久々の甲州街道。やっと暑さも峠を越えて、やっと街道歩きも楽になった? そこで。
比較的甲州街道の宿駅間は短いケースが多いのですが、今回の甲府宿から韮崎宿まではけっこう距離があります。
9月24日(日)晴れ。10時前に「甲府」駅。前回のところまで。甲府城の脇を通りながら向かいます。
(10:10)
NTT甲府支店西の交差点で甲州街道は直角に左折し、甲府柳町に入ってゆきます。問屋街入口で右折し、その先を左折します。特に宿場町らしい史跡などは見当たりませんでした。
「問屋街入口」交差点を振り返って望む。
ここを左折。![]()
(10:26)さらに広い通りに出たら右折します。つごう、4回曲がります。向こうに見える大きなビルは「甲府商工会議所」。
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(10:35)「相生橋歩道橋」から甲府駅方向を望む。![]()
路傍には彼岸花(曼珠沙華)。そんな時節になりました。![]()
土蔵造りの立派なおうち。![]()
「国道52号線」。「清水まで94㎞」ポスト。
しばらく進むと「荒川」に架かる「荒川橋」。視界が広がってきましたが、あいにく雲がかかって鳳凰三山、白根三山などの南アルプスの高峰、富士山などの山々は見えません。以前登ったことのある山なので、楽しみにしているのですが・・・。
「甲州街道歩き」。周囲の山々の景色を楽しみながらの旅となるはずですが、総じて晴れている割にはどうも周囲の山々の姿を堪能することには恵まれません。
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(10:52)続いて「貢川(くがわ)橋」を渡ると、右折していきます。「美術館通り」。
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カーブする右手に「天然記念物 上石田のサイカチ」。
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過去にさかのぼると、この地は貢川の河川近くであったが、河川は整備され今のような市街地になった。サイカチは川岸の湿ったところに生える木で、この場所に本樹があるのは昔の自然の一部を残したものである。また、大小二本そろって生えているところから、地元の方々は夫婦サイカチと呼んで親しんでいるが両樹とも雌木である。樹齢は両樹とも約300年と推定される。
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ほうとうなど郷土料理の店「信州」。店名が甲州にあって信州というのがいい。「信州」味噌を用いた「ほうとう」がウリなのかな?
このお店のネーミングも抜群。
「えがお食堂 鈴之介」。![]()
(11:10)その先、右手には
「クリスタルミュージアム」。
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「クリスタル・ミュージアム」は、長年、ガラスや水晶アクセサリーの製造にたずさわってきた丹沢良治館長が、水晶・貴石加工などの地場産業の振興になれば、と1996年に設立。受付から館内へ通じる通路には雪江なほみ氏や井上公雄氏ら県内を拠点に活躍する造形作家の作品が並ぶ。
館内1階は「自然のぬくもりのフロア」と名づけられ、1トンもの紫水晶原石や、透明度の高い茶水晶、井上氏や香港の有名作家の水晶彫刻作品のほか、さまざまな天然石と彫刻品が展示されている。吹き抜けの2階は回廊ギャラリーで、「技術のぬくもりのフロア」。100年の歴史をもつボヘミアン・グラスの世界的メーカー「スワロフスキー」や“王様のガラス”と称賛される「モーゼル」のクリスタルガラスの美術品や、アールヌーボーのガラス工芸品を展示。さらにパネルによって「クリスタルガラスとソーダガラスの違い」などが解説されている。
おもに2階ギャラリーで山梨県ゆかりの造形作家の特別企画展示も開催していく予定。
また、アクセサリーやガラス製品を販売するミュージアムショップ(入場無料)を併設。館内はアンティーク家具が並ぶ落ち着いた雰囲気で、喫茶室ベル・エポックも人気がある。
(
HPより)
(11:16)いよいよ左手には「山梨県芸術の森公園」「県立美術館・文学館」。
「文学館」では「津島佑子展ーいのちの声をさかのぼるー」が9月23日(昨日)から開催中とのこと。最近。読んだばかりで、今も津島さんのエッセイを読んでいるところ。たまたま今日(9月24日)甲州街道歩きをしていなければ立ち寄ることもなかった、と。さっそく館内に入ってみました。
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広大な敷地の中に、彫刻の置かれた緑の広場、美術館が右手に、左手には「文学館」があります。
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美術館は「種をまく人」「落ち穂拾い」といった農民絵画を描きつづけた、ジャン=フランソワ・ミレーの作品を数多く所蔵するので全国でも有名。
一方、文学館は山梨県ゆかりの文学者に関する資料の収集と保管・公開を行っています。
今回の特別展は津島佑子さん(1947~2016 東京生まれ 本名・里子)の業績をたどる初の展覧会。
津島佑子さんは、津島修治(筆名・太宰治)と美知子の次女として生まれ、白百合女子大学在学中より作品を発表、女性の内面世界を見つめた初期作品を経て、戦争孤児や少数民族、差別、原発の問題へと視野を広げていきました。
長編小説「火の山―山猿記」は、甲州を舞台に、母の生家・石原家をモデルとして、三代にわたる一族の人々と時代を壮大なスケールで描いた代表作です。この作品を端緒に、時代と場所を自在に往き来しつつ、社会から疎外された人々の声を丁寧にすくい上げた重厚な作品群を発表、最期まで執筆への情熱が消えることはありませんでした。「火の山―山猿記」を中心に、津島佑子の豊饒な作品世界を紹介しています。
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最近は、生前(未完)最後の作品「狩りの時代」を読んだばかり(8月3日にブログにて紹介しています)。死の直前まで手を入れていた資料など直筆の原稿などや学生時代の文学遍歴など、作品、写真が展示されています。
文学館から美術館を望む。![]()
出てから芝生の脇のベンチでのんびり早めの昼食・休憩。気がついたら12時を回っていました。
《補足》『火の山ー山猿記』は、NHKの連続テレビ小説『純情きらり』の原案になっています。
『純情きらり』の舞台は岡崎。八丁味噌の家並みがロケ地になっています。旧東海道歩きで紹介したことがあります。その部分を再掲。
連続テレビ小説「純情きらり」ロケ地。 「純情きらり手形の道」(宮崎あおいの手形)。
『純情きらり』(じゅんじょうきらり)は、2006年(平成18年)度上半期NHK連続テレビ小説の作品。シリーズ通算第74作目。
原案は津島佑子の『火の山―山猿記』。脚本は浅野妙子。主要な舞台は愛知県岡崎市。
昭和初期、7歳になる有森桜子は、4歳のときに母親・マサを病気で亡くしてからというもの、父親・源一郎に男手ひとつで育てられていた。
10年後、16歳になった桜子は、周囲の反対を押し切り東京音楽学校(現在の東京藝術大学)への進学を希望する。そんな矢先、父・源一郎が事故により命を落としてしまう。姉・笛子は進学に反対するが、父が遺してくれたピアノを極めようと没頭する。
翌年、桜子は幼なじみの松井達彦とともに、東京音楽学校を受験するが不合格に終わってしまう。その後、桜子は岡崎に帰ろうとするが、東京音楽学校の教授・西園寺公麿に励まされ、来年もう一度受験することを決意する。
さまざまな紆余曲折を経て、戦地から帰還した達彦と結婚する。その後結核を煩いながらも輝一を出産する。輝一に感染しないようにと決して会おうとはしない桜子に、山長や有森家の人々は輝一の姿を動画に収め、桜子の意識が朦朧とする中、病室の白壁に映して見せたのだった。
ジャズピアニストを夢見ながら、戦争に揺れる昭和の激動時代を駆け抜けるヒロイン・桜子の波乱万丈の人生を描いていく。
(以上「Wikipedia」より)
(「Amazon.co.jp」より)
比較的甲州街道の宿駅間は短いケースが多いのですが、今回の甲府宿から韮崎宿まではけっこう距離があります。
9月24日(日)晴れ。10時前に「甲府」駅。前回のところまで。甲府城の脇を通りながら向かいます。

