山里風景。
けっこう激しい流れ。![]()
(11:49)かなりの豪邸です。![]()
昭和13年に建立した石碑があるのですが、詳細不明。この杉の樹形を愛でたもの?
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用水路(「徳島堰」)はところどころに落ち口があってけっこう水量も豊富です。
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集落の外れまで来ると、豊富な水量・勢いを利用して2カ所に水力発電設備があります。振り子式下掛水車。15㎾の発電量。
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この先にも「水力発電所」。![]()
(12:00)この先、「戸沢橋」の手前で左の細道に入っていきます。「円井逆断層」の案内板が目印。そこで、軽く昼食休憩。
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砂利道になり、途中「林道」を分け、右に進みます。その先で「戸沢川」を渡ります。石伝いに通過。「徳島堰」は暗渠となって(逆サイホンの原理で)この川の下を流れています。
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注:「徳島堰」は途中、いくつかの沢を「伏せ越し」(サイフォンのの原理。川の下を暗渠でくぐる仕組み)で交差しています。何ヶ所かそれが見られます。
(12:15)Uターンして坂道を上っていくと、下円井の集落。![]()
「円野町下円井」=まるのまちしもつぶらい
彼岸花。![]()
上ったところにはちみつを扱うおうち。![]()
落ち着いた家並みが続く。
「火の見櫓」のところに「秋葉山常夜燈」。旧東海道ではよく見かけました。
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正面に見えるT字路を右折します。![]()
その先のY字路を左に進みます。![]()
(12:23)右手には「下円井(しもつぶらい)公民館」。![]()
道ばたのコスモス、そのはるか向こうに「八ヶ岳」。![]()
右手眼下に田園風景が広がります。![]()
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周囲の風景を愛でつつのんびり進みます。「八ヶ岳」。赤岳もはっきりと。左手に「か」「か」「し」「の」「里」の看板が遠くに見えます。
「かかしの里」のモニュメント。左に「徳島堰」。
(12:30)そこからの風景。
「かかしの里」広場には解説板。「かかしカーニバル」開催地。
「水土里(みどり)ネット円野町」案内図。
「かかしの里」解説板。
のどかな田園風景が広がる円野町の恒例「円野町かかし祭り」が行われます。毎年、会場には世相を反映しユニークなかかし、応募された皆様の思いが込められたかかしが立ち並びます。
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(
より)
毎日新聞2017年8月20日 地方版
韮崎市円野町下円井の市道で、「円野町かかし祭り」が開かれている。田園を背にした市道には、100メートル走で日本人初の9秒台に期待のかかる陸上選手や、世間を騒がせている政治家などの世相を反映した手作りかかし70体が並び、訪れた人の目を楽しませている。9月10日まで。
祭りは1994年に始まり、今年で24回目。今年は、地元の高校生や市役所職員など、市内の22の団体や個人が製作。今年は、芸人の「ブルゾンちえみ」など流行を反映したかかしのほか、安倍晋三首相や米国のトランプ大統領など8カ国のトップが手をつないだ「世界平和友好」など政治の動向を踏まえた作品も多く並んだ。
親子3世代で訪れたさいたま市の久保安美さん(35)は「今年は政治家のかかしや町の活性化を願う作品が多い。眺めながらもっと平和な世の中になることを願いました」と話していた。【松本光樹】
東方向(韮崎市街地)を望む。
しばらく進むと「徳島堰」のところに「徳島堰」の解説板があります。
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徳島堰由来
この堰は古くから日本三大堰(柳川堰、箱根堰、徳島堰)中随一と言われています。330年前、江戸の住人徳島兵左ェ門がこの地方の開発を計画し、幕府(甲府藩)の許しを得て、寛文5年(1665)工事を始め、同7年に上円井(韮崎市円野町)より曲輪田の大輪沢(櫛形町)まで約17kmの堰を造りましたが、何故か兵左ェ門は同年秋工事から手を引きました。その後甲府藩では有野村(白根町)の郷士矢崎又右ェ門等に命じて全区間の不良箇所の修復をさせ同10年に完成したので、この堰を徳島堰と名付け兵左ェ門の功をたたえましたが、又右ェ門は工事に私財を使い果たして生活は困窮しました。
当初約350haの耕地はその後増加し水路は老朽化したので、昭和41年より9年の歳月と 億5千万円の巨費を投じて農林省によって改良工事が行われ、昭和49年に完成しました。現在毎秒7.96㎥の水が自動的に流れ、田1559ha、畑2052haの沃野がこの堰の恩恵を受けています。
水辺に立って豊かな水の流れを見つめると先人の功績が偲ばれます。(文責歌田)
平成7年8月吉日 平成かかしカーニバル実行委員会建之
(12:38)その先に、「寺沢サイホン」。![]()
「伏せ越し」
河川と交差する部分で、沿岸の双方の高さに高低差が大きい場合、高い側から逆サイホンで河川を自然流下で通過させること。
逆サイフォンとは
逆サイフォン(伏せ越し)は、サイフォンを逆さにしたものです。水の流れが目に見える開水路(かいすいろ)がつながっていなくても、ある程度の水位差をもたせることで、入口からは水が吸い込まれるように入っていき、出口からは吹き上がるように水が出てきます。
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(「http://www.maff.go.jp/kyusyu/nn/new/17/gijyutu/gijP01.html」より)
ここは、別の水路と道路が交差し、その下を流しています。
「流水不易」の銘。
↓
けっこう激しい流れ。

(11:49)かなりの豪邸です。

昭和13年に建立した石碑があるのですが、詳細不明。この杉の樹形を愛でたもの?


