「豊海橋」。梯子を横にしたような骨組み。
「日本橋川」河口にある最初の橋ね。
それじゃあ、橋の方に移動しましょう。あれ、眼の下に船が。「日本橋川」を上流の方へ進んで行くようね。屋形船でもなさそうだし、小ぶりの船。
橋のたもとに立派な解説板。
豊海橋
日本橋川の河口に架かるこの橋は、元禄11年(1698)に初めて架けられ、その後何回となく架け替えられ現在に至っています。
現在の橋は、震災復興事業により、昭和2年に復興局が架設したもので、形式名はフィーレンデール橋といいます。この名は考案者のフィーレンデールの名をとったものです。
梯子を横にしたようなこの形は、名橋永代橋との均衡を保つようにデザインされたものでう、我が国では本橋以外に数例しかなく、希少価値の高い橋です。
「豊海橋鉄骨の間より斜に永代橋と佐賀町辺の燈火を見渡す景色、今宵は明月の光を得て白昼に見るよりも梢画趣あり。満々たる暮潮は月光をあびてきらきら輝き、橋下の石垣または繋がれたる運送船の舷を打つ水の音亦趣あり。(永井荷風「断腸亭日乗」)
「日本橋川」に架かる橋一覧。
こちらの解説板。
現在の豊海橋は、大正15年(1926)5月起工、昭和2年(1927)9月竣工。
日本橋川が隅田川に流入する河口部の第一橋梁です。橋の歴史は古く、江戸時代中期には豊海橋(別名「乙女橋」)がありました。この辺りは新堀河岸と呼ばれ、諸国から廻船で江戸に運ばれた酒を陸上げする所で、川に沿って白壁の酒倉が並んでいました。
明治期に豊海橋は鉄橋になり、大正12年(1923)の関東大震災で落橋してしまいました。復興局は新規に設計を土木部の田中豊に依頼、実際の設計図は若手の福田武雄が担当。隅田川支流の河口部の第一橋梁はデザインを一つ一つ変えて区別しやすく工夫していました。それは隅田川から帰港する船頭に対する配慮でした。
福田武雄はフィーレンデールの案出した橋梁デザインを採用し、梯子を横倒しにした様な外観で重量感のある豊海橋を完成しました。この様式は日本で数カ所あるのみで近代の土木遺産としても貴重な橋で、区有形文化財に登録されています。
平成14年3月 中央区教育委員会
たしかに独特の橋のかたちだわね。
川沿いには行けないから、この道を進みましょう。けっこうお店もあるのね。
「hinoban」。 「あなご屋 銀座ひらい」の厨房のようね。
(写真は「ぐるなび」HPより)
日本料理において、マアナゴはウナギと同様に開き、天ぷら、蒲焼、煮穴子、寿司種、八幡巻(牛蒡をアナゴの身で巻いたもの)などで食べられている。蒲焼では、たれの状況次第では、より高価なウナギとアナゴは味が区別できない場合もあるという。一本丸ごと揚げた天麩羅は天丼や天ぷらそばなどに乗せると丼からはみ出す様が見栄えがし、価格も手ごろなため、名物としている店も多い。
江戸時代から東京湾の羽田沖で捕れたものが江戸前の本場物とされ、現在でも東京湾岸各地で漁場となっている。また、瀬戸内海で捕れたものなども地元や関西地方で珍重されている。
岡山県の郷土料理として生の幼魚(ノレソレ)をポン酢で食べる「ベタラ」がある。
広島県の廿日市市宮島・宮島口では穴子の蒲焼を飯に載せた「あなご飯」が名物である。山陽本線宮島口駅の駅弁として考案されたのが元祖で、宮島名物として定着した。千葉県富津市ではアナゴのことを「はかりめ」と呼ぶ。
(この項、「Wikipedia」より)
漢字で書くと「穴子」でしょ。ほら、スカイツリーにある「すみだ水族館」じゃ、「チンアナゴ」が人気なのよね。
目が大きくて、体は細長い魚よ、巣穴から半身を乗り出したり、引っ込んだりしてかわいらしいわね。中には身体が全部穴から出っちゃって慌てふためくようす(そうかどうかわからないけど)が面白い。いつまで見てても飽きないわ。観賞魚として人気があるようね。今度行ってみて下さい。
(写真は、「Wikipedia」より)