NTT甲府支店西の交差点で甲州街道は直角に左折し、甲府柳町に入ってゆきます。問屋街入口で右折し、その先を左折します。特に宿場町らしい史跡などは見当たりませんでした。

ここを左折。

(10:26)さらに広い通りに出たら右折します。つごう、4回曲がります。向こうに見える大きなビルは「甲府商工会議所」。

(10:35)「相生橋歩道橋」から甲府駅方向を望む。

路傍には彼岸花(曼珠沙華)。そんな時節になりました。

土蔵造りの立派なおうち。


しばらく進むと「荒川」に架かる「荒川橋」。視界が広がってきましたが、あいにく雲がかかって鳳凰三山、白根三山などの南アルプスの高峰、富士山などの山々は見えません。以前登ったことのある山なので、楽しみにしているのですが・・・。
「甲州街道歩き」。周囲の山々の景色を楽しみながらの旅となるはずですが、総じて晴れている割にはどうも周囲の山々の姿を堪能することには恵まれません。


(10:52)続いて「貢川(くがわ)橋」を渡ると、右折していきます。「美術館通り」。

カーブする右手に「天然記念物 上石田のサイカチ」。

過去にさかのぼると、この地は貢川の河川近くであったが、河川は整備され今のような市街地になった。サイカチは川岸の湿ったところに生える木で、この場所に本樹があるのは昔の自然の一部を残したものである。また、大小二本そろって生えているところから、地元の方々は夫婦サイカチと呼んで親しんでいるが両樹とも雌木である。樹齢は両樹とも約300年と推定される。