用水路(「徳島堰」)はところどころに落ち口があってけっこう水量も豊富です。

集落の外れまで来ると、豊富な水量・勢いを利用して2カ所に水力発電設備があります。振り子式下掛水車。15㎾の発電量。


この先にも「水力発電所」。

(12:00)この先、「戸沢橋」の手前で左の細道に入っていきます。「円井逆断層」の案内板が目印。そこで、軽く昼食休憩。



砂利道になり、途中「林道」を分け、右に進みます。その先で「戸沢川」を渡ります。石伝いに通過。「徳島堰」は暗渠となって(逆サイホンの原理で)この川の下を流れています。

注:「徳島堰」は途中、いくつかの沢を「伏せ越し」(サイフォンのの原理。川の下を暗渠でくぐる仕組み)で交差しています。何ヶ所かそれが見られます。
(12:15)Uターンして坂道を上っていくと、下円井の集落。

「円野町下円井」=まるのまちしもつぶらい
彼岸花。

上ったところにはちみつを扱うおうち。


「火の見櫓」のところに「秋葉山常夜燈」。旧東海道ではよく見かけました。


正面に見えるT字路を右折します。

その先のY字路を左に進みます。

(12:23)右手には「下円井(しもつぶらい)公民館」。

道ばたのコスモス、そのはるか向こうに「八ヶ岳」。

右手眼下に田園風景が広がります。


周囲の風景を愛でつつのんびり進みます。「八ヶ岳」。赤岳もはっきりと。左手に「か」「か」「し」「の」「里」の看板が遠くに見えます。





のどかな田園風景が広がる円野町の恒例「円野町かかし祭り」が行われます。毎年、会場には世相を反映しユニークなかかし、応募された皆様の思いが込められたかかしが立ち並びます。

(

毎日新聞2017年8月20日 地方版
韮崎市円野町下円井の市道で、「円野町かかし祭り」が開かれている。田園を背にした市道には、100メートル走で日本人初の9秒台に期待のかかる陸上選手や、世間を騒がせている政治家などの世相を反映した手作りかかし70体が並び、訪れた人の目を楽しませている。9月10日まで。
祭りは1994年に始まり、今年で24回目。今年は、地元の高校生や市役所職員など、市内の22の団体や個人が製作。今年は、芸人の「ブルゾンちえみ」など流行を反映したかかしのほか、安倍晋三首相や米国のトランプ大統領など8カ国のトップが手をつないだ「世界平和友好」など政治の動向を踏まえた作品も多く並んだ。
親子3世代で訪れたさいたま市の久保安美さん(35)は「今年は政治家のかかしや町の活性化を願う作品が多い。眺めながらもっと平和な世の中になることを願いました」と話していた。【松本光樹】

しばらく進むと「徳島堰」のところに「徳島堰」の解説板があります。

徳島堰由来
この堰は古くから日本三大堰(柳川堰、箱根堰、徳島堰)中随一と言われています。330年前、江戸の住人徳島兵左ェ門がこの地方の開発を計画し、幕府(甲府藩)の許しを得て、寛文5年(1665)工事を始め、同7年に上円井(韮崎市円野町)より曲輪田の大輪沢(櫛形町)まで約17kmの堰を造りましたが、何故か兵左ェ門は同年秋工事から手を引きました。その後甲府藩では有野村(白根町)の郷士矢崎又右ェ門等に命じて全区間の不良箇所の修復をさせ同10年に完成したので、この堰を徳島堰と名付け兵左ェ門の功をたたえましたが、又右ェ門は工事に私財を使い果たして生活は困窮しました。
当初約350haの耕地はその後増加し水路は老朽化したので、昭和41年より9年の歳月と 億5千万円の巨費を投じて農林省によって改良工事が行われ、昭和49年に完成しました。現在毎秒7.96㎥の水が自動的に流れ、田1559ha、畑2052haの沃野がこの堰の恩恵を受けています。
水辺に立って豊かな水の流れを見つめると先人の功績が偲ばれます。(文責歌田)
平成7年8月吉日 平成かかしカーニバル実行委員会建之
(12:38)その先に、「寺沢サイホン」。

「伏せ越し」
河川と交差する部分で、沿岸の双方の高さに高低差が大きい場合、高い側から逆サイホンで河川を自然流下で通過させること。
逆サイフォンとは
逆サイフォン(伏せ越し)は、サイフォンを逆さにしたものです。水の流れが目に見える開水路(かいすいろ)がつながっていなくても、ある程度の水位差をもたせることで、入口からは水が吸い込まれるように入っていき、出口からは吹き上がるように水が出てきます。

(「http://www.maff.go.jp/kyusyu/nn/new/17/gijyutu/gijP01.html」より)
ここは、別の水路と道路が交差し、その下を流しています。

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