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Channel: おやじのつぶやき
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「Modern Times」(古きよき映画シリーズ。その32)

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 久々に。
 チャップリンの数々の名作の中の一つ。機械文明に象徴されるアメリカ資本主義社会の中で生きぬく市井の人の姿。人間の尊厳が失われ、人間が機械の一部分のようになっている世の中を笑いで表現しています。
 トーキー映画が登場した中、前作の『街の灯』(1931年)からチャップリンは、サイレントながらも自作の映画音楽を映像にのせ、その才能ぶりを披露しました。

《あらすじ》
 最新鋭の大型動力機械を備えた工場で働くチャーリー(チャーリー・チャップリン)。ベルトコンベアーで運ばれてくる部品のねじ回しを続ける単純作業の繰り返し。
機械のリズムで働いているうちに、精神的にいかれてしまう。
工場の機械の速さは、工場資本家の気分次第で決まる。
自動食事装置に振り回されるシーン。
歯車に巻き込まれるシーン。
 やがて退院するが、トラックにくくりつけられた赤旗を拾ってふりかざし、デモのリーダーと間違われ、捕まってしまう。このときは、脱獄囚を撃退した功績で模範囚として放免され、仕事も紹介されたがうまくいかず、やはり街をうろつく生活に戻る。
 そんな中、チャーリーは浮浪少女(ポーレット・ゴダード)と出会う。意気投合したチャーリーは、2人のために豊かな生活を築くという夢を叶えるために働き出す。デパートの夜回り(ここでは、見事なローラースケートを披露)、工場の技師の助手をするが、2件とも警察沙汰になるという結果。
 やっと少女が勤め始めたキャバレーのウェイターの職を得て、少女のダンスやチャーリーの即興の歌によって拍手喝采を受けるが、少女の過去に犯した盗みの罪のため、そこも追われてしまう。
 そして、2人は、新たな希望を求め、地平線の彼方に向かって旅立っていく。

 この作品の中では次の2曲が有名で、今でも演奏されます。 

・ティティナ
 1917年にフランスの作曲家レオ・ダニデルフ(英語版)によって "Titine Je cherche après Titine" というタイトルで作曲され、本作で使用されて世界的に有名なメロディとなった、とのことです。チャップリンが初めてスクリーンで肉声を発したとして、有名です。即興ででたらめな外国語(一説にはフランス語風)による歌となっています。


・スマイル
 本作のラストシーンでの印象的な曲。

 この曲は、チャップリン自身が作曲。その後、ナット・キング・コールやマイケル・ジャクソン、ダイアナ・ロスらがカバーしている。
 また、チャップリンがアメリカを追放されてから20年後、再びアメリカの地を踏む契機となった第44回アカデミー賞授賞式のフィナーレで、彼がオスカー像を受け取る際、会場のゲスト全員で歌詞の付いたこの曲が歌われました。
(付)
 1945年、第二次世界大戦が終結し、ソ連をはじめとする東欧諸国との冷戦が始まったアメリカでは、彼の作風が「容共的である」とされ、非難の的とされました。特に、1947年公開の『殺人狂時代』以降はバッシングも最高潮に達し、1950年代に入り、ジョセフ・マッカーシー上院議員の下、赤狩りを進める非米活動調査委員会から、他の俳優や監督とともに何度も召喚命令を受けます。
 1952年、ロンドンで『ライムライト』のプレミアのために向かう船の途中、事実上の国外追放命令を受けます。そのため、スイス・ローザンヌのアメリカ領事館で再入国許可証を返還することに。
 アメリカを去ったチャップリンは、映画への出番も少なくなりましたが、スイスの広大な邸宅「マノワール・ド・バン」に移り住み、晩年を送ります。
 1972年、アカデミー特別賞授賞式に出席するため、20年ぶりにアメリカの地を踏みます。この賞は、彼の国外退去を阻止できなかったハリウッドからの謝罪を意味しました。そして、舞台に登壇したチャップリンに対し、会場にいる全ての者がスタンディングオベーションで迎えました。

「人間の機械化に反対して個人の幸福を求める物語」

 こんなタイトルで始まるこの映画は、近代工業社会を痛烈に風刺しました。
 オートメーション化された工場で労働者が機械のリズムで働かされるシーン、閉店後のデパートの中でチャーリーが目隠ししてローラースケートで滑るシーン、チャーリーの声が初めて聞くことができる「ティナティナ」を歌うシーン、最後に「スマイル」の曲が流れる中、チャップリンとゴダートが手をつないで地平線の彼方へ消えていくシーン、いずれも印象的です。
 この映画で取り上げられたテーマのいくつかは、現代社会の中で起こる人間疎外という現実に対する批判。機械化やそれに伴う徹底した合理化によって、労働者が非人間的な環境に置かれ、あるいは、仕事を失って失業者があふれてしまう状況に対する批判。さらに、成果主義によって労働者を酷使している資本家への抗議、等・・・。
 75年以上も前の作品にもかかわらず、これらの批判が今も的確になされているところに、この映画の真価があると思います。ますます徹底した成果主義・産業構造の合理化によって、「首切り」が当たり前の経済システムが進行しつつある現在の姿を改めて考えさせられる作品。

 余談:チャップリンがいつも愛用する靴。若者が好んで履くえらくつま先の長い革靴(幅広ではなく先のとがった)は、このまねだったのですかね。再発見!

 もちろん、「ドタ靴」「ステッキ」「アヒル歩き」というチャップリン・スタイルの復活ではありません。



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