このお店のネーミングも抜群。
「えがお食堂 鈴之介」。

(11:10)その先、右手には


「クリスタル・ミュージアム」は、長年、ガラスや水晶アクセサリーの製造にたずさわってきた丹沢良治館長が、水晶・貴石加工などの地場産業の振興になれば、と1996年に設立。受付から館内へ通じる通路には雪江なほみ氏や井上公雄氏ら県内を拠点に活躍する造形作家の作品が並ぶ。
館内1階は「自然のぬくもりのフロア」と名づけられ、1トンもの紫水晶原石や、透明度の高い茶水晶、井上氏や香港の有名作家の水晶彫刻作品のほか、さまざまな天然石と彫刻品が展示されている。吹き抜けの2階は回廊ギャラリーで、「技術のぬくもりのフロア」。100年の歴史をもつボヘミアン・グラスの世界的メーカー「スワロフスキー」や“王様のガラス”と称賛される「モーゼル」のクリスタルガラスの美術品や、アールヌーボーのガラス工芸品を展示。さらにパネルによって「クリスタルガラスとソーダガラスの違い」などが解説されている。
おもに2階ギャラリーで山梨県ゆかりの造形作家の特別企画展示も開催していく予定。
また、アクセサリーやガラス製品を販売するミュージアムショップ(入場無料)を併設。館内はアンティーク家具が並ぶ落ち着いた雰囲気で、喫茶室ベル・エポックも人気がある。
(

(11:16)いよいよ左手には「山梨県芸術の森公園」「県立美術館・文学館」。
「文学館」では「津島佑子展ーいのちの声をさかのぼるー」が9月23日(昨日)から開催中とのこと。最近。読んだばかりで、今も津島さんのエッセイを読んでいるところ。たまたま今日(9月24日)甲州街道歩きをしていなければ立ち寄ることもなかった、と。さっそく館内に入ってみました。

広大な敷地の中に、彫刻の置かれた緑の広場、美術館が右手に、左手には「文学館」があります。



美術館は「種をまく人」「落ち穂拾い」といった農民絵画を描きつづけた、ジャン=フランソワ・ミレーの作品を数多く所蔵するので全国でも有名。
一方、文学館は山梨県ゆかりの文学者に関する資料の収集と保管・公開を行っています。
今回の特別展は津島佑子さん(1947~2016 東京生まれ 本名・里子)の業績をたどる初の展覧会。
津島佑子さんは、津島修治(筆名・太宰治)と美知子の次女として生まれ、白百合女子大学在学中より作品を発表、女性の内面世界を見つめた初期作品を経て、戦争孤児や少数民族、差別、原発の問題へと視野を広げていきました。
長編小説「火の山―山猿記」は、甲州を舞台に、母の生家・石原家をモデルとして、三代にわたる一族の人々と時代を壮大なスケールで描いた代表作です。この作品を端緒に、時代と場所を自在に往き来しつつ、社会から疎外された人々の声を丁寧にすくい上げた重厚な作品群を発表、最期まで執筆への情熱が消えることはありませんでした。「火の山―山猿記」を中心に、津島佑子の豊饒な作品世界を紹介しています。

最近は、生前(未完)最後の作品「狩りの時代」を読んだばかり(8月3日にブログにて紹介しています)。死の直前まで手を入れていた資料など直筆の原稿などや学生時代の文学遍歴など、作品、写真が展示されています。
文学館から美術館を望む。

出てから芝生の脇のベンチでのんびり早めの昼食・休憩。気がついたら12時を回っていました。
《補足》『火の山ー山猿記』は、NHKの連続テレビ小説『純情きらり』の原案になっています。
『純情きらり』の舞台は岡崎。八丁味噌の家並みがロケ地になっています。旧東海道歩きで紹介したことがあります。その部分を再掲。

『純情きらり』(じゅんじょうきらり)は、2006年(平成18年)度上半期NHK連続テレビ小説の作品。シリーズ通算第74作目。
原案は津島佑子の『火の山―山猿記』。脚本は浅野妙子。主要な舞台は愛知県岡崎市。
昭和初期、7歳になる有森桜子は、4歳のときに母親・マサを病気で亡くしてからというもの、父親・源一郎に男手ひとつで育てられていた。
10年後、16歳になった桜子は、周囲の反対を押し切り東京音楽学校(現在の東京藝術大学)への進学を希望する。そんな矢先、父・源一郎が事故により命を落としてしまう。姉・笛子は進学に反対するが、父が遺してくれたピアノを極めようと没頭する。
翌年、桜子は幼なじみの松井達彦とともに、東京音楽学校を受験するが不合格に終わってしまう。その後、桜子は岡崎に帰ろうとするが、東京音楽学校の教授・西園寺公麿に励まされ、来年もう一度受験することを決意する。
さまざまな紆余曲折を経て、戦地から帰還した達彦と結婚する。その後結核を煩いながらも輝一を出産する。輝一に感染しないようにと決して会おうとはしない桜子に、山長や有森家の人々は輝一の姿を動画に収め、桜子の意識が朦朧とする中、病室の白壁に映して見せたのだった。
ジャズピアニストを夢見ながら、戦争に揺れる昭和の激動時代を駆け抜けるヒロイン・桜子の波乱万丈の人生を描いていく。
(以上「Wikipedia」より)
