県指定名勝として文化財指定を受けています。
季節により、鮎などの釣り場としても大変人気があります。
(この項、「」HPより)
「桜樹碑」。大正年間に桜を植樹した、との碑。
四阿脇にある「茂木秋香句碑」。
花にあけ 山にくれけり 水のおと
その付近からの荒川の流れ。
玉淀碑。
宝登山神社宮司の塩谷啓山翁が昭和8年、玉淀の景観を愛でて作った歌が刻まれています。
咲く花の笑顔のならぶ岸むかい 若鮎のゆききも見えて煌めくさまのなつかしや
花もよし月影もよし夏もよし 雪景色よき里は玉よど
かしこさに浪もさわがず瀬もたたず いまもよどめり玉淀の水
かくもめでたき玉淀の花をや狩らむ月や見む ああたまよどの淀のうるわしさ
・・・
そこからの荒川の流れ。
その後、「玉淀ダム」や護岸工事などによって、荒川の水量の変化もあり、かつてのような景観は失われつつあるようですが、多くの人が訪れる観光地になっています。
なお、「玉淀河原」は4月26日(月曜日)から当面の間、閉鎖されています。
訪れた日は、その閉鎖前日でした。
足もとの汚水マンホール。
町の鳥「キジ」、花「カタクリ」、木「ヤマザクラ」 をデザイン。
荒川から離れ、「宗像神社」を過ぎ、住宅地へ。
「八高線」踏切。
「八高線・荒川橋梁」が左手に。
この先、「象ヶ鼻公園」を過ぎ、再び「国道140号線」へ。
「彩甲斐街道(国道140号線)」。
「象ヶ鼻公園」付近の今昔。
1880年代のようす。流れがほぼ直角に曲がる。
2010年代のようす。現在も変わらない。