道路が拡張、整備され、かつての街道の面影はなさそうです。
(14:09)右手に旧道が残っているようです。車が停車しています。![]()
かなり拡幅された青梅街道をゆるやかに下っていきます。![]()
(14:14)下った先の交差点。右手奥には「東伏見稲荷神社」。![]()
来た道を振り返って望む。
(14:21)「石神井川」と交差します。![]()
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「石神井川」が流れているとは思いませんでした。
石神井川は、都立小金井公園付近にその源を発し、小平市・西東京市・練馬区・板橋区・北区を流れ、北区堀船で隅田川に合流する延長25.2キロメートル、流域面積61.6平方キロメートルの荒川水系の一級河川です。
最上流部に小金井公園、中流部には城北中央公園、また下流部では旧河川を利用した音無親水公園など多くの公園・緑地と接し、都市部を流れる中小河川としては、沿川に貴重な緑を有する河川となっています。
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(
HPより)
石神井川は、小平市・西東京市では「悪水」、西東京市・練馬区の一部では「大川」、練馬区・板橋区では「石神井川」、北区で「音無川」「王子川」「滝野川」と呼ばれていた。「滝野川」という別称は北区滝野川の地名にも残っており、近藤勇の墓所がある。かつて、この地域の石神井川が「滝の様に勢いよく川の流れが激しかった」ことに由来する。
(この項、「Wikipedia」参照。)
下流、JR王子駅付近の「石神井川」(かつては音無渓谷と呼ばれる深い谷となっていました。現在、渓谷部分はほとんどがコンクリートの垂直護岸となっています。
(「日光御成道」を歩いた時のもの)
(上流、西東京市・「青梅街道」沿い)
路傍に満開の紅梅が一本。![]()
「保谷市」と記された下水蓋。![]()
注:「西東京市」は、2001年(平成13年)1月21日、旧・田無市と保谷市が合併して発足しました。
(14:29)西武新宿線の高架ををくぐります。![]()
「富士街道」という標識。祠は「弘法大師標柱」。
この「富士街道」は「中山道」の志村坂上・清水坂から西に分岐する道とつながっているようです。「大山詣」の道。
(14:31)「柳沢庚申塔」。![]()
慶長11年(1606)の江戸城の大改修以来、城の壁材である石灰を運ぶ道として青梅街道がひらかれました。青梅街道の成立とともにその人馬継ぎ立てを行う宿として、田無村柳沢宿は発展しました。
享保8年(1723)この付近の住民23人によって庚申講が組織され、来世安楽を祈願してこの庚申塔が建立されました。・・・
当時の田無村は交通の要路にあり、青梅道と所沢道などの分岐点(元田丸屋商店の角)は田丸屋旅館もあり、田無を印象づける著名地点でした。ここに庚申塔を建て、道しるべの役目を持たせたもので、この地域ではとても古いものです。
平成18年1月、所沢街道拡幅のため、この場所に移設されました。
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(14:33)この交差点を左折します。![]()
交差点の角にあるビルは「田丸屋」。
この付近の今昔。○が「所沢街道」との追分。
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1880年代のようす。下方の流れは「石神井川」。途中、東に向かう道は「富士街道」。
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2010年代のようす。中央右は西武新宿線「柳沢」駅。
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「田無神社」、「総持寺」を過ぎ、「田無(宿)」へ入ります。
(14:42)商家の面影。![]()
人通りの多い商店街を進み、左折して「田無駅」に向かいます。
今回はここまで。思ったよりも新宿から近いので驚きました。ただし、帰路は西武新宿線で高田馬場まで出てJRに乗り換えて、と意外に距離がありました。
(14:09)右手に旧道が残っているようです。車が停車しています。

かなり拡幅された青梅街道をゆるやかに下っていきます。

(14:14)下った先の交差点。右手奥には「東伏見稲荷神社」。


(14:21)「石神井川」と交差します。


「石神井川」が流れているとは思いませんでした。
石神井川は、都立小金井公園付近にその源を発し、小平市・西東京市・練馬区・板橋区・北区を流れ、北区堀船で隅田川に合流する延長25.2キロメートル、流域面積61.6平方キロメートルの荒川水系の一級河川です。
最上流部に小金井公園、中流部には城北中央公園、また下流部では旧河川を利用した音無親水公園など多くの公園・緑地と接し、都市部を流れる中小河川としては、沿川に貴重な緑を有する河川となっています。

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石神井川は、小平市・西東京市では「悪水」、西東京市・練馬区の一部では「大川」、練馬区・板橋区では「石神井川」、北区で「音無川」「王子川」「滝野川」と呼ばれていた。「滝野川」という別称は北区滝野川の地名にも残っており、近藤勇の墓所がある。かつて、この地域の石神井川が「滝の様に勢いよく川の流れが激しかった」ことに由来する。
(この項、「Wikipedia」参照。)
下流、JR王子駅付近の「石神井川」(かつては音無渓谷と呼ばれる深い谷となっていました。現在、渓谷部分はほとんどがコンクリートの垂直護岸となっています。


路傍に満開の紅梅が一本。

「保谷市」と記された下水蓋。

注:「西東京市」は、2001年(平成13年)1月21日、旧・田無市と保谷市が合併して発足しました。
(14:29)西武新宿線の高架ををくぐります。


この「富士街道」は「中山道」の志村坂上・清水坂から西に分岐する道とつながっているようです。「大山詣」の道。
(14:31)「柳沢庚申塔」。

慶長11年(1606)の江戸城の大改修以来、城の壁材である石灰を運ぶ道として青梅街道がひらかれました。青梅街道の成立とともにその人馬継ぎ立てを行う宿として、田無村柳沢宿は発展しました。
享保8年(1723)この付近の住民23人によって庚申講が組織され、来世安楽を祈願してこの庚申塔が建立されました。・・・
当時の田無村は交通の要路にあり、青梅道と所沢道などの分岐点(元田丸屋商店の角)は田丸屋旅館もあり、田無を印象づける著名地点でした。ここに庚申塔を建て、道しるべの役目を持たせたもので、この地域ではとても古いものです。
平成18年1月、所沢街道拡幅のため、この場所に移設されました。

(14:33)この交差点を左折します。

交差点の角にあるビルは「田丸屋」。
この付近の今昔。○が「所沢街道」との追分。




1880年代のようす。下方の流れは「石神井川」。途中、東に向かう道は「富士街道」。




2010年代のようす。中央右は西武新宿線「柳沢」駅。


「田無神社」、「総持寺」を過ぎ、「田無(宿)」へ入ります。
(14:42)商家の面影。

人通りの多い商店街を進み、左折して「田無駅」に向かいます。
今回はここまで。思ったよりも新宿から近いので驚きました。ただし、帰路は西武新宿線で高田馬場まで出てJRに乗り換えて、と意外に距離がありました。