荒川橋
深谷市黒田と同市畠山の間の荒川に架かる東日本高速道路(NEXCO東日本)関越自動車道の道路橋。
周辺は主に農地であるが、アイリスオーヤマなどの工場が上流側に点在している他、右岸側近傍の国道140号バイパス沿いの花園インターチェンジから道の駅はなぞのにかけてロードサイド店舗街が形成されている。付近の荒川には埼玉県の指定天然記念物に指定された「青岩礫岩」が当橋の上流側にある。 下流側に1938年(昭和13年)頃まで「黒田の渡し」が存在し、また、直ぐ上流側に鎌倉街道上道の渡河地点に位置する川越岩があり、1947年(昭和22年)頃まで「赤浜の渡し」が存在した。(この項、「Wikipedia」より)
かつて、時々「関越道」を利用していましたが、「花園インター」がこの付近にあったのですね。
この付近の今昔。
1880年代のようす。下流に渡船。 2010年代のようす。下は「アイリスオーヤマ」。
川沿いには大きな採石・砂工場が広がる。
「関越道荒川橋」を望む。
工場の角を右折。
右手にこんもりした丘が。
「黒田古墳群」。かすれた「説明板」があります。
荒川の河岸段丘上に立地し、帆立貝形古墳と円墳30基以上で構成されていた。1987年(昭和62年)にさきたま資料館が実施した調査では、消滅した古墳を含め22基が確認されている。古墳群の発掘調査は1974年(昭和49年)に古墳址を含む円墳15基で行われ、1977年(昭和52年)にも円墳2基と古墳址1基で行われている。現存する古墳は1977年(昭和52年)4月1日付けで花園町(当時)指定史跡に指定された。
「黒田2号墳」
前方部を西南西に向けた帆立貝形古墳。残存長33メートルであるが、前方部は大きく土取りされており、築造時の全長は41メートルあったことがわかっている。周溝からは形象埴輪片(人物・馬)が発掘されている。6世紀末の築造。
(この項、「Wikipedia」より)
帆立貝形古墳
前方後円墳の変形型、あるいは円墳に低く短い張り出しがついた形状と言われています。その名の通り、上空から見るとホタテ貝の貝殻に見えます。
(「
」HPより)
ここ(↓)もその一つ?
「花園インター」方向。
来た道を振り返る。
「県道」に出ます。荒川に架かる「花園橋」。
1988年(昭和63年)架設された現行の永久橋より以前は冠水橋(かんすいきょう)だったため、幾度となく補修や改修が行なわれた。
花園橋が開通する以前は「赤浜の渡し」と呼ばれる鎌倉街道に属する渡船4艘を有する私設の渡船で対岸を結んでいた。場所は橋のやや上流側に位置していたが1815年(文化12年)頃は橋の下流側にある川越岩付近に渡船場が存在していた。開設当初は土橋を架けた時期もあったようだが、夏季に流失するので川船役所に申し立てて許可を受けた上で1815年(文化12年)頃より通年渡船を運行することとなった。この渡船場は1947年(昭和22年)の花園橋の開通により廃止された。橋は橋長185.8メートルで幅員3.6メートルの冠水橋である。
1960年(昭和35年)に工費557万7千円を投じ、木造桁の冠水橋として架け替えられた。 橋長185.8メートル、幅員3.6メートル。現在の橋のすぐ上流側に架設されていた。道幅が狭いことから片側交互通行であった。 この橋は荒川橋とも呼ばれていた。この冠水橋は永久橋の開通に伴い撤去された。・・・
(この項、「Wikipedia」参照)
1880年代のようす。渡船。川幅が狭い。 2010年代のようす。花園橋。