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Channel: おやじのつぶやき
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笹子峠~駒飼宿。その2。(「甲州街道」をゆく。第7日目。)

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 鹿児島では震度5強の地震。被害も出たようです。川内原発は平常運転とのこと。もっと大きければどうだったのか? 気になるところです。
 さて、昨日の続き。
  
(10:25)前方に「笹子隧道」がようやく見えてきます。


案内板。

笹子隧道について
 四方を山々に囲まれた山梨にとって昔から重要な交通ルートであった甲州街道。その甲州街道にあって一番の難所といわれたのが笹子峠です。
 この難所に開削された笹子隧道は、昭和十一年から十三年まで国庫補助を入れて二八万六千七百円の工費を投入し昭和十三年三月に完成しました。抗門の左右にある洋風建築的な二本並びの柱形装飾が大変特徴的であります。
 昭和三三年、新笹子トンネルが開通するまでこの隧道は、山梨、遠くは長野辺りから東京までの幹線道路として甲州街道の交通を支えていました。南大菩薩嶺を越える大月市笹子町追分(旧笹子村)より大和村日影(旧日影村)までの笹子峠越えは、距離十数キロメートル、幅員が狭くつづら折りカーブも大変多いためまさしく難所で、遥か東の東京はまだまだ遠い都だったでしょう。
 昭和前期の大役を終え静寂の中にあるこの隧道は、平成十一年、登録有形文化財に指定されました。

                                  大月土木事務所 

トンネルの向こうは「甲斐大和」方面。

峠には右の山道を登っていきます。案内図の下に「この附近にクマ出没注意」の看板! 小休止して登ります。


                         

 トンネルを抜ければ苦労せずに向こう側へ。ただし、トンネルの真ん中付近では光が届かず、真っ暗。車が通ったら危険きわまりない、らしい。
 山道を登って峠をめざした方が、実は、無難のようです。



     振り返って望む。

(10:47)一汗かいて峠に到着。

標高1,096㍍。峠入口から約300㍍の登りでした。この峠は江戸と下諏訪のほぼ中間に当たります。

 右へ登ると「笹子雁ヶ腹摺山」へ約1時間10分、左を行くと「カヤノキビラノ頭」へ約1時間30分。まっすぐ下ると大和村日陰かいやまと駅まで約2時間30分。やってきた道を下ると笹子駅までは約2時間、とあります。

下りにかかります。

天神社を過ぎ、歩きやすい山道を下ると、すぐに県道に出ます(10:57)。


降りてきた山道を振り返る。

左手にトンネルの大和側入口が見えます。

そのまま県道を横切ってガードレールの間から山道を下っていきます。
(11:05)しばらく進むと「甘酒茶屋」跡。

峠道は標識の裏手の山道を進みます。

歩きやすい山道をどんどん下っていきます。

(11:09)「甲州街道峠道」。

崩れた道筋にはロープが。

壊れかけた木橋。

沢筋を越えて行きます。

 途中、道筋が怪しい箇所もありますが、丸木橋を越え(11:23)、しばらく進むと県道・「清水橋」のたもとに出ます。


      しっかりした道。

(11:28)「峠道」と「自害沢天明水」との分岐の標識。振り返って望む。


幅の広い緩やかな階段状の道を進みます。

               

県道から来た道を振り返って望む(11:36)。  

そこに「笹子峠」の解説板があります。  

笹子峠
 徳川幕府は慶長から元和年間にかけて甲州街道(江戸日本橋から信州諏訪まで約五十五里)
を開通させました。
 笹子峠はほぼその中間で江戸から約二十七里(約百粁)の笹子宿と駒飼宿を結ぶ標高壱千五十六米、上下三里の難所でした。
 峠には諏訪神社分社と天神社が祀られていて広場には常時、馬が二十頭程繋がれていました。峠を下ると清水橋までに馬頭観世音、甘酒茶屋、雑事場、自害沢、天明水等がありました。また、この峠を往来した当時の旅人を偲んで昭和六十一年二月十二日、次のような唄が作られ発表されました。

       甲州峠唄                        
             作詞 金田一春彦    
             作曲 西岡 文朗

    あれに白いは コブシの花か
    峠三里は  春がすみ
    うしろ見返りゃ  今来た道は 
    林の中を  見え隠れ
    高くさえずる   妻恋雲雀
    おれも歌おうか あの歌を
    ここは何処だと  馬子衆に問えば
    ここは甲州  笹子道

 この唄の発表によって旧道を復元しようという気運が高まり昭和六十二年五月、清水橋から
峠まで地域推進の一環として、日影区民一同と大和村文化協会の協力によって荒れていた旧道を整備して歩行の出来る状態にしました。
                                              佐藤 達明 文



 この先は県道を歩くことになります。         

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